2022年9月11日(日) 年間第24主日ミサ
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- Sep 9, 2022
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2022年9月11日(日) 年間第24主日ミサ
一場神父から、年間第24主日ミサの「朗読箇所と説教」が届きましたので掲載します。
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9月11日「年間第24主日」朗読と説教
小教区役員窓口の皆様
いつもお世話になり、ありがとうございます。
9月11日「年間第24主日」の朗読箇所と説教をお送り致します。
「ことばの祭儀」の配信は、9月11日(日)午前7時の予定です。よろしくお願い致します
皆様のためにお祈りしています。どうぞ、ご自愛ください。一場
【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)
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《9月11日/年間第24主日》
★第一朗読/出エジプト32・7-11、13-14
出エジプト記
その日、32・7主はモーセに仰せになった。「直ちに下山せよ。あなたがエジプトの国から導き上った民は堕落し、8早くもわたしが命じた道からそれて、若い雄牛の鋳像を造り、それにひれ伏し、いけにえをささげて、『イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上った神々だ』と叫んでいる。」9主は更に、モーセに言われた。「わたしはこの民を見てきたが、実にかたくなな民である。10今は、わたしを引き止めるな。わたしの怒りは彼らに対して燃え上がっている。わたしは彼らを滅ぼし尽くし、あなたを大いなる民とする。」11モーセは主なる神をなだめて言った。「主よ、どうして御自分の民に向かって怒りを燃やされるのですか。あなたが大いなる御力と強い御手をもってエジプトの国から導き出された民ではありませんか。13どうか、あなたの僕であるアブラハム、イサク、イスラエルを思い起こしてください。あなたは彼らに自ら誓って、『わたしはあなたたちの子孫を天の星のように増やし、わたしが与えると約束したこの土地をことごとくあなたたちの子孫に授け、永久にそれを継がせる』と言われたではありませんか。」14主は御自身の民にくだす、と告げられた災いを思い直された。
★答唱詩編/詩編51・3+4、12+13、18+19
あなたのいぶきを受けて、わたしは新しくなる。
詩編51
51・3神よ、いつくしみ深くわたしを顧み、
豊かなあわれみによってわたしのとがをゆるしてください。
4悪に染まったわたしを洗い、
罪深いわたしを清めてください。
12神よ、わたしのうちに清い心を造り、
あなたのいぶきでわたしを強め、新たにしてください。
13わたしをあなたのもとから退けず、
聖なるいぶきをわたしから取り去らないでください。
18あなたはいけにえを望まれず、
はんさいをささげても喜ばれない。
19神よ、わたしのささげものはうち砕かれた心。
あなたは悔い改める心を見捨てられない。
★第二朗読/①テモテ1・12-17
使徒パウロのテモテヘの手紙
愛する者よ、わたしは、1・12わたしを強くしてくださった、わたしたちの主キリスト・イエスに感謝しています。この方が、わたしを忠実な者と見なして務めに就かせてくださったからです。13以前、わたしは神を冒涜する者、迫害する者、暴力を振るう者でした。しかし、信じていないとき知らずに行ったことなので、憐れみを受けました。14そして、わたしたちの主の恵みが、キリスト・イエスによる信仰と愛と共に、あふれるほど与えられました。15「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。16しかし、わたしが憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しになり、わたしがこの方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした。17永遠の王、不滅で目に見えない唯一の神に、誉れと栄光が世々限りなくありますように、アーメン。
★福音朗読/ルカ15・1-10
アレルヤ、アレルヤ。神はキリストのうちに世をご自分に和解させ、和解のことばをわたしたちにゆだねられた。アレルヤ、アレルヤ。
ルカによる福音
そのとき、15・1徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。2すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。3そこで、イエスは次のたとえを話された。
4「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。5そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、6家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。7言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。
8あるいは、ドラクメ銀貨を十枚持っている女がいて、その一枚を無くしたとすれば、ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れて捜さないだろうか。9そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』と言うであろう。10言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。
[説教]
私たちは今、「すべてのいのちを守るための月間」を過ごしています。今日の福音は、神がすべてのいのちを愛しておられるという良い知らせです。失われてもかまわない、仕方がないという、いのちはないという良い知らせです。「いのちの交わり」の福音です。
今日の福音に、「ファリサイ派の人々や律法学者たち」が登場します。この人々は、神から求められている生き方を誠実に実行している人たちです。救われている人たちです。正しい人たちです。正しい人たちであるがゆえに、「正しい生き方をしている者だけが、救われる」という考え方にとらわれてしまいます。そして、自分たちの生き方だけが、すべてになってしまいます。他の生き方が考えられなくなります。自分たちが生きる資格があると考えてしまいます。自分たちが、神を喜ばせることができると思うようになります。
そんな「悔い改める必要のない九十九人の正しい人」たちに対して、主イエスは、はっきりと言われます。「悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」「罪人」とは、自分が神から大切にされていることを知らない人のことです。さまざまな理由で、神の愛を信じることができない人のことです。
神の愛を信じられない、神の愛を知らない罪人は、「悔い改めよう」に招かれています。主イエスは、「罪人たちを迎えて、食事まで一緒に」されます。「食事」は、「交わり」の場です。「悔い改め」とは、神との、主イエスとの交わりに加わることです。交わりに加わることで、神を喜ばせることです。交わりの中で、神から大切にされていることを知ることです。神の愛を信じるようになることです。そして、神に愛されている者として、生きるようになることです。
「正しい人」たちも、この交わりに加わるように招かれています。「罪人」たちの交わりに加わることで、神を喜ばせるように招かれています。神は、正しい者たちの交わりと罪人の交わりに分断されることを望んでおられません。神が望んでおられのは、「愛されている」者たちの交わりです。愛されていることを喜び、祝う交わりです。神は、無条件に、すべてのいのちを大切にしておられます。神が望み、喜ばれる交わりは、「いのちの交わり」です。神に愛されていることを喜び、互いに愛し合うことを喜んでいる「いのちの交わり」です。
私たちは、今月、「被造物の声に耳を傾ける」ように呼びかけられています。地球環境のことを考える時、「いのちの交わり」を大切にすることは、「生物多様性」を大切にすることを意味します。
「生物多様性」については、WWF(世界自然保護基金)ジャパンによれば、次ように説明されています。「地球上の生命、その中には、ヒトやトラやパンダ、イネやコムギ、大腸菌、さまざまなバクテリアまで、多様な姿の生物が含まれています。この生きものたちの、命のつながりを、『生物多様性』と呼んでいます。これらの生きものはどれを取ってみても、自分一人、ただ一種だけで生きていくことはできません。多くの生命は他のたくさんの生物と直接かかわり、初めて生きていくことができるのです。『生物多様性』は、この地球という一つの環境そのものであり、そこに息づく生命の全てを意味する言葉に他なりません。」
「生物多様性」は、地球そのものであり、「すべてのいのち」そのものです。そして、生物多様性は、いのちが交わりであることを示しています。人類は、進歩や発展、成長や利益といった「正しさ」を振りかざして、いのちの交わりを傷つけています。人類だけが生きる資格あるかのようにふるまっています。多くの生物を、人類の幸福を妨げる「罪人」であるかのように、消滅させています。自分の好みに合う生物に執着し、少しでも不快に思う生物は、駆除しています。
私たちは、「いのちの交わり」に加わるよう招かれています。「生物多様性」という喜びを分かち合うように招かれています。「生物多様性」、「いのちの交わり」がなければ、生きていくことはできません。真の喜びを経験することもできません。私たちは、今日、悔い改めたいと思います。私たちは、今この瞬間も、いのちの交わりの中で生かされています。生かされていることに感謝しながら、いのちの豊かさを味わいたいと思います。「一匹の羊」となって、いのちへの招きに、喜んで応えたいと思います。
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