4月17日「主の晩餐の夕べのミサ」の福音朗読と説教
- kiotanblock
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4月17日「主の晩餐の夕べのミサ」の福音朗読と説教、
一場神父から上記説教等が届きましたので掲載します。
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京丹ブロックの皆様
いつもお世話になり、ありがとうございます。
4月17日「主の晩餐の夕べのミサ」の福音朗読と説教、4月18日の「主の受難」の受難の朗読と説教をお送り致します。「聖木曜日
晩の祈り」は、4月17日(木)午後7時に、「主の受難
晩の祈り」は、4月18日(金)午後7時に、それぞれ公開予定です。よろしくお願い致します。
皆様のために、いつもお祈りしています。一場
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【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)
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〔4月17日/主の晩餐の夕べのミサ〕
【福音朗読/ヨハネ13・1-15】
ヨハネによる福音
*13・1*過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。
*2*夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。*3*
イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、*4*
食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。*5*
それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。*6*
シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。*7*
イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。*8*
ペトロが「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。
*9*そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」*10*
イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」*11*
イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。
*12*さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。*13*
あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。*14*
ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。*15*
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」
[説教]
「イエスは、…世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」今晩、私たちは、世にいる弟子たちとして、主イエスに、この上なく愛されていることを思い起こします。
私たちは皆、主イエスに愛されています。生き方に関係なく、無条件に愛されています。この愛は、上から来る愛ではありません。上から注がれて来て、流れ落ちる愛ではありません。足元から、少しずつ満ちていき、全身を浸す愛です。足元から全身へと伝わっていく愛なのです。主は、私たちの足に、温かい愛を注いでおられるのです。私たちは今晩、私たちの足元におられる主に、目を向けたいと思います。
この世界に生きている私たちは、上の方に目を向けがちです。誰かの下になりたくない。少しでも上にいたい。そんな思いに駆られて、走らなくても良いのに、走りすぎて疲れています。もう十分持っているのに、まだまだ足りないと思わされています。今晩、私たちは、足を止めて、足元に、主がおられるところに目を向けたいと思います。主が、私たちの足元で、私たちを、この上なく愛しておられるのです。足元の、主の温かい愛を感じたいと思います。
今晩の福音に、「清い」という言葉が出てきます。清い人とは、愛されていることを知っている人です。愛されていることに感謝している人です。足元におられる主に気づいている人です。イスカリオテのユダは、主の愛に気づきませんでした。ユダも、主に愛されていました。しかし、足元におられる主に気づくことはありませんでした。足元での愛は、全身を包み込む愛です。全身を清くする愛なのです。
そして、今晩、私たちも、「互いに足を洗い合」うように招かれています。互いに、足元で仕え合うように招かれています。足元が悪ければ、外に出る気持ちになれません。前に進むことができません。足元が寒ければ、全身が寒くなります。足元がしっかりしていれば、安心して進んでいくことができます。足元が暖かければ、冷たい空気の中でも生きていくことができます。そして、希望の巡礼者である私たちは、人々の足元でで仕えるように励まされているのです。主からいただいている足元の愛を、まわりの人と分かち合うように励まされているのです。今、この世界で、本当に必要とされている愛は、足元で行われる愛なのです。
足元で行われる愛は、目立つ愛ではありません。気づいてもらえないことが多い愛です。愛を込めて、時間をかけて掃除されたところを、私たちは、あたり前のように通り過ぎていきます。あたり前のように使います。もし通りにくくなっていれば、汚れていれば、不快な思いを抱きます。しかし、たくさんの人が、私たちの足元で愛の業を行なってくれていることを思い出しましょう。私たちの社会は、私たちの足元での、たくさんの愛によって成り立っているのです。だから、私たちの足元を支えている人々に感謝しましょう。「互いに足を洗い合」うとは、互いに感謝し合うことでもあるのです。
最後の晩餐は、感謝の祭儀の始まりです。神に感謝をささげるための交わりの始まりです。互いに感謝し合うための交わりです。足元での、大きな愛に感謝をささげるための交わりです。そして、私たちは、足元での愛の業を行なうために、再び、この世界に派遣されます。希望の巡礼者として派遣されます。皆が足元での愛を分かち合うことができる日が、必ず来る。そんな希望に満たされて、希望の巡礼を続けていきましょう。
※※※※※※※〔4月18日/主の受難〕【受難の朗読/ヨハネ18・1-19・42】
(ヨハネによる主イエス・キリストの受難)
C *18・1*夕食のあと、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。*2*
イエスを裏切ろうとしていたユダも、その場所を知っていた。イエスは、弟子たちと共に度々ここに集まっておられたからである。*3*
それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて、そこにやって来た。松明やともし火や武器を手にしていた。*4*
イエスは御自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、言われた。
十 「だれを捜しているのか。」
C *5*彼らは答えた。
S 「ナザレのイエスだ。」
C イエスは言われた。
十 「わたしである。」
C イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた。*6*イエスが「わたしである」と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れた。*7*
そこで、イエスは重ねてお尋ねになった。
十 「だれを捜しているのか。」
C 彼らは言った。
S 「ナザレのイエスだ。」
C *8*すると、イエスは言われた。
十 「『わたしである』と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」
C *9*それは、「あなたが与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした」と言われたイエスの言葉が実現するためであった。*10*
シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落とした。手下の名はマルコスであった。*11*
イエスはペトロに言われた。
十 「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。」
C *12*そこで一隊の兵士と千人隊長、およびユダヤ人の下役たちは、イエスを捕らえて縛り、*13*
まず、アンナスのところへ連れて行った。彼が、その年の大祭司カイアファのしゅうとだったからである。*14*
一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だと、ユダヤ人たちに助言したのは、このカイアファであった。
*15*シモン・ペトロともう一人の弟子は、イエスに従った。この弟子は大祭司の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の屋敷の中庭に入ったが、*16*
ペトロは門の外に立っていた。大祭司の知り合いである、そのもう一人の弟子は、出て来て門番の女に話し、ペトロを中に入れた。*17*
門番の女中はペトロに言った。
A 「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。」
C ペトロは言った。
A 「違う。」
C *18*僕や下役たちは、寒かったので炭火をおこし、そこに立って火にあたっていた。ペトロも彼らと一緒に立って、火にあたっていた。*19*
大祭司はイエスに弟子のことや教えについて尋ねた。*20*イエスは答えられた。
十 「わたしは、世に向かって公然と話した。わたしはいつも、ユダヤ人が皆集まる会堂や神殿の境内で教えた。ひそかに話したことは何もない。*21*
なぜ、わたしを尋問するのか。わたしが何を話したかは、それを聞いた人々に尋ねるがよい。その人々がわたしの話したことを知っている。」
C *22*イエスがこう言われると、そばにいた下役の一人が、イエスを平手で打って言った。
A 「大祭司に向かって、そんな返事のしかたがあるか。」
C *23*イエスは答えられた。
十 「何か悪いことをわたしが言ったのなら、その悪いところを証明しなさい。正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか。」
C *24*アンナスは、イエスを縛ったまま、大祭司カイアファのもとに送った。*25*シモン・ペトロは立って火にあたっていた。人々は言った。
A 「お前もあの男の弟子の一人ではないのか。」
C ペトロは打ち消して、言った。
A 「違う。」
C *26*大祭司の僕の一人で、ペトロに片方の耳を切り落とされた人の身内の者が言った。
A 「園であの男と一緒にいるのを、わたしに見られたではないか。」
C *27*ペトロは、再び打ち消した。するとすぐ、鶏が鳴いた。
*28*
人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。明け方であった。しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。汚れないで過越の食事をするためである。
*29*そこで、ピラトが彼らのところへ出て来て、言った。
A 「どういう罪でこの男を訴えるのか。」
C *30*彼らは答えて、言った。
S 「この男が悪いことをしていなかったら、あなたに引き渡しはしなかったでしょう。」
C *31*ピラトは言った。
A 「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け。」
C ユダヤ人たちは言った。
S 「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません。」
C *32*それは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、イエスの言われた言葉が実現するためであった。*33*
そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出して、言った。
A 「お前がユダヤ人の王なのか。」
C *34*イエスはお答えになった。
十 「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」
C *35*ピラトは言い返した。
A 「わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。」
C *36*イエスはお答えになった。
十
「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」
C *37*そこでピラトが言った。
A 「それでは、やはり王なのか。」
C イエスはお答えになった。
十
「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」
C *38*ピラトは言った。
A 「真理とは何か。」
C ピラトは、こう言ってからもう一度、ユダヤ人たちの前に出て来て言った。
A 「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。*39*
ところで、過越祭にはだれか一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。あのユダヤ人の王を釈放してほしいか。」
C *40*すると、彼らは、大声で言い返した。
S 「その男ではない。バラバを。」
C バラバは強盗であった。*19・1*そこで・ピラトはイエスを捕らえ、鞭で打たせた。*2*兵士たちは茨で冠を編んでイエスの頭に載せ、紫の服をまとわせ、
*3*そばにやって来ては、平手で打って言った。
A 「ユダヤ人の王、万歳。」
C *4*ピラトはまた出て来て、言った。
A 「見よ、あの男をあなたたちのところへ引き出そう。そうすれば、わたしが彼に何の罪も見いだせないわけが分かるだろう。」
C *5*イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは言った。
A 「見よ、この男だ。」
C *6*祭司長たちや下役たちは、イエスを見ると叫んだ。
S 「十字架につけろ。十字架につけろ。」
C ピラトは言った。
A 「あなたたちが引き取って、十字架につけるがよい。わたしはこの男に罪を見いだせない。」
C *7*ユダヤ人たちは答えた。
S 「わたしたちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当たります。神の子と自称したからです。」
C *8*ピラトは、この言葉を聞いてますます恐れ、*9*再び総督官邸の中に入って、イエスに言った。
A 「お前はどこから来たのか。」
C しかし、イエスは答えようとされなかった。*10*そこで、ピラトは言った。
A 「わたしに答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、このわたしにあることを知らないのか。」
C *11*イエスは答えられた。
十 「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。」
C *12*そこで、ピラトはイエスを釈放しようと努めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。
S 「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。」
C *13*ピラトは、これらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。*14*
それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。ピラトはユダヤ人たちに言った。
A 「見よ、あなたたちの王だ。」
C *15*彼らは叫んだ。
S 「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」
C ピラトは言った。
A 「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか。」
C 祭司長たちは答えた。
S 「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません。」
C *16*そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。こうして、彼らはイエスを引き取った。*17*
イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。*18*
そこで、彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。*19*
ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。*20*
イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。*21*
ユダヤ人の祭司長たちはピラトに言った。
A 「『ユダヤ人の王』と書かず、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください。」
C *22*しかし、ピラトは答えた。
A 「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ。」
C *23*
兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。
*24*そこで、話し合った。
A 「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう。」
C それは、「彼らはわたしの服を分け合い、わたしの衣服のことでくじを引いた」という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。
*25*イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。*26*
イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に言われた。
十 「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。」
C *27*それから弟子に言われた。
十 「見なさい。あなたの母です。」
C そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。*28*この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、言われた。
十 「渇く。」
C こうして、聖書の言葉が実現した。*29*
そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。*30*
イエスは、このぶどう酒を受けると、言われた。
十 「成し遂げられた。」
C そして、頭を垂れて息を引き取られた。
*31*
その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。
*32*そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。*33*
イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。*34*
しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。*35*
それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている。*36*
これらのことが起こったのは、「その骨は一つも砕かれない」という聖書の言葉が実現するためであった。*37*
また、聖書の別の所に、「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」とも書いてある。*38*
その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。
*39*そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。*40*
彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。*41*
イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。*42*
その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。
[説教]
「成し遂げられた」。福音記者ヨハネが伝える、十字架上での主イエスの言葉です。私たちはこれから、十字架を礼拝します。主は、十字架上から、この言葉を、私たち一人一人と分かち合われます。
「成し遂げられた」。主イエスの救いの業は、成し遂げられました。この世界は、すべてのいのちは、もう救われているのです。すべてが、神の愛の中にあるのです。今も、この世界では、神の愛に反する出来事が起こっています。しかし、それでも、神の愛は、「成し遂げられた」のです。この世界から、神の愛を消しさることはできないのです。この世界が、神の愛を拒否すればするほど、神の愛は大きくなっていくのです。主の十字架上での苦しみは、この世界への、すべてのいのちへの愛ゆえの苦しみなのです。
主イエスは、権力者であるピラトに、はっきりと宣言されます。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、…部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」この言葉の意味は、神の国では、戦いがないということです。神の国では、武器も、武器に買うためのお金も必要がないということです。生きるために奪い合う必要はないということです。神の国で行われることは、愛すること、愛によってすべてが行われることだけです。そして、この世界が、神の国に属する日が来るのです。必ず、来るのです。
私たちは今日、希望の巡礼者として、主の十字架の下に集まっています。私たちにとって、「成し遂げられた」という言葉は、希望の福音です。この世界がどのような状況にあっても、神の愛は、力強く働いています。私たちは、成し遂げられた愛を受け入れれば良いだけです。成し遂げられた愛に応えれば良いだけです。希望の巡礼者は、成し遂げた愛によって、毎日を生きています。希望の巡礼者が生きる姿は、神の愛が成し遂げられていることを証ししています。これから、十字架の前で、「成し遂げられた」という希望の福音をいただきましょう。そして、この希望の福音を宣べ伝えながら、希望の巡礼者として、ともに歩んでいきましょう。
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