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2022年9月25日(日) 年間第26主日ミサ

  • kiotanblock
  • Sep 24, 2022
  • 8 min read

2022年9月25日(日) 年間第26主日ミサ

一場神父から、年間第26主日ミサの「朗読箇所と説教」が届きましたので掲載します

◆ ◆ ◆

小教区役員窓口の皆様


いつもお世話になり、ありがとうございます。


9月25日「年間第26主日」の朗読箇所と説教をお送り致します。


「ことばの祭儀」の配信は、9月25日(日)午前7時の予定です。よろしくお願い致します


皆様のためにお祈りしています。どうぞ、ご自愛ください。一場


【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)


◆ ◆ ◆


《9月25日/年間第26主日》


★第一朗読/アモス6・1a、4-7

アモスの預言


主は言われる。


6・1a災いだ、シオンに安住し

サマリアの山で安逸をむさぼる者らは。

4お前たちは象牙の寝台に横たわり

長いすに寝そべり

羊の群れから小羊を取り

牛舎から子牛を取って宴を開き

5竪琴の音に合わせて歌に興じ

ダビデのように楽器を考え出す。

6大杯でぶどう酒を飲み

最高の香油を身に注ぐ。

しかし、ヨセフの破滅に心を痛めることがない。

7それゆえ、今や彼らは捕囚の列の先頭を行き

寝そべって酒宴を楽しむことはなくなる。


★答唱詩編/詩編146・6c+7、8ac+9bc

いのちあるすべてのものは、神をたたえよ。


詩編146


146・6c神はとこしえにまことをしめし、

貧しい人のためにさばきをおこない、

6c飢えかわく人にかてをめぐみ、

捕らわれびとを解放される。


8ac神は見えない人の目をひらき、

従う人をあいされる。

9bc身寄りのない子どもとやもめをささえ、

逆らう者の企てを砕かれる。


★第ニ朗読/①テモテ6・11-16

使徒パウロのテモテヘの手紙


6・11神の人よ、あなたは、正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。12信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。13万物に命をお与えになる神の御前で、そして、ポンティオ・ピラトの面前で立派な宣言によって証しをなさったキリスト・イエスの御前で、あなたに命じます。14わたしたちの主イエス・キリストが再び来られるときまで、おちどなく、非難されないように、この掟を守りなさい。神は、定められた時にキリストを現してくださいます。15神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、16唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です。この神に誉れと永遠の支配がありますように、アーメン。


★福音朗読ルカ16・19-31


 アレルヤ、アレルヤ。イエス・キリストは富んでおられたのに、貧しくなられた。あなたがたがキリストの貧しさによって富むように。アレルヤ、アレルヤ。


ルカによる福音


 そのとき、16・19イエスはファリサイ派の人々に言われた。「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。20この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、21その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。22やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。23そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。24そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』25しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。26そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』27金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。28わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』29しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』30金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』31アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」


[説教]

 今日の福音は、「金持ちとラザロ」のたとえです。「すべてのいのちを守るための月間」を過ごしている私たちは、金持ちの生き方のどこに問題があるのか、よく考えるよう求められています。


 金持ちは、ラザロのことをよく知っていました。自分のすぐ近くにいて、病気で苦しんでいること。食べ物も十分に食べられないほど貧しいこと。誰からもかえりみられず、孤独であること。そして、彼の名前までも知っていました。金持ちは、そんなラザロをすぐ目の前にして、何の行動もおこしませんでした。そればかりか、心の痛みも感じませんでした。それどころか、「いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた」のです。ぜいたくな暮らしを見せつけることで、ラザロをいっそう苦しめていたのです。ラザロが苦しむのは、自業自得だ、自己責任だと言わんばかりに、ラザロを無視し続けたのです。ラザロの人としての尊厳、いのちの尊厳を踏みにじっていたのです。


 金持ちは、「死んで葬られ」ました。そして、「陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見え」ました。金持ちは、すぐ近くにいたラザロを無視しましたが、今、はるかかなたにいるラザロに目を向けます。しかし、金持ちは、ラザロに、直接語りかけません。ラザロに助けを求めません。ラザロに謝罪しません。金持ちは、自分が苦しいから、「憐れんでください」と言っているだけです。自分の罪を悔いて、回心して、「憐れんでください」と言っているわけではありません。そして、金持ちは、ここでも、ラザロを自分の苦しみを取り除くために、利用しようしているのです。「ラザロをよこして」という言葉は、ラザロの尊厳を傷つける言葉です。金持ちは、自分が助けてもらえないと知ると、自分の兄弟たちのことを心配します。自分の身内のことだけを考えるようになります。そして、ここでも、金持ちは、ラザロを利用しようとします。「ラザロを遣わしてください」と言って、ラザロを、身内を助ける手段として扱います。再び、ラザロの尊厳を傷つけます。


 そんな金持ちに対して、アブラハムは言います。「お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。」「モーセと預言者」とは、聖書のことです。聖書は、私たちがどう生きたらよいかを教えています。金持ちは、聖書の教えを耳にしていたはずです。しかし、聖書の教えに耳を傾けていませんでした。聖書の教えを大切にしていませんでした。聖書の神は、ラザロのような人を大切にする。だから、ラザロのように貧しく、苦しんでいる人を大切にしなければならない。金持ちは、この最も大切な教えを信じていませんでした。ラザロは無視することで、神を無視していました。すぐ近くにいるラザロから遠ざかることで、ともにおられる神から離れていました。


 金持ちは、ラザロを自分の宴席に招くべきでした。自分の兄弟として、六人目の兄弟として招くべきでした。十分な余裕があったのですから、ラザロと、よい服やよい食べ物を分かち合うべきでした。すべてを神からいただいたものとして、分かち合うべきでした。ラザロも、たくさんのよいものを持っていたはずです。金持ちは、ラザロと交わることで、ラザロから、たくさんのよいものを得られたはずです。誰かを助けるとは、自分が与える、損をするということではありません。誰かを助けるとは、その人から、よいものをもらえるということです。誰かを助けるとは、その人とともに、アブラハムの宴席に加わることなのです。神の国の喜びが与えられるということなのです。


 今日は、「世界難民移住移動者の日」です。この日の教皇メッセージの中で、次のように述べられています。「難民と移民の存在は、大きな課題であると同時に、すべての人にとって、文化的、精神的な一つの成長の機会でもあるのです。彼らのおかげで、わたしたちは世界とその多様性のすばらしさをより深く知る機会が得られるのです。人間性を成熟させ、より大きな「わたしたち」をともに築いていくことができるのです。互いに相手の役に立つことで、異なる考えと伝統の間に実りある出会いの空間が生まれ、新たな視点に心を開くようになるのです。また、自分たちの知らない宗教や霊性の豊かさを発見し、自身の信念を考究するきっかけにもなります。」


 金持ちは、ラザロと「より大きな『わたしたち』を築いていく」べきでした。「より大きな『わたしたち』をともに築いていくこと」、それが、アブラハムの宴席にともに加わることになるのです。神の国の喜びを分かち合い、大きくしていくことになるのです。ぜいたくな暮らしではなく、豊かな人生を歩んでいくことになるのです。「大きな淵」によって分断されることなく、大きくなっていく愛によって、ともに歩んでいくことになるのです。「より大きな『わたしたち』をともに築いていくこと」で、「すべてのいのちを守るため」の歩みを続けていきましょう。


2022年「世界難民移住移動者の日」教皇メッセージはこちら↓


一場 修


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