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2022年10月 9日(日) 年間第28主日ミサ

  • kiotanblock
  • Oct 5, 2022
  • 7 min read

2022年10月 9日(日) 年間第28主日ミサ

一場神父から、年間第28主日ミサの「朗読箇所と説教」が届きましたので掲載します


◆ ◆ ◆

小教区役員窓口の皆様


いつもお世話になり、ありがとうございます。


10月9日「年間第28主日」の朗読箇所と説教をお送り致します。


「ことばの祭儀」の配信は、10月9日(日)午前7時の予定です。よろしくお願い致します


皆様のためにお祈りしています。一場

【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

《10月9日/年間第28主日》

★第一朗読/列王記下5・14-17


列王記


その日、5・14シリアのナアマンは神の人エリシャの言葉どおりに下って行って、ヨルダン川に七度身を浸した。彼の体は元に戻り、小さい子供の体のようになり、清くなった。

15彼は随員全員を連れて神の人のところに引き返し、その前に来て立った。「イスラエルのほか、この世界のどこにも神はおられないことが分かりました。今この僕からの贈り物をお受け取りください。」16神の人は、「わたしの仕えている主は生きておられる。わたしは受け取らない」と辞退した。ナアマンは彼に強いて受け取らせようとしたが、彼は断った。17ナアマンは言った。「それなら、らば二頭に負わせることができるほどの土をこの僕にください。僕は今後、主以外の他の神々に焼き尽くす献げ物やその他のいけにえをささげることはしません。」


★答唱詩編/詩編98・1、2+3a、4+5


遠く地の果てまで、すべての者が神の救いを見た。


詩編98


98・1新しい歌を神にうたえ。

神は不思議なわざを行われた。

神の偉大な右の手、

そのとうとい腕は救いの力。


2神は救いをしめし、

諸国の民に正義を現された。

3いつくしみとまことをもって、

イスラエルに心を留められる。


4世界よ、神に向かって喜びの声をあげ、

賛美の歌で神をほめよ。

5たて琴をかなでて神をたたえ、

その調べに合わせてほめ歌え。


★第二朗読/➁テモテ2・8-13


使徒パウロのテモテヘの手紙


愛する者よ、2・8イエス・キリストのことを思い起こしなさい。わたしの宣べ伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです。9この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。10だから、わたしは、選ばれた人々のために、あらゆることを耐え忍んでいます。彼らもキリスト・イエスによる救いを永遠の栄光と共に得るためです。11次の言葉は真実です。


「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる。

12耐え忍ぶなら、キリストと共に支配するようになる。

キリストを否むなら、キリストもわたしたちを否まれる。

13わたしたちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる。

キリストは御自身を否むことができないからである。」


★福音朗読/ルカ17・11-19


アレルヤ、アレルヤ。すべてについて感謝しなさい。神はキリスト・イエスのうちにあって、あなたがたにこれを望んでおられる。アレルヤ、アレルヤ。


ルカによる福音


17・11イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。12ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、13声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。14イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。15その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。16そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。17そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。18この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」19それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」


[説教]


今日の福音は、「いやし」という体験を、「福音」としてのべ伝える物語です。私たちは、今日、この物語に加わるよう、招かれています。


「重い皮膚病を患っている十人の人」は、「声を張り上げて」、主イエスに願い求めます。「わたしたちを憐れんください。」私たちも、日々、「憐れんでください」と叫んでいます。私たちも、傷ついているからです。傷ついて、神からいただいた「いのち」を生きることができないからです。神からいただいた愛を生きることができないからです。だから、「憐れでください」という叫びは、「生きることができるようにしてください」という叫びなのです。「傷ついても、また愛することができるようにしてください」という願いなのです。「神から愛されているを感じられるようにしてください」といううめきなのです。「私たちの愛を回復してください」という、切実な祈りなのです。


主イエスは、十人に言われます。「祭司たちのところに行って、体を見せなさい。」「祭司たち」は、社会の人びとを意味します。祭司がいやしの証明をすれば、十人は社会に戻ることができるからです。「体を見せなさい」という言葉は、「自分のすべてを見せなさい」という意味です。ですから、イエスの言葉の意味は、「社会の中で、愛されている自分を、愛することができる自分を見せなさい」という意味になります。「社会の人びとと、神からいただいた愛を分かち合いなさい」という意味になります。


十人とも、いやされました。十人の愛は、「清くされた」のです。愛は、回復したのです。祭司たちに見せる前に、回復したのです。しかし、愛の回復に気づいたのは、一人だけでした。気づいた人は、主イエスのもとに、「大声で神を賛美しながら戻って来た」のです。「そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した」のです。大声の賛美、心からの感謝は、神の愛の大きさを表しています。この人は、自分が大きな愛に満たされていることに気づいたのです。


主イエスは、サマリア人である、この人に言われます。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」いやされて、いのちが回復した者は、福音宣教の旅へと派遣されます。神からいただいた愛を回復した者は、その愛を分かち合うために、社会の中に派遣されます。「あなたの信仰があなたを救った。」「愛を信じる、あなたの信仰が、あなたのいのちを回復した。愛を生きるいのちを回復した。」このいやしの体験である福音をのべ伝えるために、旅立ちます。福音の喜びに満ちて、必要とされるところに出向きます。


私たちも、このサマリア人のように、福音宣教の旅に加わるよう招かれています。しかし、私たちは、いつもサマリア人になれるわけではありません。九人の一人になることもあります。今日は九人の一人でも、明日は、サマリア人となるかもしれません。九人の一人になっても、福音宣教への招きが消えるわけではありません。福音宣教への招きは、とだえることなく続いています。


そして、福音宣教の旅は、必ず「苦しみ」がともないます。今日の第ニ朗読で、使徒パウロは、この苦しみの体験を分かち合っています。「この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神のことばはつながれていません。」パウロは、苦しみを体験したからこそ、神のことばの力を体験することができたのではないでしょうか。福音の中心は、主イエスの受難です。イエスの苦しみがなければ、福音は成り立ちません。私たちの福音宣教の旅も同じです。苦難があるから、福音宣教なのです。そして、福音宣教とは、苦しむ人々とともに歩むことなのです。


「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きる。耐え忍ぶなら、キリストと共に支配するようになる。」パウロは、この言葉が真実であると宣言しています。キリストとともに生きることは、苦しみを生きることです。そして、この苦しみこそ、愛を生きていることの証しです。キリストの支配とは、愛の支配です。愛の支配は、苦しみが大きければ大きいほど、強くなっていきます。広がっていきます。これが、パウロの「宣べ伝える福音」です。私たちも、今日、この福音をのべ伝えるよう励まされています。


今月は、「世界宣教月間」です。今年のテーマは、「あなたがたはわたしの証人となる」です。使徒言行録の1章8節の言葉です。私たちは皆、キリストの愛の証人、いのちであるキリストの証人です。私たちは皆、福音を体験しています。主にいやされて、いのちを回復した体験、愛を回復した体験があります。パウロのように、福音のために苦しみを体験したこともあります。こうした福音の体験を分かち合いながら、復活のキリストの証人として、ともに歩んでいきましょう。

一場 修

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