1月28日「年間第4主日」の朗読聖書と説教
- kiotanblock
- Jan 24, 2024
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1月28日「年間第4主日」の朗読聖書と説教
一場神父から1月28日「年間第4主日」の朗読聖書と説教が届きましたので掲載します。
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小教区窓口の皆様
いつもお世話になり、ありがとうございます。
1月28日「年間第4主日」の朗読聖書と説教をお送り致します。「ことばの祭儀」は、1月28日(日)午前9時に公開予定です。
送信先の変更が必要な場合には、お知らせください。お知らせがない場合、昨夜までの送信先に送らせていただきます。
よろしくお願い致します。
戦争や自然災害により苦しみに置かれている人たちのために祈り続けましょう。厳しい寒さが続きます。どうぞご自愛ください。皆様のためにお祈りしています。
一場
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【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)
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〔1月28日/年間第4主日〕
【第一朗読/申命記18・15-20】申命記
モーセは民に言った。*18・15*
あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わねばならない。*16*
このことはすべて、あなたがホレブで、集会の日に、「二度とわたしの神、主の声を聞き、この大いなる火を見て、死ぬことのないようにしてください」とあなたの神、主に求めたことによっている。
17主はそのときわたしに言われた。「彼らの言うことはもっともである。*18*
わたしは彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を立ててその口にわたしの言葉を授ける。彼はわたしが命じることをすべて彼らに告げるであろう。*19*
彼がわたしの名によってわたしの言葉を語るのに、聞き従わない者があるならば、わたしはその責任を追及する。*20*
ただし、その預言者がわたしの命じていないことを、勝手にわたしの名によって語り、あるいは、他の神々の名によって語るならば、その預言者は死なねばならない。」
【答唱詩編/詩編95・1+2、5+6、7+8】
神に向かって喜び歌い、感謝の歌をささげよう。
詩編95
95・1神に向かって喜びうたい、
救いの岩に声をあげよう。
2感謝に満ちてみ前に進み、
楽の音に合わせ神をたたえよう。
5海は神のもの、神に造られたもの。
陸も神のもの、神に形造られたもの。
6身を低くして伏し拝もう、
わたしたちを造られた神の前に。
7神は、わたしたちの神。
わたしたちは神の民、その牧場のひつじ。
8きょう、神の声を聞くなら、
神に心を閉じてはならない。
【第二朗読/①コリント7・32-35】使徒パウロのコリントの教会への手紙
皆さん、*7・32*思い煩わないでほしい。独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣いますが、*33*
結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、*34*
心が二つに分かれてしまいます。独身の女や未婚の女は、体も霊も聖なる者になろうとして、主のことに心を遣いますが、結婚している女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世の事に心を遣います。
35
このようにわたしが言うのは、あなたがたのためを思ってのことで、決してあなたがたを束縛するためではなく、品位のある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるためなのです。
【福音朗読/マルコ1・21-28】
アレルヤ、アレルヤ。暗やみに住む民は偉大な光を仰ぎ、死のかげに覆われた人々に光が現れた。アレルヤ、アレルヤ。
マルコによる福音
1・21イエスは、安息日にカファルナウムの会堂に入って教え始められた。*22*
人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。*23*
そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。*24*
「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」*25*
イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、*26*汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。*27*
人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」*28*
イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。
【説教】
「わたしたちの神である父よ、心を尽くしてあなたに仕える喜びと、すべての人を愛する恵みをお与えください。」今週の集会祈願、私たち共同体の願いです。この祈りをささげながら、毎日を過ごすことが、私たちの福音宣教の歩みです。この祈りがかなえられていくことが、福音の喜びが広がっていくことです。
今日の福音は、主イエスが、「権威ある者としてお教えになった」と伝えています。この「権威ある者」とは、どういう意味でしょうか。聖書が「権威」という時、それは、神の権威、神からくる権威です。人間からくる権威はありません。ですから、権威ある者とは、神ご自身か、神に心を尽くして仕える者だけということになります。主イエスは神ご自身ですから、権威ある方です。そして、イエスは真の人間として、御父に心を尽くして仕える者でもあります。そして、心を尽くして、神に仕える者が神の言葉を告げる時、その人は、「預言者」となります。神の「名によって」、神の「言葉を語る」預言者となります。預言者になるためには、特別な能力や資格を必要としません。ここに集まっている私たちは皆、預言者になれます。しかし、神の「命じていないことを、勝手に〔神の〕名によって語」る時、預言者となることはできません。
では、預言者が語る言葉とは、どのような言葉でしょうか。「黙れ。この人から出て行け。」これが、福音書が伝える、主イエスが口にされた言葉、預言者の言葉です。「汚れた霊」に対する命令です。「汚れた霊に取りつかれた」人のいのちを回復させる言葉、愛の言葉です。預言者の言葉は、多くの場合、厳しい言葉となります。いのちを守りたいという、愛から出る言葉だからです。すべての人を愛する、熱い思いから出てくる言葉だからです。
「汚れた霊」は、今の世界に、この世界にこそ、大きな影響を与えています。多くの尊いいのちが、毎日、傷つけられています。不正や暴力は、まったくと言ってよいほど、後を絶ちません。平和のために、国益を守るためにという理由で、軍事力が強化されています。儲からないからという理由で、いのちを守るために必要とされる費用が削減されています。こうした状況に疑問や痛みを感じさせないようするために、さまざまな形の快楽が提供されています。こうした快楽は、自分の欲望さえ満たされればいいと思いを抱かせます。自分は何も悪いことをしていないという幻想を抱かせ、祈ることを忘れさせ、目の前にいる、苦しんでいる隣人を見えなくしています。そこでは、仕えることや愛することの意味や喜びが失われています。汚れた霊は、今でも働いているのです。だから、預言者の厳しい言葉が必要なのです。私たちは、この世界で預言者として生きていくように励まされているのです。
そして、預言が成り立つためには、預言を信じ、受け入れる人がいなければなりません。今日の福音で、汚れた霊に取りつかれた人は、主イエスの言葉を受け入れます。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」この言葉は、汚れた霊の、主を激しく拒絶する言葉です。それと同時に、霊に取りつかれた人の、主の預言を信じ、預言を実現を、心から願う言葉です。そして、霊に取りつかれた人は、「けいれん」に苦しみながら、全身で、主の預言を受け入れます。預言を受け入れようとする時、苦しみがともないます。預言は、今までの生き方を変えることを求めるからです。慣れ親しんだところから離れることを求めるからです。そして、この苦しみこそが、救いをもたらします。神に仕える喜びという救い、まわりの人を大切にする喜びという救いです。しかし、この苦しみのゆえに、多くの場合、預言は拒否され、預言者は迫害されます。どこでも、正論を述べる人が嫌われることがあるます。無視されることがあります。珍しいことではありません。これこそ、預言の、預言者の拒否です。「空気を読まない」という言葉は、多くの場合、預言者殺しの言葉となっています。
私たち教会は、預言を語る者と預言に耳を傾ける者の集まりです。共同体の集会は、預言が分かち合われるところです。預言が分かち合われる時、仕える喜びと愛する恵みが与えられます。今日は、「世界子ども助け合いの日」です。日本での今年のテーマは、「あなたはわたしのあいするこども」です。私たちは今日、この預言を分かち合うよう求められています。子どもたちが、神に愛されていることを体験し、まわりのいのちを大切にする喜びを感じることができるように祈りたいと思います。祈るだけでなく、「あなたはわたしのあいするこども」という預言が、この世界に実現するための努力をしたいと思います。
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