1月8日「主の公現」朗読と説教
- kiotanblock
- Jan 4, 2023
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1月8日「主の公現」朗読と説教
一場神父から1月8日「主の公現」朗読と説教が届きましたので掲載します
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小教区窓口の皆様
いつもお世話になり、ありがとうございます。
1月8日「主の公現」の朗読箇所と説教をお送り致します。
「ことばの祭儀」の配信は、1月8日(日)午前7時の予定です。よろしくお願い致します
寒い日が続いています。どうぞご自愛ください。
一場
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【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)
https://www.youtube.com/channel/UCabRcWL-YVYvkpofce8Nptg
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〔1月8日/主の公現〕
【第一朗読/イザヤ60・1-6】イザヤの預言
エルサレムよ、60・1起きよ、光を放て。
あなたを照らす光は昇り
主の栄光はあなたの上に輝く。
2見よ、闇は地を覆い
暗黒が国々を包んでいる。
しかし、あなたの上には主が輝き出で
主の栄光があなたの上に現れる。
3国々はあなたを照らす光に向かい
王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む。
4目を上げて、見渡すがよい。
みな集い、あなたのもとに来る。
息子たちは遠くから
娘たちは抱かれて、進んで来る。
5そのとき、あなたは畏れつつも喜びに輝き、
おののきつつも心は晴れやかになる。
海からの宝があなたに送られ
国々の富はあなたのもとに集まる。
6らくだの大群
ミディアンとエファの若いらくだが
あなたのもとに押し寄せる。
シェバの人々は皆、黄金と乳香を携えて来る。
こうして、主の栄誉が宣べ伝えられる。
【答唱詩編/詩編72・2+4、7+8、10+11、12+13】すべての王はあなたの前にひざをかがめ、すべての国はあなたに仕える。
詩編72
72・2主は正義に満ちて民を治め、
まことをもって苦しむ人を心にかけてくださる。
4主はさばきによって貧しい人を守り、
しいたげる者から救ってくださる。
7主が治められる世には正義が栄え、
月のある限り平和が続く。
8主は海のかなたまで治め、
その支配は地の果てにまでおよぶ。
10タルシスと島々の王は贈り物を、
シバとセバの王はみつぎを納める。
11主の前にひざをかがめ、
すべての民は主につかえる。
12主は助けを求める名もない人と、
見捨てられた人を救われる。
13貧しくふしあわせな人をあわれみ、
苦しむ人に救いをもたらされる。
【第二朗読/エフェソ3・2、3b、5-6】使徒パウロのエフェソの教会への手紙
皆さん、3・2あなたがたのために神がわたしに恵みをお与えになった次第について、あなたがたは聞いたにちがいありません。3b秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました。5この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や〝霊〟によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。6すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。
【福音朗読/マタイ2・1-12】アレルヤ、アレルヤ。東の空に星を見て、全てをおいて神を拝みに来た。アレルヤ、アレルヤ。
マタイによる福音
2・1イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、2言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」3これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。4王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。5彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
6『ユダの地、ベツレヘムよ、
お前はユダの指導者たちの中で
決していちばん小さいものではない。
お前から指導者が現れ、
わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
7そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。8そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムヘ送り出した。9彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。10学者たちはその星を見て喜びにあふれた。11家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。12ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
【説教】
今日、私たちは、「占星術の学者たち」に加わり、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」を訪問します。訪問するために、旅立ちます。「主の公現」とは、「メシア」としてお生まれになった方を目指して旅を始める日なのです。
占星術の学者は、いつも、何が大切かを問い続ける人のことです。そして、大切なものを見つけたら、その大切なもののために生きる人のことです。占星術の学者たちが東方で見た「星」は、大切なものがあるところに、私たちを導きます。「星」は、私たちに、何が大切かを教えてくれます。
昨年末に逝去された前教皇ベネディクト16世は、この「星」について、2011年に、次のように述べました。「神のみ言葉は、不確かな人間の言葉の中の真の星として、神の真理を輝きわたらせる。…神のみ言葉という星に導かれ、教会と共に歩むならば、私たちの歩みは常に他のどの光も与えることのできない輝きに照らされるだろう。」
私たちが生きている世界は、言葉であふれています。不確かな言葉だけでなく、偽りの言葉、悪意に満ちた言葉にあふれています。今日の福音は、ヘロデ王の言葉を伝えています。「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう。」これこそ、まさに、偽りの言葉、悪意に満ちた言葉です。そして、偽りの言葉の多くは、心地よく響きます。実際、学者たちは、だまされそうになります。
神のみ言葉は、どうでしょうか。神のみ言葉は、多くの場合、心地よく響きません。不確かな言葉に聞こえます。今日の福音に、学者たちに、「夢でお告げがあ」ります。「ヘロデのところへ帰るな」というお告げです。心地よい言葉ではありません。夢の中の、不確かに思える言葉です。しかし、これこそ、神のみ言葉なのです。学者たちは、この言葉に従います。
「星」に導かれて、学者たちは大切なものを、大切なことを見いだします。それは、「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた」ということです。「メシア」が、一人の人として、まわりの人とともに生きておられるということです。そこに、言葉はありません。しかし、神のみ言葉の実現があります。降誕節は、この実現したみ言葉を見いだす時です。ベツレヘムというところで見いだす時です。ベツレヘムは、人間の目で見たら、小さなところです。しかし、み言葉である星に照らされて、神の大きな愛が輝きわたるところなのです。私たちにとってのベツレヘムは、今、どこにあるでしょうか。
占星術の学者たちは、「ひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、没薬、乳香を贈り物として献げ」ます。学者たちは、救い主を礼拝し、自分たちが持っている大切なものをすべて、「喜びにあふれ」て献げます。私たちをとって、神に献げる大切なもの、最も大切なものとは何でしょうか。それは、「いのち」ではないでしょうか。私たちも、今日、「いのち」を献げたいと思います。「黄金、乳香、没薬」という名の「いのち」を、喜びのうちに献げたいと思います。
「いのち」を献げるとは、生きることをやめることではありません。占星術の学者たちは、救い主に会いたいという深い望みをもって、長い旅を続けてきました。生きてきました。そして、今、救い主に出会いました。救い主に出会い、「別の道を通って自分たちの国に帰って行」きます。今までと違う道を通って、旅を続けます。今までと違う、新しい生き方を始めます。今までと同じところで、今までと違う生き方をします。それは、救い主のために生きるという生き方です。救い主が大切にされている人を、同じように大切にするという生き方です。神とすべてのいのちを大切にすることに喜びを感じる生き方です。そして、私たちが、こうした生き方をしている時、しようとしている時、そこに、教会があります。占星術の学者たちとともに旅をする教会があります。
降誕節は、明日の「主の洗礼」で終わります。「洗礼」とは、救い主のために生きるという恵みです。救い主が大切にされている「いのち」のために、「いのち」とともに、「いのち」に満たされて歩み始めるという恵みです。新たな旅の始まりです。この降誕節に出会った救い主に従って、「別の道を通って」、歩んでいきましょう。
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一場 修
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