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11月10日「年間第32主日」の聖書朗読と説教

11月10日「年間第32主日」の聖書朗読と説教


 一場神父から上記説教等が届きましたので掲載します。


◆◆◆


京丹ブロックの皆様


いつもお世話になり、ありがとうございます。


11月10日「年間第32主日」の聖書朗読と説教をお送り致します。「ことばの祭儀」は、10日(日)午前7時に公開予定です。よろしくお願い致します。


気温が下がってきました。体調を崩さないように、くれぐれもお気をつけください。皆様のためにお祈りしています。


一場


◆◆◆


【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)



◆◆◆


〔11月10日/年間32主日〕

【第一朗読/列王記上17・10-16】



(列王記)


*17・10*

その日、預言者エリヤは立ってサレプタに行った。町の入り口まで来ると、一人のやもめが薪を拾っていた。エリヤはやもめに声をかけ、「器に少々水を持って来て、わたしに飲ませてください」と言った。

*11*彼女が取りに行こうとすると、エリヤは声をかけ、「パンも一切れ、手に持って来てください」と言った。*12*

彼女は答えた。「あなたの神、主は生きておられます。わたしには焼いたパンなどありません。ただ壺の中に一握りの小麦粉と、瓶の中にわずかな油があるだけです。わたしは二本の薪を拾って帰り、わたしとわたしの息子の食べ物を作るところです。わたしたちは、それを食べてしまえば、あとは死ぬのを待つばかりです。」

*13*

エリヤは言った。「恐れてはならない。帰って、あなたの言ったとおりにしなさい。だが、まずそれでわたしのために小さいパン菓子を作って、わたしに持って来なさい。その後あなたとあなたの息子のために作りなさい。

*14*なぜならイスラエルの神、主はこう言われる。

主が地の面に雨を降らせる日まで

壺の粉は尽きることなく

瓶の油はなくならない。」


*15*やもめは行って、エリヤの言葉どおりにした。こうして彼女もエリヤも、彼女の家の者も、幾日も食べ物に事欠かなかった。*16*

主がエリヤによって告げられた御言葉のとおり、壺の粉は尽きることなく、瓶の油もなくならなかった。

【答唱詩編/詩編146・1+2+10a、6c+7、8ac+9bc】


いのちあるすべてのものは、神をたたえよ。

(詩編146)


*146・1*心を尽くして神をたたえよ。

いのちのある限り神をたたえよ。

*2*わたしは生涯神をほめうたう。

*10a*神はとこしえに治められる。


*6c*神はとこしえにまことをしめし、

貧しい人のためにさばきをおこない、

*7*飢えかわく人に糧をめぐみ、

捕らわれ人を解放される。


*8ac*神は見えない人の目をひらき、

従う人をあいされる。

*9bc*身寄りのない子供とやもめをささえ、

逆らう者の企てを砕かれる。

【第二朗読/ヘブライ9・24-28】



(ヘブライ人への手紙)


*9・24*

キリストは、まことのものの写しにすぎない、人間の手で造られた聖所にではなく、天そのものに入り、今やわたしたちのために神の御前に現れてくださったのです。

*25*また、キリストがそうなさったのは、大祭司が年ごとに自分のものでない血を携えて聖所に入るように、度々御自身をお献げになるためではありません。

*26*

もしそうだとすれば、天地創造の時から度々苦しまねばならなかったはずです。ところが実際は、世の終わりにただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました。

*27*また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、*28*

キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。

【福音朗読マルコ12・38-44】


アレルヤ、アレルヤ。心の貧しい人は幸い。天の国はその人のもの。アレルヤ、アレルヤ。

(マルコによる福音)


そのとき、*12・38*イエスは教えの中でこう言われた。「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、

*39*会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、*40*

また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」


*41*イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。*42*

ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。*43*

イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。*44*

皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」



[説教]


主イエスは今週も、祈りの家である神殿におられます。そして、私たちを祈りへと招いておられます。主が歩んでおられる十字架の道は、祈りの道です。私たちは、主とともに、この祈りの道を歩むように招かれています。


今日の福音は、祈りについて説いています。主イエスはまず、「律法学者に気をつけなさい」と言われます。彼らは、「見せかけの長い祈り」をするからです。人に見てもらおうとして、祈るからです。神に心を向けない言葉は、祈りではありません。どのようなきれいな言葉を用いても、長い時間をかけて述べたとしても、祈りではありません。このような言葉は、祈りではないだけでなく、祈りを妨げるものです。言葉を発している本人は、まわりの人しか見ていないからです。そして、まわりの人は、祈りの機会を奪われることがあるからです。上手に祈れないから、短い祈りしかできないから、祈れないといった思いをまわりの人に抱かせる時、祈りの機会が奪われているのです。私たちは、人前で祈ることがあります。それは、ともに祈ってもらいたいからです。みんなで祈る必要があるからです。ミサやことばの祭儀といった集会で祈願をささげる時、司会者や司式者、先唱者は、「祈りましょう」と呼びかけます。一人の祈りではないからです。みんなの祈りだからです。


今日の福音には、「一人の貧しいやもめ」も登場し、祈りをささげます。「自分の持っている物をすべて、生活費を全部」、神にささげる祈りです。神にささげるという思いがあれば、言葉がなくても、すべてが祈りになります。このやもめは、自分の生活のすべてを、神にささげます。こうして彼女の日々の生活が、心からの祈りとなるます。毎日を生きることが、祈りそのものとなります。主イエスが言われるように、こうした祈りこそが、本当の祈りです。そして、貧しいやもめは、一人ではありません。これからは、主イエスがいつも、彼女とともに歩み、ともに祈られます。実際、主は、十字架上で、ご自分のすべてをささげておられるのです。貧しいやもめが、主の十字架上の祈りに加わっているということもできます。そして、私たちも、貧しいやもめの祈りに加わるために、ここに集まっているのです。


「一人」のです貧しいやもめのまわりには、「大勢」の金持ちがいます。神殿の賽銭箱に、たくさんのお金を入れます。「たくさん」ですが、「すべて」ではありません。祈りとは、たくさんをささげることではなく、すべてをささげることです。そして、私たちも、やもめのように、すべてをささげるように招かれています。私たちも、すべてをささげることができます。朝、これから始まる一日のすべてを、神にささげることを祈る時、すべてをささげることになります。そして、過ぎ去ろうとしている一日のすべての出来事を、感謝のうちに神にささげる時、すべてをささげたことになります。この時、主イエスも、私たちとともに、ご自分のすべてをささげてくださいます。「わたしたちの主イエス・キリストによって」という、祈りの結びの言葉は、主が、私たちとともに、ご自分をささげてくださるという信仰宣言なのです。毎日忙しくて、祈りをささげる時間が、余裕がないという人もいるでしょう。何かをしながらでもかまいません。長い祈りをする必要はありません。言葉にならなくてもかまいません。まず心を落ち着かせましょう。そして、感謝のうちに、思い起こしましょう、神に深く愛されていることを。心から感謝しましょう、多くの人に支えられていることを。願い求めましょう、神と隣人を愛することを。喜びましょう、祈りをささげられることを。そして、まわりの人と分かち合いましょう、祈る喜びを。この分かち合いこそが、福音を宣べ伝えることなのです。私たちが宣べ伝えている神の国は、祈りの国なのです。神の国は、皆が安心して、喜びのうちに、神のため、隣人のため、すべてをささげることができるところなのです。


私たちは今、祈るように招かれています。もうすぐ始まる聖年の準備のために、ともに祈りたいと思います。祈りながら、聖年を迎えたいと思います。聖年は、毎日の生活が巡礼となる時です。その巡礼を支えるのは、祈りです。というより、巡礼とは、祈りそのものです。「希望の巡礼者」である私たちの祈りが、この世界に希望をもたらしますように。祈ることが困難になっている、この世界が、祈る心を回復しますように。

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