12月1日「待降節第1主日」の聖書朗読と説教
一場神父から上記説教等が届きましたので掲載します。
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京丹ブロックの皆様
いつもお世話になり、ありがとうございます。
12月1日「待降節第1主日」の聖書朗読と説教をお送り致します。「ことばの祭儀」は、12月1日(日)午前7時に公開予定です。よろしくお願い致します
教会の典礼の歩みの新たな一年の始まりです。実り多い一年となりますように、ともに祝いましょう。皆様のためにお祈りしています。
一場
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【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)
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〔12月1日/待降節第1主日〕
【第一朗読/エレミヤ33・14-16】
(エレミヤの預言)
*33・14*見よ、わたしが、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来る、と主は言われる。*15*
その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を生え出でさせる。彼は公平と正義をもってこの国を治める。*16*
その日には、ユダは救われ、エルサレムは安らかに人の住まう都となる。その名は、「主は我らの救い」と呼ばれるであろう。
【答唱詩編】
すべての人の救いを願い、わたしはあなたを待ち望む。
(詩編25)
*25・4*神よ、あなたの道を示し、
その小道を教えてください。
*5a*あなたの真理のうちに、
わたしを導き、さとしてください。
*8*神はあわれみ深く正義に満ち、
罪びとに道を示される。
*9*神は貧しい人を正義に導き、
へりくだる人にその道を教えられる。
*10*契約とさとしを守る人に、
神への小道はいつくしみとまことにあふれる。
*14*神をおそれる人に神は心を開き、
契約を示し、さとされる。
【第二朗読/①テサロニケ3・12-4・2】
(使徒パウロのテサロニケの教会への手紙)
皆さん、*3・12*
どうか、主があなたがたを、お互いの愛とすべての人への愛とで、豊かに満ちあふれさせてくださいますように、わたしたちがあなたがたを愛しているように。*13*
そして、わたしたちの主イエスが、御自身に属するすべての聖なる者たちと共に来られるとき、あなたがたの心を強め、わたしたちの父である神の御前で、聖なる、非のうちどころのない者としてくださるように、アーメン。
*4・1*
さて、兄弟たち、主イエスに結ばれた者としてわたしたちは更に願い、また勧めます。あなたがたは、神に喜ばれるためにどのように歩むべきかを、わたしたちから学びました。そして、現にそのように歩んでいますが、どうか、その歩みを今後も更に続けてください。
*2*わたしたちが主イエスによってどのように命令したか、あなたがたはよく知っているはずです。
【福音朗読/ルカ21・25-28、34-36】
アレルヤ、アレルヤ。主よ、あなたの慈しみを示し、救いをお与えください。アレルヤ、アレルヤ。
(ルカによる福音)
そのとき、イエスは弟子たちに言われた。*21・25*
「太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。*26*
人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。*27*
そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。*28*
このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。
*34*放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。*35*
その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。*36*
しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」
[説教]
12月21日は、夜の時間が最も長くなる日である冬至です。その日まで、闇の時間が長くなっていきます。今日から始まる待降節は、長い夜を過ごす時なのです。今日、主イエスは私たちに、この長い夜に、「いつも目を覚まして祈りなさい」と呼びかけておられます。
今、この世界では、目を背けたくなる出来事が起こっています。大切ないのちが、大切でないものの犠牲になっています。多くの人の生きる権利が、幸福になりたいという希望が、少数の者たちの欲望によって踏みにじられています。まさに、「海がどよめき荒れ狂う」ような状況です。多くの人は、こうした世界の現状を目の当たりにして、「なすすべを知らず、不安に陥」っています。そして、「心が鈍く」なっています。心を鈍くすることで、世界から逃げています。目の前に広がる世界から逃げて、小さな画面の世界で、一日を過ごそうとしています。自分にとって心地よい情報だけに接することで、心を鈍くしています。何か悪い事が起こると、明らかになると、誰かを悪者にすることで、私たち一人ひとりの責任から逃れようとしています。「私一人が何かをしても、この世界は変わらない」と思い込み、諦めています。
この世界は今、長く、深い闇の中にあります。しかし、どれほど夜の闇が長くなったとしても、昼の光は必ず訪れます。昼の時間は短くなっていっても、昼がなくなることはありません。待降節は、夜の闇を過ごす時です。この世界が闇に覆われていることに、敏感に気づく時です。闇を闇として受け止める時です。偽りの光で心を鈍くすることなく、真の光を待ち望む時です。私たちにとっての真の光とは、救い主イエスです。待降節は、真の光である救い主を待ち望む時です。この世界の闇をしっかりと受け止めて、真の光を待ち望む時です。
真の光、主イエスは、一度、この世界に来られました。私たちは今、主に再び来られるのを待ち望んでいます。私たち、キリストを信じる者は、主を知っています。聖書の御言葉や秘跡、日々の祈りを通して、主との、確かな交わりの中で、生かされています。待降節は、私たちが、主と直接出会える日が来ることを、心から願う時です。心から願って、深い闇の中で、「いつも目を覚まして祈り」続ける時です。どう祈れば良いでしょう。長い祈りをする必要はありません。例えば、「神よ、私を力づけ、急いで助けに来てください」と、心から祈り続ければ、目を覚まして祈っていることになります。この世界で起こっている、いのちを蔑ろにする出来事に、しっかりと心の目を向けて、祈り続ければ、皆で祈り続ければ、力強い祈りとなります。その時、神の御言葉にも心を向けたいと思います。待降節は、御言葉が人となられたことを祝う降誕祭の準備の時でもあります。降誕祭を喜びのうちに迎える準備のためにも、聖書の御言葉に親しみたいと思います。例えば、主日の朗読聖書を繰り返し味わうことで、御言葉に親しむことができます。そして、オンライン版『教会の祈り』も利用できるようになりました。聖年が、もうすぐ始まります。私たちは、この待降節を、祈りながら聖年を迎える時として、過ごすように招かれています。スマートフォンを見る時間を、その一部を、祈りの時間として過ごすように招かれています。この待降節、ともに祈りましょう。目を覚まして祈り続けましょう。
目を覚まして祈り続ける時、私たちは、神の愛の中で生かされていることになります。私たちは皆、神に愛されています。すべてのいのちは、神に、深く愛されています。私たちは、神に愛されるために、祈るのではありません。神に愛されているから、祈るのです。深く愛されているから、無条件で愛されているから、祈ることができるのです。祈りたいのに祈れないと、嘆くことができるのです。私たち教会は、いつも祈っています。祈る私たちの姿は、愛されている教会の姿です。愛されている教会の姿は、神が、この世界を深く愛しておられることを証ししています。教会は、世界の中で生きているからです。神に愛されている世界の一部として、生きているからです。
主イエスの呼びかけに答えて、この世界の中で、目を覚まして祈り続けましょう。「身を起こして頭を上げて」祈り続けましょう。そして、神に愛されていることの喜びを、まわりの人と分かち合いましょう。愛を否定する悪からの「解放の時は近い」のです。そして、今日の第二朗読で、使徒パウロは、私たちのために、すべての人ために、すべてのいのちのために、主に祈っています。「どうか、主があなたがたを、お互いの愛とすべての人への愛とで、豊かに満ちあふれさせてくださいますように。」この祈りは、必ず実現します。この希望のうちに、「希望の巡礼者」として歩んでいきましょう。
※日ごとの福音(毎日の朗読聖書が載っています。)
https://www.higotonofukuin.org/
※オンライン版『教会の祈り』
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