12月25日「主の降誕(日中)」の説教
- kiotanblock
- Dec 21, 2023
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12月25日「主の降誕(日中)」の説教
一場神父から12月25日「主の降誕(日中)」の説教が届きましたので掲載します。
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小教区窓口の皆様
いつもお世話になり、ありがとうございます。
「主の降誕(日中)」の説教をお送り致します。今回は、ことばの祭儀ではなく、「福音朗読と説教」として、12月25日(月)午前9時に公開予定です。
よろしくお願い致します。
一場
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【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)
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〔12月25日/主の降誕(日中)〕
【第一朗読/イザヤ52・7-10】
【第二朗読/ヘブライ1・1-6】
【福音朗読/ヨハネ1・1-5、9-14】
【説教】
「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」私たちは今日、この福音を分かち合っています。
「言は神」です。ヘブライ人への手紙によれば、「御子によってわたしたちに語られ」る神です。私たちに語られることで、語り続けられることで、私たちと交わりを持たれる神です。
この言である神が、交わりを深めるために、「肉となって」、この地球に来られました。「肉となる」とは、深い交わりを持つということです。「肉」は、弱く滅びゆくものを意味します。そして、弱く滅びゆくものだからこそ、「つながり」を必要としています。人間同士のつながりだけではありません。すべてのいのちは、つながり合うことで、生きることができるのです。「肉」であるということは、「つながり」を生きているということであると言えるのです。まわりとつながっているからこそ、弱いままで生きることができるのです。未来とつながっているからこそ、安心して、滅びることができるのです。この「つながり」が、つながりの喜びが、御子キリストがもたらされた交わりではないでしょうか。
今日の福音が宣言しているように、この「言の内に命があ」るのです。この「命は人間を照らす光」なのです。「命」とは、「つながっている」ことであると言えます。人間は、まわりとつながっていることを知る時、ものごとを、本当の意味で、知っていることになります。光に照らされていることになります。まわりとのつながりに感謝できる時、生きていることの意味を理解できます。光の中を生きていることになります。
人間は、人間以外のの存在のように、自然につながり合うことはできません。むしろ、つながりを断ち切って生きようとします。まわりの自然とのつながりを断ち切って、より便利で快適な生活を求めようとします。そうして、自然を破壊していきます。さらに、まわりの人とのつながりを断ち切って、自分だけで生きようとします。自分だけが利益を得て、それを守ろうとします。そうして、戦争を引き起こします。何度も何度も、引き起こします。人間は、つながりを断ち切って、「暗闇の中」にとどまろうとしているのです。温かい肉を捨てて、冷たい機械になろうとしているのです。いのち全体、いのちの未来を考えず、目先の問題だけを解決しようとする機械になろうとしているのです。出会う人すべてと交わりを持とうとせずに、味方と敵を瞬時に識別する機械になろうとしているのです。「暗闇の中」にいることが平和だと思い込んでいるのです。
しかし、それでもなお「光は暗闇の中で輝いている」のです。「つながり」と「交わり」の神は、「肉となって、わたしたちの間に宿られた」のです。私たちとともに生きることで、私たちとつながり、交わってくださるのです。私たちは、1月8日の「主の洗礼」まで、この「恵みの良い知らせを伝え」たいと思います。
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