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12月4日「待降節第2主日」朗読と説教

  • kiotanblock
  • Dec 2, 2022
  • 7 min read

12月4日「待降節第2主日」朗読と説教


 一場神父から12月4日「待降節第2主日」朗読と説教が届きましたので掲載します


◆ ◆ ◆

12月4日「待降節第2主日」朗読と説教


小教区役員窓口の皆様


いつもお世話になり、ありがとうございます。

12月4日「待降節第2主日」の朗読箇所と説教をお送り致します。


「ことばの祭儀」の配信は、12月4日(日)午前7時の予定です。よろしくお願い致します

◆ ◆ ◆

皆様のためにお祈りしています。一場


【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


〔12月4日/待降節第2主日〕


【第一朗読/イザヤ11・1-10】


イザヤの預言


その日、

11・1エッサイの株からひとつの芽が萌えいで

その根からひとつの若枝が育ち

2その上に主の霊がとどまる。

知恵と識別の霊

思慮と勇気の霊主を知り、畏れ敬う霊。

3彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。

目に見えるところによって裁きを行わず

耳にするところによって弁護することはない。

4弱い人のために正当な裁きを行い

この地の貧しい人を公平に弁護する。

その口の鞭をもって地を打ち

唇の勢いをもって逆らう者を死に至らせる。

5正義をその腰の帯とし真実をその身に帯びる。


6狼は小羊と共に宿り豹は子山羊と共に伏す。

子牛は若獅子と共に育ち小さい子供がそれらを導く。

7牛も熊も共に草をはみその子らは共に伏し

獅子も牛もひとしく干し草を食らう。

8乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ幼子は蝮の巣に手を入れる。

9わたしの聖なる山においては何ものも害を加えず、

滅ぼすこともない。

水が海を覆っているように大地は主を知る知識で満たされる。

10その日が来ればエッサイの根はすべての民の旗印として

立てられ国々はそれを求めて集う。

そのとどまるところは栄光に輝く。


【答唱詩編/詩編72・2+4、7+8、12+13】


すべての王はあなたの前にひざをかがめ、すべての国はあなたに仕える。


詩編72


72・2主は正義に満ちて民を治め、

まことをもって苦しむ人を心にかけてくださる。

4主はさばきによって貧しい人を守り、

しいたげる者から救ってくださる。


7主が治められる世には正義が栄え、

月のある限り平和が続く。

8主は海のかなたまで治め、

その支配は地の果てにまでおよぶ。


12主は助けを求める名もない人と、

見捨てられた人を救われる。

13貧しくふしあわせな人をあわれみ、

苦しむ人に救いをもたらされる。



【第ニ朗読/ローマ15・4-9】


使徒パウロのローマの教会への手紙


皆さん、15・4かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためのものです。それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。5忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、6心を合わせ声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように。


7だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。8わたしは言う。キリストは神の真実を現すために、割礼ある者たちに仕える者となられたのです。それは、先祖たちに対する約束を確証されるためであり、9異邦人が神をその憐れみのゆえにたたえるようになるためです。


「そのため、わたしは異邦人の中であなたをたたえ、

あなたの名をほめ歌おう」

と書いてあるとおりです。



【福音朗読/マタイ3・1-12】


アレルヤ、アレルヤ。主の道を整え、その小道を整えよ。すべての人は神の救いを見る。アレルヤ、アレルヤ。


マタイによる福音


3・1そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、2「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。3これは預言者イザヤによってこう言われている人である。

「荒れ野で叫ぶ者の声がする。

『主の道を整え、

その道筋をまっすぐにせよ。』」

4ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。5そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、6罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。


7ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。8悔い改めにふさわしい実を結べ。9『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。10斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。11わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。12そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」



【説教】


「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」待降節は、荒れ野を歩む時です。荒れ野で叫ぶ者の声に耳を傾ける時です。叫び声に加わる時です。


荒れ野では、今まで当たりまえだったことが当たりまえでなくなります。簡単に手に入っていたものが、手に入らなくなります。入りにくくなります。戦争が続いています。平和の実現が困難になっています。電気やガス、食料品の価格が高騰しています。寒さにふるえ、十分に食べることができない人が増えています。今、私たちは、荒れ野を歩んでいます。


荒れ野は、困難を経験するところです。しかし、不平や不満を口にするところではありません。さまざまな困難を経験することで、本当に大切なことに気づくところです。気づいて、与えられているものに感謝するところです。そして、自分より困難な生活を強いられている人のことに思いをはせるところです。自分だけ幸せならば良いという思いを捨てるところです。皆で幸せになりたいと願うところです。私たちは、今、荒れ野で生きています。


荒れ野は、神と出会うところです。すべてに、神の恵みを、神の愛を見いだすところです。神がともにおられるから、生きていける。神がおられなければ、生きていけない。そういう思いが抱けるところです。そして、荒れ野は、隣人と出会うところです。隣人の愛に気づくところです。私たちは、隣人に支えられて生きています。荒れ野は、隣人のありがたさを実感するところなのです。私たちは、今、荒れ野で生かされています。


荒れ野は、苦難に満ちたところです。だから、私たちは、荒れ野を一人で歩むことができません。一人で歩もうとすれば、死んでしまいます。そして、荒れ野は、愛に満ちたところです。だから、私たちは、荒れ野をともに歩むことができます。ともに歩めば、生き続けることができます。


荒れ野は、ともに歩むところです。荒れ野をともに歩む時、そこに、「主の道」ができます。主の道は、主イエスがともに歩んでくださる道です。私たちが、救い主イエスと出会う道です。そして、愛が、この道筋をまっすぐにします。主イエスのまっすぐな愛が、私たちの愛をまっすぐにします。神への愛、隣人愛がまっすぐになります。


しかし、神や隣人のことを忘れてしまう時があります。神に見捨てられた。隣人に裏切られた。そんな思いに囚われる時があります。主の道が曲がってしまうことがあります。道筋が曲がった時は、この道のゴールである「天の国」に心を向けましょう。「悔い改め」ましょう。天の国は、「近づい」ています。天の国は、もう来ています。荒れ野は、天の国の始まりです。悔い改めとは、この世界が荒れ野であることを思い出すことです。この世界を、荒れ野として、新たに歩み始めることです。主イエスとともに、隣人とともに、愛を新たにして、歩み始めることです。荒れ野とは、悔い改め続けるところなのです。


今日は、「宣教地召命促進の日」です。荒れ野は、「天の国は近づいた」という福音が宣べ伝えられるところです。この福音が宣べ伝えられるために、「叫ぶ者」が必要です。奉献生活者や司祭は、荒れ野で叫ぶ者です。しかし、洗礼の恵みを受けた者は皆、叫ぶ者となるよう召されています。それぞれの生活の場で、叫ぶ者として生きるよう召されています。そして、荒れ野で叫ぶ者は、叫ぶ声に耳を傾ける者でもあります。荒れ野で福音を宣べ伝える者は、キリスト者だけではありません。私たちキリスト者は、荒れ野で叫ぶ者の声に耳を傾けたいと思います。まわりの声に、謙虚に耳を傾けたいと思います。とくに、社会の弱い立場に追いやられている人の叫びに耳を傾けたいと思います。私たちが生きる荒れ野を、叫び声を分かち合う場にしたいと思います。



私たちは、荒れ野で叫ぶ者です。この世界という荒れ野は、神と出会い、隣人とともに生きていくところです。困難や苦難が大きくなればなるほど、愛が大きくなるところです。そして、主イエスの救いを分かち合うところです。こうした荒れ野という福音を宣べ伝えていきましょう。

--


一場 修



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