12月8日「待降節第2主日」の聖書朗読と説教
- kiotanblock
- Dec 5, 2024
- 7 min read
12月8日「待降節第2主日」の聖書朗読と説教
一場神父から上記説教等が届きましたので掲載します。
◆◆◆
京丹ブロックの皆様
いつもお世話になり、ありがとうございます。
12月8日「待降節第2主日」の聖書朗読と説教をお送り致します。「ことばの祭儀」は、12月8日(日)午前7時に公開予定です。よろしくお願い致します
9日は、「無原罪の聖母マリア」の祭日です。この世界が、罪の闇から解放されて、平和な世界となりますように、聖母マリアの取り次ぎを願い求めましょう。皆様のためにお祈りしています。
一場
◆◆◆
【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)
◆◆◆
{12月8日/待降節第2主日〕
【第一朗読/バルク5・1-9】
(バルクの預言)
*5・1*エルサレムよ、悲しみと不幸の衣を脱ぎ、
神から与えられる栄光で永遠に飾れ。
*2*神から与えられる義の衣を身にまとい、
頭に永遠なる者の栄光の冠をつけよ。
*3*神は天の下のすべての地に
お前の輝きを示される。
*4*お前は神から「義の平和、敬神の栄光」と呼ばれ、
その名は永遠に残る。
*5*エルサレムよ、立ち上がれ、
高い山に立って東の方に目を向けよ。
お前の子らは、
神が覚えていてくださったことを喜び、
西からも東からも
聖なる者の言葉によって集められる。
*6*お前の子らは敵に追い立てられ、
徒歩でお前のもとを去ったが、
神は彼らを、玉座につく王のように高く上げ、
栄光のうちにお前のもとに連れ戻される。
*7*すべての高い山、果てしなく続く丘は低くなれ、
谷は埋まって平地になれ、と神は命じられた。
それはイスラエルが神の栄光に包まれ、安全に歩むため。
*8*森も、香り高いすべての木々も、
神の命令でイスラエルのために木陰をつくる。
*9*神は自らの慈しみと義をもって栄光の輝きを表し、
喜びのうちにイスラエルを導かれる。
【答唱詩編/詩編126・1+2ab、2cd+3、4+6】
涙のうちに種蒔く人は、喜びのうちに刈り取る。
(詩編126)
*126・1*神が捕らわれびとをシオンにもどされたとき、
わたしたちは夢を見ている思いがした。
*2ab*わたしたちの顔はほほえみ、
口には喜びの歌が浮かんだ。
*2cd*国々の民も叫んで言った、
「神は彼らに偉大なわざを行われた」と。
*3*神はわたしたちに偉大なわざを行われ、
わたしたちは喜びにあふれた。
*4*雨のあとにネゲブの川が流れを取りもどすように、
神よ、わたしたちに栄えをもどしてください。
*6*種を手に涙を流して出て行く人は、
束をかかえ、喜びにあふれて帰ってくる。
【第二朗読/フィリピ1・4-6、8-11】
(使徒パウロのフィリピの教会への手紙)
皆さん、わたしは、*1・4*あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。*5*
それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。*6*
あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。*8*
わたしが、キリスト・イエスの愛の心で、あなたがた一同のことをどれほど思っているかは、神が証ししてくださいます。*9*
わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、*10*
本当に重要なことを見分けられるように。そして、キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、*11*
イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとをたたえることができるように。
【福音朗読/ルカ3・1-6】
アレルヤ、アレルヤ。主の道を整え、その小道を整えよ。すべての人は神の救いを見る。アレルヤ、アレルヤ。
(ルカによる福音)
*3・1*
皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、
*2*アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。*3*
そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。*4*
これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。
「荒れ野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を整え、
その道筋をまっすぐにせよ。
*5*谷はすべて埋められ、
山と丘はみな低くされる。
曲がった道はまっすぐに、
でこぼこの道は平らになり、
*6*人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」
[説教]
待降節を過ごしている私たちは、「荒れ野」を歩むように招かれています。洗礼者ヨハネとともに、「荒れ野で叫ぶ者」として歩むように励まされています。
「荒れ野」は、どこにあるでしょうか。使徒パウロの、今日の祈りが、一つの答えを示しています。パウロは、私たちのために祈っています。「知る力と見抜く力を身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。」荒れ野は、まず第一に、知る力と見抜く力を身に着けるところです。私たちが知りたいことは、神のみこころです。神のみこころを知るためには、祈りが必要です。祈りとは、神のみこころを知ることなのです。そして、神のみこころを知る力、祈る力は、祈り続けることで身に着くのです。荒れ野とは、神への祈りがささげ続けられるところなのです。「みこころが天に行われるとおり地にも行われますように」という願いが、真剣にささげられるところなのです。それでは、「見抜く力」とは何がしょうか。荒れ野は、神のみこころに反するものごとにあふれたところでもあります。私たちは、神に反するものごとを見抜く力を身に着けるためにも、祈り続けるのです。
先日、パレスチナのガザ地区中部で、先月の29日、子ども2人と女性1人が、パンを売る店の外に並んでいる時、圧死する事故が発生したと伝えていました。その一方で、今、特にクリスマス期間、同じ世界の中で、たくさんの食べ物が捨てられています。多くの人が、命がけで食料を求めている一方で、あまりにも多くの食料が、売れないから、美味しくないから、食べ残したからといった理由だけで、日々廃棄されているのです。この待降節、私たちは、こうした、神のみこころに反することを見抜き、みこころが、この世界で行われるように祈らなければならないのです。
荒れ野は、私たちの祈りの声が響くだけのところではありません。私たちの「愛がますます豊かにな」るところです。待降節は、主が来られるのを待つ時です。待つことは、愛することです。愛していれば、待つことができます。待てば待つほど、愛は深く、大きくなっていきます。そして、誰かを、何かを待つ間、その人やそのことが、いかに大切であるかに気づかされます。本当に重要なことは、時間をかけることで、待つことで見えてきます。今の世界では、待つことができない、待つことがよくないとされています。5分後、10分後に次の電車やバスが来るのに、それを待てずに走ってしまいます。待たされると、損をしたような気持ちになります。もし乗り遅れて、待つ時間が与えられたら、祈りましょう。待つ時間を、祈りのための大切な時間にしましょう。もちろん、祈り以外のことをしてもかまいません。普段忙しくて、考えることができないことを、思い巡らしましょう。本当に重要なことに、特に、まわりの人への愛に心を向けましょう。待つことが、時間をかけることが失われたところに、愛はありません。荒れ野は、時間をかけて歩むところです。そして、この地球で、ともに生きている仲間とともに歩むところです。仲間に待ってもらいながら、仲間を待ちながら、歩みを進めるところです。急いで行こうとしたら、一人で歩もうとしたら、生きていくことができないのです。荒れ野を、ゆっくり、互いに気遣いながら歩む時、私たちの愛は、豊かになっていくのです。
荒れ野で、洗礼者ヨハネは叫びます。「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。」主イエスは、私たちのところに来ようとされています。私たちは、主が来られる道を、祈りと愛で、整え、まっすぐにするよう求められています。私たちの愛と祈りこそが、主の道です。この道を通って、主が、この世界に来られます。そして、この世界の人びとは、「神の救いを仰ぎ見る」ことになるのです。そして、明日は、「無原罪の聖母マリア」の祭日です。聖母マリアは、まっすぐな心で、主を迎えました。私たちも、聖母マリアの取り次ぎによって、主を迎える心をまっすぐにしていただきましょう。
「恵み豊かな神よ、御子を迎えに急ぐわたしたちが、あなたの力に強められて罪の妨げに打ち勝ち、キリストに結びばれることができますように。」
コメント