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2月9日「年間第5主日」の聖書朗読と説教

  • kiotanblock
  • Feb 5
  • 8 min read

2月9日「年間第5主日」の聖書朗読と説教


 一場神父から上記説教等が届きましたので掲載します。


◆◆◆


京丹ブロックの皆様


いつもお世話になり、ありがとうございます。


2月9日「年間第5主日」の聖書朗読と説教をお送り致します。「ことばの祭儀」は、2月9日(日)午前7時に公開予定です。よろしくお願い致します。


厳しい寒さが続いています。皆様、どうぞご自愛ください。皆様のために、毎日お祈りしています。


一場


◆◆◆


【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)



◆◆◆


〔2月9日/年間第5主日〕

【第一朗読/イザヤ6・1-2a、3-8】



(イザヤの預言)


*6・1*ウジヤ王が死んだ年のことである。


わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。*2a*上の方にはセラフィムがいた。*3*

彼らは互いに呼び交わし、唱えた。

「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。

主の栄光は、地をすべて覆う。」


*4*この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。*5*わたしは言った。


「災いだ。わたしは滅ぼされる。

わたしは汚れた唇の者。

汚れた唇の民の中に住む者。

しかも、わたしの目は王なる万軍の主を仰ぎ見た。」


*6*するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。*7*彼はわたしの口に火を触れさせて言った。


「見よ、これがあなたの唇に触れたので

あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」


*8*そのとき、わたしは主の御声を聞いた。


「誰を遣わすべきか。

誰が我々に代わって行くだろうか。」


わたしは言った。


「わたしがここにおります。

わたしを遣わしてください。」

【答唱詩編】


主をたたえよう。主はいつくしみ深く、そのあわれみは永遠。

(詩編138)


*138・1*神よ、わたしは心を尽くしてあなたに感謝し、

神の使いの前であなたをたたえる。

*2ab*あなたの神殿に向かってひれ伏し、

いつくしみとまことのゆえにあなたに感謝をささげる。


*4*神よ、国々の王はあなたのことばを聞き、あなたをたたえる。

*5*彼らはあなたのわざを喜び歌う。

「神の栄光は偉大。」

*7d*神は右の手でわたしを救われる。


*8*神はわたしに約束されたことを、

すべて成しとげられる。

神よ、あなたのいつくしみは永遠。

造られたすべてのものを見捨てないでください。

【第二朗読/①コリント15・1-11】



(使徒パウロのコリントの教会への手紙)


*15・1*

兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。

*2*

どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。

*3*

最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、

*4*葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、*5*ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。*6*

次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。*7*

次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、*8*そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。

*9*わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。*10*

神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。

*11*とにかく、わたしにしても彼らにしても、このように宣べ伝えているのですし、あなたがたはこのように信じたのでした。

【福音朗読/ルカ5・1-11】


アレルヤ、アレルヤ。わたしのあとに従いなさい。人を捕らえる漁師にしよう。アレルヤ、アレルヤ。

(ルカによる福音)


*5・1*イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。*2*

イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。*3*

そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。

*4*話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。*5*

シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。*6*

そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。*7*

そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。

*8*これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。*9*

とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。*10*

シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」

*11*そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。



[説教]


私たちは、今日の集会祈願で、「あなたの恵みを唯一の希望とするこの家族が、いつもあなたの力によって強められますように」と願いました。今日の朗読は、私たちに、この希望である恵みについて説いています。これから、この恵みを分かち合い、「希望の巡礼者」としての歩みを強めていただこうと思います。


今日の第二朗読で、使徒パウロは、自分が体験した恵みを分かち合っています。それは、復活された主キリストが、「最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れ」たという恵みです。パウロは、主が生きておられることを体験したことで、大きく変えられました。今までの生き方と正反対の生き方をするようになりました。まさに、復活された主から、新たないのちを与えられました。「神の教会を迫害し」ていた者が、「他のすべての使徒たちよりずっと多く働」使徒に変えられたのです。パウロ自身も、はっきりと言っているように、「働いたのは、…神の恵みなのです。」そして、パウロが分かち合う福音は、開かれた福音です。主が現れたという復活体験は、パウロで終わりではなく、続いているのです。すべての人が、このいのちの体験をするように招かれているのです。


今、神の家族として集められている私たちにも、復活され、生きておられるキリストが現れました。そして、いつも、私たちとともにおられます。そして、主がともにおられる時、私たちは、自分が罪人であることに気づかされます。罪人であることを感じることこそ、主がともにおられることの体験なのです。今日の第一朗読で、預言者イザヤは、この体験を語っています。「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は王なる万軍の主を仰ぎ見た。」イザヤの体験は、災いの体験などではなく、恵みの体験だったのです。さらに、今日の福音は、ペトロの体験を伝えています。主がともにおられることを実感したペトロは、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と告げます。主がすぐ近くにおられることを感じているからこそ、恐れが生じて、「離れてください」という言葉が出てきたのです。


罪人であることに気づかされることは、神の恵みです。しかし、神の恵みは、それで終わりません。神は、罪人を赦されます。罪が赦されということは、放っておかれるということではありません。新たないのち与えられ、生き方が変えられるということです。罪を赦されたイザヤは、「誰を遣わすべきか」と問う、主なる神に答えます。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」ペトロも、主イエスに赦され、新たな生き方へと招かれます。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師となる。」ペトロと彼の仲間たちは、主のこの招きに応えます。「すべてを捨てて」という言葉が表しているように、無条件で応えます。主から離れず、主とともに生きる道を歩み始めます。イザヤも、ペトロたちも、大きく変えられるます。復活します。


生き方を変えることができる。今持っているものを手放しても、生きることができる。手放せば、新たな生き方が待っている。新たな生き方は、困難だけではなく、喜びをもたらす。そう思える時、そう信じることができる時、私たちは、希望を持つことができます。今持っているものを失ったら、もう生きることはできない。生き残るために、今持っているものにしがみつくしかない。そのようにしか思えない時、希望は失われます。自分が今持っているものに執着し、まわりの人に奪われるかもしれないと恐れ、自分を守ろうとする時、平和は訪れません。希望のないところに、平和はありません。


今、この世界では、多くの人が希望を奪われています。主イエス従って生きるいる私たちは、主から新たないのちを与えられています。復活の力によって強められています。日々、新たないのちを与えられて、希望を持って生き続けることができます。生き残ることではなく、復活することを信じています。このいのちの希望をまわりの人と分かち合いながら、希望がもたらす平和を分かち合いながら、歩んでいきたいと思います。希望の巡礼者として、この世界の中で歩んでいきたいと思います。自分が今いるところにとどまるだけでなく、「沖に漕ぎ出して」、希望という「網を降ろし」たいと思います。

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