〔3月16日/四旬節第2主日〕
- kiotanblock
- Mar 13
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Updated: Mar 20
3月16日「四旬節第2主日」の聖書朗読と説教
一場神父から上記説教等が届きましたので掲載します。
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京丹ブロックの皆様
いつもお世話になり、ありがとうございます。
3月16日「四旬節第2主日」の聖書朗読と説教をお送り致します。「ことばの祭儀」は、3月16日(日)午前7時に公開予定です。よろしくお願い致します。
寒暖差が大きい時です。体調を崩さないように、くれぐれもお気をつけください。いつもお祈りしています。一場
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【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)
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〔3月16日/四旬節第2主日〕
【第一朗読/創世記15・5-12、17-18】
(創世記)
その日、*15・5*
主はアブラムを外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」
*6*アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
*7*主は言われた。
「わたしはあなたをカルデアのウルから導き出した主である。わたしはあなたにこの土地を与え、それを継がせる。」
*8*アブラムは尋ねた。
「わが神、主よ。この土地をわたしが継ぐことを、何によって知ることができましょうか。」
*9*主は言われた。
「三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩と、鳩の雛とをわたしのもとに持って来なさい。」
*10*アブラムはそれらのものをみな持って来て、真っ二つに切り裂き、それぞれを互いに向かい合わせて置いた。ただ、鳥は切り裂かなかった。*11*
はげ鷹がこれらの死体をねらって降りて来ると、アブラムは追い払った。
*12*日が沈みかけたころ、アブラムは深い眠りに襲われた。すると、恐ろしい大いなる暗黒が彼に臨んだ。*17*
日が沈み、暗闇に覆われたころ、突然、煙を吐く炉と燃える松明が二つに裂かれた動物の間を通り過ぎた。
*18*その日、主はアブラムと契約を結んで言われた。
「あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで。」
【答唱詩編】
神よ、あなたの顔の光をわたしたちの上に照らしてください。
(詩編27)
*27・1*神はわたしの光、わたしのすくい、
わたしはだれもおそれない。
神はわたしのいのちのとりで、
わたしはだれをはばかろう。
*4*わたしは神に一つのことを願いもとめている。
生涯神の家を住まいとし、
あかつきとともに目ざめ、
神の美しさを仰ぎ見ることを。
*7*神よ、わたしの声を聞き、
わたしをあわれみ、こたえてください。
わたしの心はささやく、「神の顔を尋ねもとめよ。」
*8*神よ、あなたの顔をわたしは慕い求める。
【第二朗読/フィリピ3・17-4・1】
(使徒パウロのフィリピの教会への手紙)
*3・17*兄弟たち、皆一緒にわたしに倣う者となりなさい。また、あなたがたと同じように、わたしたちを模範として歩んでいる人々に目を向けなさい。*18*
何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。*19*
彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。*20*
しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。*21*
キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。
*4・1*だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によってしっかりと立ちなさい。
【福音朗読/ルカ9・28b-36】
輝く雲の中から父の声が聞こえた。「これはわたしの愛する子。彼に聞け。」
(ルカによる福音)
そのとき、*9・28b*イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。*29*
祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。*30*見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。*31*
二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。*32*
ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。*33*
その二人がイエスから離れようとしたとき、ペトロがイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、自分でも何を言っているのか、分からなかったのである。
*34*ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。*35*
すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた。*36*
その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。
[説教]
主イエスは今、受難への道を歩んでおられます。私たちも、主とともに、この道を歩んでいます。四旬節とは、受難の道を、ともに歩む時なのです。復活という希望のうちに、ともに歩む時なのです。
今日の福音は、主イエスの栄光の姿を伝えています。そして、栄光に輝く主とともに、モーセとエリヤが、この「栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムに遂げようとしておられる最後について話していた」と述べています。主の栄光の輝きは、受難の栄光の輝きなのです。そして、三人は、この受難の栄光に包まれて、受難について分かち合っているのです。ペトロは、この分かち合いが、ずっと続くことを願って、「仮小屋を三つ建て」ることを提案します。しかし、ペトロの願いはかなられることなく、「そこにはイエスだけがおられ」るということになります。「イエスだけがおられる」、このことだけで十分なのです。私たちに必要なのは、三つの仮小屋ではなく、主の受難を分かち合いながら歩んでいく、一つの共同体なのです。モーセとエリヤも、この共同体の一員なのです。
主イエスの受難を分かち合うということは、聖書の分かち合いだけ、言葉を通しての分かち合いだけではありません。主と苦しみをともにして、毎日を生きていくことです。主は今も、苦しんでおられます。今の、この世界では、多くの人が苦しんでいます。主は、すべての人とともに苦しんでおられます。苦しんでいる人の一人一人とともに苦しんでおられのです。すべての人の苦しみを知っておられるのです。主イエスは、真の神であり、真の人間です。真の神は、全知全能の神です。すべてのいのちの苦しみを知り、すべてのいのちとともに苦しむ、完全に苦しむことがおできになる方です。そして、人間として、今、苦しんでおられる方です。この苦しむ姿こそが、主の栄光の姿なのです。そして、私たちも今、まわりの人ととも、苦しみを分かち合うように励まされているのです。自分が苦しい時は、苦しみを分かち合ってくれる人がまわりにいることを思い出すように励まされているのです。私たちが、苦しみを分かち合う時、主の「栄光に包まれ」るのです。
今日の第二朗読で、使徒パウロは、「わたしたちの本国は天にあります」と宣言しています。天とは、完成された神の国のことです。この世界が、天の愛に満たされることです。すべてのいのちが、互いに愛し合うようになるということです。天とは、私たちの希望です。今はまだ実現していない希望です。しかし、誰もが実現することを、強く望んでいる希望です。そして、必ず実現する希望です。天という希望が実現する時、私たちの、今の体は皆、主イエスの「栄光ある体と同じ形に変え」られます。愛の体に変えられます。その時、私たちは、愛そのものに変えられ、愛そのものである「天」で生きるようになるのです。そして、今、私たちは、愛に完成である天をめざして、希望の巡礼者として歩み続けているのです。
今日の第一朗読に登場するアブラムも、希望の巡礼者です。神は、彼の子孫に、土地を与えると約束されます。その土地とは、「エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで」です。エジプトの川は、ナイル川ではありません。シナイ半島の荒れ野を流れる、小さな川です。そして、チグリス川に至るまでではありません。つまり、ナイル川流域の豊かな土地も、ユーフラテス川とチグリス川に挟まれた豊かな土地も、神の約束には入っていません。神は、物資的に豊かな土地を与えるとは約束されていないのです。神は、アブラムの子孫の物質的豊かさを約束されているのではないのです。神は、彼の子孫が愛において豊かになるように、物資的に貧しい土地を与えられるのです。一人一人が、それぞれの仮小屋に生きるのではなく、ともに生きることを望まれるのです。すべてを分かち合いながら生きることで、愛を生きることができるように導いてくださるのです。私たちも、このアブラムの旅、モーセとエリヤの分かち合いの旅、主イエスの愛に輝く旅を続けるように招かれています。この愛の旅を、希望の巡礼者として、ともに歩み続けましょう。
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