5月21日「主の昇天」の朗読聖書と説教
- kiotanblock
- May 15, 2023
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5月21日「主の昇天」の朗読聖書と説教
一場神父から5月21日「主の昇天」の朗読聖書と説教が届きましたので掲載します
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小教区窓口の皆様
いつもお世話になり、ありがとうございます。
5月21日「主の昇天」の朗読聖書と説教をお送り致します。
「ことばの祭儀」は、5月20日(土)午後7時に公開予定です。よろしくお願い致します
皆様のためにお祈りしています。
一場
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【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)
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〔5月21日/主の昇天〕
【第一朗読/使徒言行録1・1-11】
使徒たちの宣教
1・1-2テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。
3イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。4そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。5ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」
6さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。7イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。8あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」9こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。10イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、11言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」
【答唱詩編/詩編47・2+3、6+7、8+9】
主はのぼられた、喜びの叫びのうちに。
詩編47
47・2すべての民よ、手を打ち鳴らし、
神に喜びの叫びをあげよ。
3すべてを越える神、おそるべきかた、
世界を治める偉大な王。
6主は喜びの叫びのうちに、
角笛の響きとともにのぼられた。
7神をたたえてほめ歌え。
わたしたちの王をほめ歌え。
8まことに神は世界の王。
力の限りほめ歌え。
9神は諸国の民を導き、
とうとい座についておられる。
【第二朗読/エフェソ1・17-23】
使徒パウロのエフェソの教会への手紙
皆さん、1・17どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、18心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。19また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。20神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、21すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。22神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。23教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。
【福音朗読/マタイ28・16-20】
アレルヤ、アレルヤ。全世界に行き、すべての人をわたしの弟子にしなさい。わたしは世の終わりまでいつもあなたがたとともにいる。アレルヤ、アレルヤ。
マタイによる福音
28・16そのとき、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。17そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。18イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。19だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、20あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
【説教】
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」マタイ福音書の最後のことば、最も大切なことばです。主の昇天の祭日である今日、私たちは、この福音を分かち合いたいと思います。
「主の昇天」とは、主が私たちから離れ、遠くに行かれるということではありません。主が、いつでも、どこでも、私たちとともにおられるようになるということです。私たち一人ひとりの、いちばん近くにおられるようになるということです。今日の福音で、主は、「父と子と聖霊の名によって洗礼を授け」よう命じておられます。洗礼は、父と子と聖霊である神が、どのような時も、ともにおられるという恵みです。神の愛の中で生きるという恵みです。私たちが神の愛の中で生き、神の愛が私たちの中で生きているという恵みです。ですから、主イエスは、神がともにおられるという恵みを、日々出会う人と分かち合いなさいと命じておられるのです。キリスト教信者を増やしなさい、教勢を拡大しなさいという命令ではありません。まわりの人と愛を分かち合い、愛をともに生きていきなさいという命令なのです。愛をともに生きていく仲間を増やしなさいという命令なのです。洗礼は、愛をともに生きていくという恵みなのです。
さらに、主イエスは、私たちに言っておられます。「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」主が命じておられることは、互いに愛し合いなさいということです。主は、いつも私たちとともにおられ、互いに愛し合いなさいと命じておられます。日々の行いのすべてが愛の行いになるよう、呼びかけておられます。すべての行いが愛の行いになるよう、私たちを力づけてくださいます。主は、「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」と言っておられます。この「権能」とは、すべてのいのちを愛することができるという力です。すべての人を愛の実行へと招くことができる力です。主イエスが行使できる権能とは、愛なのです。私たちは、この愛の力を豊かに受けているのです。主イエスに力づけられて、すべてのことを愛の行いとして実行することができるのです。
そして、「世の終わり」とは、すべての人が、すべてのいのちが救われ、本当の幸いを得る時です。私たちは、世の終わりが来ることを信じています。主イエスが、この世に再び来られる時、世の終わりが実現する。そう信じています。そして、私たちは、世の終わりまで、福音を宣べ伝え続けるよう励まされています。私たちが今生きている世界、この地球上では、福音に反することが起こっています。福音に反する状態が続いています。このような状況が、世の終わりと呼ばれることがあります。しかし、終わらなければならないのは、今の福音に反する状況なのです。ですから、私たちは、今まで以上に、福音を宣べ伝えなければならないのです。互いに愛し合いなさいという福音を広げていかなければならないのです。世の終わりとは、絶望や悲嘆のことばではありません。世の終わりとは、希望と喜びのことばなのです。
使徒たちの宣教が伝えているように、私たちは、主イエスとともに、世の終わりまで、福音を宣べ伝え続けます。「地の果てに至るまで、わたしの証人となる」という主のことばを受けて、キリストの証人となります。キリストの姿は見えませんが、キリストは生きておられることの証人となります。私たちは、「天を見上げて立ってい」てはいけないのです。しっかりとこの地上を、自分が生きているところを見つめ、そこから、キリストの証人としての歩みを始めるのです。
主イエスは、天に上げられました。しかし、主は、私たちとともにおられます。使徒パウロが言っているように、私たち教会は、「キリストの体」です。キリストの愛が満ちているところです。キリストの愛が生きているところです。私たちは、キリストの愛を見える愛にしていきたいと思います。世の終わりという愛の完成を目指して、キリストの愛の共同体として、ともに歩んでいきたいと思います。
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