5月5日「復活節第6主日」の聖書朗読と説教
- kiotanblock
- May 1, 2024
- 7 min read
5月5日「復活節第6主日」の聖書朗読と説教
一場神父から上記説教等が届きましたので掲載します。
◆◆◆
小教区窓口の皆様
いつもお世話になり、ありがとうございます。
5月5日「復活節第6主日」の聖書朗読と説教をお送り致します。「ことばの祭儀」は、5月5日(日)午前7時に公開予定です。
よろしくお願い致します。
皆様のためにお祈りしています。
一場
◆◆◆
【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)
◆◆◆
〔5月5日/復活節第6主日〕
【第一朗読/使徒言行録10・25-26、34-35、44-48】
(使徒たちの宣教)
10・25ペトロがカイサリアに来ると、コルネリウスは迎えに出て、足もとにひれ伏して拝んだ。*26*
ペトロは彼を起こして言った。「お立ちください。わたしもただの人間です。」
34そして、ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。*35*
どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。」
44ペトロが話し続けていると、御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った。*45*
割礼を受けている信者で、ペトロと一緒に来た人は皆、聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て、大いに驚いた。*46*
異邦人が異言を話し、また神を賛美しているのを、聞いたからである。そこでペトロは、*47*
「わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか」と言った。*48*
そして、イエス・キリストの名によって洗礼を受けるようにと、その人たちに命じた。それから、コルネリウスたちは、ペトロになお数日滞在するようにと願った。
【答唱詩編/詩編98・1、2+3a、6+7b+8b】
遠く地の果てまで、すべての者が神の救いを見た。
(詩編98)
98・1新しい歌を神にうたえ。
神は不思議なわざを行われた。
神の偉大な右の手、
そのとうとい腕は救いの力。
2神は救いをしめし、
諸国の民に正義を現された。
3aいつくしみとまことをもって、
イスラエルに心を留められる。
6ラッパと角笛を吹き、
神の前で喜びの声をあげよ。
7b世界とそこに住む者は、
8b神の前に喜び歌え。
【第二朗読/①ヨハネ4・7-10】
(使徒ヨハネの手紙)
4・7愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。*8*
愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。*9*
神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。*10*
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。
【福音朗読/ヨハネ15・9-17】
アレルヤ、アレルヤ。わたしを愛する人はわたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛し、私たちはその人のもとに行く。アレルヤ、アレルヤ。
(ヨハネによる福音)
そのとき、イエスは弟子たちに言われた。*15・9*「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。*10*
わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。
11これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。*12*
わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。*13*友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
14わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。*15*
もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。
16
あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。
17互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」
【説教】
使徒ヨハネは、今日、「神は愛」であると宣言しています。さらに、主イエスは、私たちに、「互いに愛し合いなさい」と命じておられます。そして、
今日は、「世界広報の日」です。「コミュニケーション」について考え、この世界に真のコミュニケーションが実現することを祈る日です。
私たち教会にとって、コミュニケーションとは、「神は愛」という福音を伝えることだと言えます。福音の言葉を伝えるだけではありません。「互いに愛し合う」
ことで、愛の「喜び」を分かち合うことであると言えます。
では、「愛する」とは、どういうことでしょうか。私たちは、この問いに、簡単に答えることはできません。主イエスは、
言われます。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」この言葉を答えにして、安心することもできません。主の言葉は、
新たな問いとなります。「友」とは、誰か。「命を捨てる」とはどういうことか。そんな問いが生まれてきます。すべての人を自分の友と見なして、その友のために、
一つしかない自分の命をささげる。そういう答えが、模範回答かもしれません。しかし、この答え通りに実行できるでしょうか。このようにして、
愛について問いは続いていきます。愛についての問いは、終わることがありません。いつまでも、
答えを見いだすことができません。愛とは、問い続けることであると言えます。
今年の世界広報の日のテーマは、「AI と心の知恵」です。AI
は、ある問いや求めに対して、短時間で答えを返す仕組みです。あるデータを別のデータに変換する仕組みです。AIが行なっていることは、計算です。AIは、愛とは何かについて答えることができますが、「愛する」ことはできません。「嬉しい」と答えることはできますが、喜びを感じることはできません。AI
には、からだがありません。
愛は、いつも、問いや求めに答えを返すことことができるとは限りません。愛しているからこそ、答えられない時があります。あえて答えない時もあります。愛しているからこそ、どうしたら良いかわからなくなることがあります。考えれば考えるほど、答えがわからなくなることがあります。愛は、ともに悩み、苦しみ、ともに考えことだと言えます。思い通りに行かず、挫折をすることも、愛の大切な経験の一つであると言えます。
愛は、時として、相手の求めに応じないことであると言えます。自分で考えないようとしない人に、自分で考えるよう求めなければならない場合があります。問いや求めに応じないことが、沈黙することが、愛となる場合があります。愛とは、相手を自分に依存するようにすることではありません。自分がいなくなっても、生きていけるようにすることです。自分との関係が切れても、新しい関係の中で生きていけるように願うことです。
主イエスは、今日、「互いに愛し合いなさい」と命じておられます。「互いに」という言葉からわかるように、私たちは、「愛する」ことだけでなく、「愛される」ことも求められています。愛されていることに、感謝をするように命じられています。主イエスの愛の掟は、「愛されるていることに感謝しなさい」という命令に言い換えることができないでしょうか。「互いに感謝し合いなさい」と言い換えることができないでしょうか。愛とは、まわりに支えられて生きていることに、喜びを感じることであると言えます。
今日、主イエスは、私たちのことを、「友」と呼んでくださいます。私たちが、神の愛を知っているからです。祈りによるコミュニケーションができるからです。そして、神の愛を、この世界で分かち合うことができるからです。神の愛を分かち合うために、AI
は、有用な道具となります。しかし、愛を実行するのは、人間である私たちです。愛を証しするのは、私たちのからだです。私たちへの愛のために十字架上で苦しんでおられる主イエスのからだです。復活され、今生きておられるキリストのからだです。私たち教会という、キリストのからだです。
※第58回「世界広報の日」教皇メッセージ(2024.5.5) | カトリック中央協議会↓
Comments