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9月8日「年間第23主日」の聖書朗読と説教

9月8日「年間第23主日」の聖書朗読と説教


 一場神父から上記説教等が届きましたので掲載します。


◆◆◆


小教区窓口の皆様


いつもお世話になり、ありがとうございます。


9月8日「年間第23主日」の聖書朗読と説教をお送り致します。「ことばの祭儀」は、8日(日)午前7時に公開予定です。


よろしくお願い致します。皆様のために、いつもお祈りしています。


一場


◆◆◆


【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)



◆◆◆


〔9月8日/年間第23主日〕

【第一朗読/イザヤ35・4-7a】



(イザヤの預言)


*35・4*心おののく人々に言え。

「雄々しくあれ、恐れるな。

見よ、あなたたちの神を。

敵を打ち、悪に報いる神が来られる。

神は来て、あなたたちを救われる。」


*5*そのとき、見えない人の目が開き

聞こえない人の耳が開く。

*6*そのとき歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。

口の利けなかった人が喜び歌う。

荒れ野に水が湧きいで

荒れ地に川が流れる。

*7a*熱した砂地は湖となり

乾いた地は水の湧くところとなる。

【答唱詩編/詩編146・1+2+10a、6c+7、8ac+9bc】


いのちあるすべてのものは、神をたたえよ。

(詩編146)


*146・1*心を尽くして神をたたえよ。

いのちのある限り神をたたえよ。

*2*わたしは生涯神をほめうたう。

*10a*神はとこしえに治められる。


*6c*神はとこしえにまことを示し、

*7*貧しい人のためにさばきを行い、

飢えかわく人にかてを恵み、

捕らわれびとを解放される。


*8ac*神は見えない人の目を開き、

従う人を愛される。

*9bc*身寄りのない子どもとやもめを支え、

逆らう者の企てを砕かれる。

【第二朗読/ヤコブ2・1-5】



(使徒ヤコブの手紙)


*2・1*わたしの兄弟たち、栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません。*2*

あなたがたの集まりに、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来、また汚らしい服装の貧しい人も入って来るとします。*3*

その立派な身なりの人に特別に目を留めて、「あなたは、こちらの席にお掛けください」と言い、貧しい人には、「あなたは、そこに立っているか、わたしの足もとに座るかしていなさい」と言うなら、

*4*あなたがたは、自分たちの中で差別をし、誤った考えに基づいて判断を下したことになるのではありませんか。


*5*

わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさったではありませんか。

【福音朗読/マルコ7・31-37】


アレルヤ、アレルヤ。イエスは神の国の福音を告げ知らせ、民の病いをいやされた。アレルヤ、アレルヤ。

(マルコによる福音)


そのとき、*7・31*イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。*32*

人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。*33*

そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。*34*

そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。*35*

すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。*36*

イエスは人々に、だれにもこのことを話してはいけない、と口止めをされた。しかし、イエスが口止めをされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。

*37*

そして、すっかり驚いて言った。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」



[説教]


今週の福音書は、耳が聞こえず舌の回らない人が、主イエスによっていやされる物語を伝えています。この世界にキリストがおられ、救いが、すべてのいのちに及んでいることを伝えています。いやされるということは、救われるということなのです。


救われているとは、どういうことでしょうか。耳が聞こえ舌が回りさえすれば、救われているのでしょうか。ここで問われていることは、何を聞いているか、何を語っているかです。救われている人は、神の御言葉を聞きます。御言葉が聞こえてきます。御言葉を聞いて、喜びます。そして、聞いた御言葉は、聞いた人の生き方に影響を与えるのです。聞いた瞬間には何も起こらなくても、必ず影響を与えるのです。こうしたことは、特別なことではありません。今、こうして集まっている私たちの中で、いつも起こっていることなのです。私たちこそ、主イエスによって、いやされ続けているのです。「開け」という、いやしの御言葉を受けているのです。


さらに、救われている人は、神の御言葉を語ります。上手に語るということではありません。心を込めて、誠実に語るということです。失敗を恐れず、勇気を持って語るということです。神の御言葉は、それを聞いた人に、神の愛をもたらす言葉です。自分が大切にされているという思いを抱かせる言葉です。自分も人を大切にしよう、自分も人を大切にできるという希望をもたらす言葉です。主イエスのもとに、今集まっている私たちは、神の御言葉を語っています。毎日の生活の中で、気づかないうちに語っています。共同体の中での、何気ない言葉のやりとりを思い起こしてみましょう。例えば、初めて教会を訪れた人にかけられる親切な言葉、久しぶりに会えた人にかけられる優しい言葉、それは、神から来る言葉なのです。主は、今も、私たち一人一人の舌に触れ続けておられるのです。


そして、神の御言葉は、教会の集会での聖書朗読を通じて聞こえてくるだけではありません。救いの出来事は、教会の中で起こることではありません。使徒ヤコブは、次のように述べています。「神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさったではありませんか。」私たちは、世の貧しい人が語る言葉を、御言葉として聞くように招かれているのです。神を信じ、救われるている人の言葉として聞くように求められているのです。戦争などのさまざまな暴力の犠牲になって苦しめられている人の叫び、飢餓などに苦しめられ言葉を発することもできない人の呻きに、耳を傾けるように求められているのです。神の御言葉として、謙虚に聞くように求められているのです。そして、世の貧しい人とともに、御言葉を語る勇気を持つように招かれているのです。そのために、私たちはいやされているのです。そして、貧しい人とともに救われる時、私たちは、本当の意味で救われるのです。貧しい人が救われる時、私たちも救われるのです。


そして、私たちは今、「すべてのいのちを守るための月間」を過ごしています。私たちは、すべてのいのちの呻きを聞き、その呻きを、神の御言葉として語るように呼びかけられています。教皇フランシスコは、次のように述べています。「わたしたちは、進みゆく時間の中で、痛みや苦しみをともにしています。被造物がすべてうめき、キリスト者がうめき、霊ご自身もうめいておられるのです。うめくことは、…神の計画の実現を見据えての、神への信頼を、…表しているのです。」教皇が述べているように、私たちは、すべてのいのちが救われるという信仰と希望を持っています。すべてのいのちの呻きは、希望の福音です。この呻きに耳を傾けながら、すべてのいのちとともに歩んでいきましょう。いやされ、救われている共同体として、希望の巡礼者」の共同体として歩んでいきましょう。



※ 2024年9月1日「被造物を大切にする世界祈願日」教皇メッセージ | カトリック中央協議会↓


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