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1月15日「年間第2主日」の朗読箇所と説教

  • kiotanblock
  • Jan 10, 2023
  • 6 min read

1月15日「年間第2主日」の朗読箇所と説教


 一場神父から1月15日「年間第2主日」の朗読箇所と説教が届きましたので掲載します


◆ ◆ ◆

小教区窓口の皆様


いつもお世話になり、ありがとうございます。


1月15日「年間第2主日」の朗読箇所と説教をお送り致します。


「ことばの祭儀」の配信は、1月15日(日)午前7時の予定です。よろしくお願い致します


一場


◆ ◆ ◆

【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



〔1月15日/年間第2主日〕

【第一朗読/イザヤ49・3、5-6)イザヤの預言


主は49・3わたしに言われた

あなたはわたしの僕、イスラエル

あなたによってわたしの輝きは現れる、と。


5主の御目にわたしは重んじられている。

わたしの神こそ、わたしの力。

今や、主は言われる。

ヤコブを御もとに立ち帰らせ

イスラエルを集めるために

母の胎にあったわたしを

御自分の僕として形づくられた主は

6こう言われる。

わたしはあなたを僕として

ヤコブの諸部族を立ち上がらせ

イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。

だがそれにもまして

わたしはあなたを国々の光とし

わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。

【答唱詩編/詩編40・2+4ab、6、10】


神のみ旨を行うことは、わたしの心の喜び。

詩編40


40・2わたしはせつに神を呼び求め、

神は、耳を傾けてわたしの叫びを聞き入れられた。

4ab神はわたしの口に新しい歌を、

神への賛美の歌を授けられた。


6神よ、あなたの不思議なわざは数えきれず、

そのはからいはたぐいなく、

わたしがそれを告げ知らせても、

すべてを語り尽くすことはできない。


10わたしは人々のつどいの中で、

あなたの救いのわざを告げ知らせ、

けっして口を閉じることがない。

神よ、あなたはそれを知っておられる。

【第二朗読/①コリント1・1-3】使徒パウロのコリントの教会への手紙


1・1神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、2

コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主であります。

3わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

【福音朗読/ヨハネ1・29-34】


アレルヤ、アレルヤ。みことばは人となり、わたしたちのうちにお住みになった。主を受け入れる人には神の子となる恵が与えられた。アレルヤ、アレルヤ。

ヨハネによる福音


そのとき、1・29ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。30

『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。31

わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」32

そしてヨハネは証しした。「わたしは、〝霊〟が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。33

わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『〝霊〟が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。

34わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」




【説教】


「年間」という時が始まっています。主イエスに従って、日常生活を生きる時が始まっています。年間の最初の主日である今日、私たちは、私たちが従う主とは、どのような方かについて黙想したいと思います。そして、日常生活を生きるとは、どのようなことかについて思い巡らしたいと思います。


今日、洗礼者「ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て」、はっきりと宣言します。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ」と。


主イエスは、私たちのところに「来られる」方です。主の方から、私たちが生きているところに来てくださるのです。どこにいるか、何をしているかに関係なく、私たちのところに来てくださるのです。このことは、私たちの喜びであり、福音です。


私たちのところに来てくださる主イエスは、「世の罪を取り除く神の子羊」です。「世の罪」とは、この世界が愛を信じることができず、互いに傷つけ合っているということです。主は、こうした罪に苦しむ世界のまっただ中に来られ、すべてのいのちを愛し続けておられます。傷つけられても、ひたすら愛し続けておられます。世の罪を取り除くために、今、この瞬間も愛し続けておられます。「神の子羊」とは、神の愛をもって、愛し続ける主の生き方を示しています。どのような酷い暴力を受けても、愛をもって応える主の姿です。この世界に広がっていく神の愛を表しています。主イエスは、愛し続けることによって世の罪を取り除く子羊なのです。私たちの罪を取り除くのは、裁きや罰ではなく、愛なのです。


主イエスは、ヨハネから洗礼を受けられました。ヨハネは、証言しています。「わたしは、“霊“が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。」主イエスは、親である神と、霊を、愛の霊を分かち合っておられる方です。洗礼とは、愛の霊の分かち合いです。そして、主は、私たちと、愛の霊を分かち合ってくださる方です。私たちは、洗礼の時、この愛の霊を注がれました。そして、今日も、これからもずっと、神の愛の霊を注がれます。洗礼は、愛の霊が注がれ続ける恵みなのです。洗礼は、受けて終わる恵みではありません。受けて始まる恵みなのです。ずっと続けていく恵みなのです。


使徒パウロは、洗礼を受けた者を、「聖なる者」と呼んでいます。私たちは、「キリスト・イエスによって聖なる者とされ」ました。「召されて聖なる者」として生きています。聖なる者として、毎日を生きること、それが、私たちの日常生活です。聖なる者である私たちに求められていることは、何でしょうか。まず第一に求められていることは、神の愛を信じて、毎日を生きることです。何があっても、神の愛が注がれていることを信じて、毎日を過ごすことです。愛の霊が自分の中で生きておられる、働いておられると信じて、生きることです。私たちが愛することができなくても、愛の霊は、私たちの中で、生きておられます。愛せない自分に嫌気がさす時があります。そんな時こそ、愛の霊が働いておられるのです。愛せるようになりたいと、もがき苦しむ時があります。そんな時、愛の霊が、私たちの中で、吹き荒れています。聖なる者の日常とは、愛の霊が吹き荒れる毎日なのです。静かな祈りの毎日である必要はないのです。


今日の拝領祈願で、私たちは祈ります。「いのちの源である神よ、愛の霊をわたしたちの心に注いでください。」私たちは、この祈りを今日だけでなく、日々、ささげ続けたいと思います。私たちのところに来られる神の子羊を思い起こしながら、祈り続けたいと思います。神の子羊が注いでくださる愛の霊が働いておられることを信じて、ささげ続けたいと思います。この祈りを、共同体として、ともにささげたいと思います。離れていても、互いのことを思い起こしながら、祈り続けたいと思います。互いに祈り合うことで、聖なる者たちの集まりである教会であり続けたいと思います。愛に召された「神の教会」として、ともに歩んでいきたいと思います。



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一場 修


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