1月19日「年間第2主日」の聖書朗読と説教
- kiotanblock
- Jan 14
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1月19日「年間第2主日」の聖書朗読と説教
一場神父から上記説教等が届きましたので掲載します。
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京丹ブロックの皆様
いつもお世話になり、ありがとうございます。
1月19日「年間第2主日」の聖書朗読と説教をお送り致します。「ことばの祭儀」は、1月19日(日)午前7時に公開予定です。よろしくお願い致します。
寒い日が続いています。皆様、どうぞご自愛ください。
一場
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【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)
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〔1月19日/年間第2主日〕
【第一朗読/イザヤ62・1-5】
(イザヤの預言)
*62・1*シオンのために、わたしは決して口を閉ざさず
エルサレムのために、わたしは決して黙さない。
彼女の正しさが光と輝き出で
彼女の救いが松明のように燃え上がるまで。
*2*諸国の民はあなたの正しさを見
王はすべて、あなたの栄光を仰ぐ。
主の口が定めた新しい名をもってあなたは呼ばれるであろう。
*3*あなたは主の御手の中で輝かしい冠となり
あなたの神の御手の中で王冠となる。
*4*あなたは再び「捨てられた女」と呼ばれることなく
あなたの土地は再び「荒廃」と呼ばれることはない。
あなたは「望まれるもの」と呼ばれ
あなたの土地は「夫を持つもの」と呼ばれる。
主があなたを望まれ
あなたの土地は夫を得るからである。
*5*若者がおとめをめとるように
あなたを再建される方があなたをめとり
花婿が花嫁を喜びとするように
あなたの神はあなたを喜びとされる。
【答唱詩編】
遠く地の果てまで、すべての者が神の救いを見た。
(詩編96)
*96・1*新しい歌を神に歌え、
世界よ、神に向かって喜び歌え。
*2*神の名をたたえて歌い、
日ごとに救いを告げ知らせよ。
*3*すべての国にその栄光を語り、
すべての民に不思議なわざを伝えよ。
*4*神は偉大、ほむべきかた、
すべてを超えておそるべきかた。
*9*聖なる者が現れるとき、神をおがめ、
世界よ、神をおそれよ。
神は来られる、世界をさばきに来られる。
*13*正義とまことをもって、すべての民をさばかられる。
【第二朗読/①コリント12・4-11】
(使徒パウロのコリントの教会への手紙)
皆さん、*12・4*賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。*5*務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。
*6*働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。*7*一人一人に〝霊〟の働きが現れるのは、全体の益となるためです。
*8*ある人には〝霊〟によって知恵の言葉、ある人には同じ〝霊〟によって知識の言葉が与えられ、*9*
ある人にはその同じ〝霊〟によって信仰、ある人にはこの唯一の〝霊〟によって病気をいやす力、*10*
ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。
*11*これらすべてのことは、同じ唯一の〝霊〟の働きであって、〝霊〟は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。
【福音朗読/ヨハネ2・1-11】
アレルヤ、アレルヤ。福音によって神は私たちを召し出し、主イエス・キリストの栄光にあずかる者としてくださった。アレルヤ、アレルヤ。
(ヨハネによる福音)
そのとき、*2・1*ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。*2*イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。*3*
ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。*4*
イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」*5*
しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。*6*
そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。*7*
イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。*8*
イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。*9*
世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、
*10*言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」
*11*イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。
[説教]
私たちは今、「年間」という時を過ごしています。年間は、人となられたみことばである、主イエスとともに、日々の生活の中で、福音を証しする時です。今日は、年間の最初の主日です。この日には、毎年、ヨハネ福音書が読まれます。私たちは、福音宣教の旅を始める主に出会い、主とともに、新たな宣教の歩みへと旅立ちます。
今日の福音は、カナでの婚礼の出来事を伝えています。婚礼を祝うことは、喜びを分かち合うことです。福音宣教も、喜びの分かち合いです。ここで、私たちが思い起こしたいことは、1987年11月、京都市開催された第1回福音宣教推進全国会議(ナイス)の出来事です。今日の第二朗読で、使徒パウロは、聖霊の働きが、「全体の益となる」と宣言しています。1987年の全国会議は、この聖霊の働きの証しです。実際、この会議にこたえる形で、日本の司教団は、聖霊に導かれて、次のように宣言しています。「信仰を、掟や教義を中心としたとらえ方から、『生きること、しかも、ともに喜びをもって生きること』を中心としたとらえ方に転換したいと思います。というのは、信仰生活は、私たちとともにいてくださる神のみ前で、人々とともに、キリストの福音を信じる『喜び』に生きることだからです。」この変化こそ、私たち、教会全体の、カナでの婚礼なのです。
カナの婚礼では、六つの、大きな、「清めに用いる石の水がめ」が、「水」で満たされます。この水が、「良いぶどう酒」に変わります。「召使いたち」が、主イエスの言葉に従い、「運んで行」く途中で変わります。ここで、水は、教義や掟を表していると言えます。ぶどう酒は、「キリストの福音」と見なすことができます。そして、良いぶどう酒は、すべての人に、「生きること、しかも、ともに喜びをもって生きること」をもたらす福音ではないでしょうか。この出来事で、私たち教会は、主に奉仕する者として、主の言葉を信じて、人びとに、喜びの福音を運んで行きます。人びとと、福音を信じる喜びを分かち合います。もう一つ、忘れたくないことがあります。福音であるぶどう酒は、掟や教義である水が変わったものです。水がなければ、ぶどう酒を得ることはできません。ですから、水も大切にしたいと思います。掟や教義が、すべての人に、ともに生きる喜びをもたらすことを心から願って、大切にしたいと思います。教会の掟や教義は、聖職者と呼ばれている者たちが、信徒を支配するための手段ではありません。同じ洗礼に生かされている姉妹兄弟として、皆が、ともに喜びをもって生きるための支えなのです。ともに旅をする、希望の巡礼者たちの道しるべなのです。
私たちは、すでに、カナの婚礼を、福音が実現した「最初のしるし」を経験しています。そして、この、喜びの出来事は、過去の出来事ではありません、今も起こっている出来事なのです。ここで大切なことは、カナの出来事は、ぶどう酒がなくならない出来事ではないということです。「イエスの母」は、イエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と告げなければならなくなるのです。この言葉は、絶望や諦めの言葉ではありません。聖母マリアの、執り成しの祈りです。私たちも、聖母の祈りに加わるように招かれているのです。「ぶどう酒がなくなりました」という言葉は、祈りの言葉であり、希望の言葉なのです。聖母の祈りは、すぐに叶えられません。しかし、聖母は、主が、必ず、聞き入れてくださると信じます。救いの喜びを与えてくださると、大きな希望をもって、待ち続けます。
「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」という、聖母の言葉は、私たちへの励ましの言葉です。希望への招きの言葉です。今、ぶどう酒が、福音の喜びがなくなっていても、心から祈れば、再び、ぶどう酒が与えられるのです。私たちの生活が、ともに喜びをもって生きるための福音に変えられていくのです。聖母の執り成しに支えられながら、希望の巡礼者として、ともに喜びをもって生きていきましょう。
※ともに喜びをもって生きよう 第1回福音宣教推進全国会議にこたえて | カトリック中央協議会
https://www.cbcj.catholic.jp/publish/bsps-tomoyoro/
※2025年キリスト教一致祈祷週間(1月18日~25日) | カトリック中央協議会
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