1月21日「年間第3主日」の朗読聖書と説教
- kiotanblock
- Jan 16, 2024
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1月21日「年間第3主日」の朗読聖書と説教
一場神父から1月21日「年間第3主日」の朗読聖書と説教が届きましたので掲載します。
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小教区窓口の皆様
いつもお世話になり、ありがとうございます。
1月21日「年間第3主日」の朗読聖書と説教をお送り致します。「ことばの祭儀」は、1月21日(日)午前9時に公開予定です。
送信先の変更が必要な場合には、お知らせください。お知らせがない場合、昨夜までの送信先に送らせていただきます。
よろしくお願い致します。
戦争や自然災害により苦しみに置かれている人たちのために祈り続けましょう。皆様のためにお祈りしています。
一場
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【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)
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〔1月21日/年間第3主日〕
【第一朗読/ヨナ3・1-5、10】ヨナの預言
3・1主の言葉がヨナに臨んだ。*2*「さあ、大いなる都ニネベに行って、わたしがお前に語る言葉を告げよ。」
3ヨナは主の命令どおり、直ちにニネベに行った。ニネベは非常に大きな都で、一回りするのに三日かかった。*4*
ヨナはまず都に入り、一日分の距離を歩きながら叫び、そして言った。
「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」
5すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった。
10神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた。
【答唱詩編/詩編25・4+5a、8+9、10+14】
すべての人の救いを願い、わたしはあなたを待ち望む。
詩編25
25・4神よ、あなたの道を示し、
その小道を教えてください。
5aあなたの真理のうちに、
わたしを導き、さとしてください。
8神はあわれみ深く正義に満ち、
罪びとに道を示される。
9神は貧しい人を正義に導き、
へりくだる人にその道を教えられる。
10契約とさとしを守る人に、
神への小道はいつくしみとまことにあふれる。
14神をおそれる人に神は心を開き、
契約を示し、さとされる。
【第二朗読/①コリント7・29-31】使徒パウロのコリントの教会への手紙
7・29兄弟たち、わたしはこう言いたい。定められた時は迫っています。今からは、妻のある人はない人のように、*30*
泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、*31*
世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです。
【福音朗読/マルコ1・14-20】
アレルヤ、アレルヤ。神の国は近づいた。回心して福音を信じなさい。アレルヤ、アレルヤ。
マルコによる福音
1・14ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤヘ行き、神の福音を宣べ伝えて、*15*
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。
16イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。*17*
イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。*18*二人はすぐに網を捨てて従った。*19*
また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、*20*
すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。
【説教】
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」
この御言葉は、主イエスの、救いのメッセージです。私たちは、このメッセージを分かち合うために、主に呼ばれて、今、共同体として集まっています。そして、このメッセージを人びとに伝えるために、悩み苦しむ世界の中に派遣されていきます。そして、今日は、「神のことばの主日」です。「神のことばを祝い、学び、広めることにささげる」日です。
「時は満ち」ています。主イエスが私たちのところに来られたことで、すべてのいのちの救いの時が始まったのです。この「時」は、今も続いているのです。私たちは今日、この救いのメッセージを、救いの時を祝います。私たちは、救いの時を祝うために集まっています。救いがこの世界に実現していることを、人びとに分かってもらうために集まっています。救われている喜びを知ってもらうために、集まり、祝っています。知ってもらうだけでなく、救いの喜びに加わってもらうために、祝い続けています。誰でも、いつでも加わわることができる祝祭を続いています。すべての人、すべてのいのちの祝祭になること心から願って、救いの御言葉を祝っています。
御言葉を祝うためには、祝い続けるためには、御言葉を学び続けなければなりません。御言葉を学ぶために必要なことは、御言葉がどう実現しているかを学ぶことです。私たちはそれぞれ、御言葉の通りに生きようとしています。御言葉の通りに生きられたという喜びの体験があります。御言葉の通りに生きている人の姿を見て、励まされ、勇気づけられ、自分もそうしようとします。このようにして、私たちは皆、御言葉を生きているのです。御言葉の通りに生きたいと願い、神の祈りながら毎日を過ごすことが、御言葉を生きることなのです。御言葉が実現していることなのです。こうした御言葉の実現を学び合うことが、分かち合うことが、御言葉を学ぶことであると言えます。さまざまな聖書の解説は、御言葉の学びの助けとなりますが、解説を読んだだけで学びとはならないのです。
主イエスは、「神の国は近づいた」と宣言されました。「神の国」とは、御言葉が、喜びのうちに祝われ、学び合い、分かち合いが行なわれているところであると言えます。祝われ、分かち合われることで、御言葉が実現しているところであると言えます。その意味で、神の国はすでに、私たちのところに来ています。しかし、神の国は、完成していません。御言葉の通りの生き方が、すべての人の生き方になっていないからです。「神の国は近づい」ていますが、完全に来ていないのです。
神の国が完成するために、私たちは、御言葉を広めていかなければなりません。御言葉を広めるとは、御言葉を押しつけることではありません。イエスがキリストであることを信じていなくても、御言葉を生きている人がいます。主イエスを知らなくても、イエスのように生きている人、愛をもって生きている人がいます。そうした人たちの生き方を学びこと、生き方を分かち合うことが、御言葉を広めることなのではないでしょうか。生きている喜びを分かち合い、祝うことが、御言葉を広めることではないでしょうか。
主イエスはさらに、宣言されています。「悔い改めて福音を信じなさい」と。「悔い改める」とは、考え方を変えるということです。今の生き方だけがすべてではないのだと思うことです。違う生き方をしてもいいのだと思い直すことです。使徒パウロの、今日の言葉を用いれば、神の国は、「この世の有様が過ぎ去る」時に完成します。神の国が完成する時、私たちは、今の生き方とまったく違った生き方をするようになります。「福音」とは、この新たな生き方を告げる、良い知らせなのです。「福音を信じる」とは、新たな生き方ができる時が訪れることを信じて、その時を待ち望むことなのです。新たな生き方の希望を語り合いながら、その時が近づいていることを喜び祝うことなのです。そして、その喜びを広げていくことなのです。
私たちは、福音を信じています。神の国が完成することを心から待ち望んでいます。神の国の喜びを、教派や宗派を超えて、宗教か無宗教かを超えて、すべての人と分かち合いたいと思っています。私たちは、18日から25日まで、「キリスト教一致祈祷週間」を過ごしています。他の教派の姉妹兄弟とともに祈りたい思います。
※「2024年キリスト教一致祈祷週間」冊子
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