1月29日「年間第4主日」の朗読箇所と説教
- kiotanblock
- Jan 24, 2023
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1月29日「年間第4主日」の朗読箇所と説教
一場神父から1月29日「年間第4主日」の朗読箇所と説教が届きましたので掲載します
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小教区窓口の皆様
いつもお世話になり、ありがとうございます。
1月29日「年間第4主日」の朗読箇所と説教をお送り致します。
「ことばの祭儀」の配信は、1月29日(日)午前7時の予定です。よろしくお願い致します
皆様のために、お祈りしています。一場
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【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)
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〔1月29日/年間第4主日〕
【第一朗読/ゼファニヤ2・3、3・12-13】ゼファニヤの預言
2・3主を求めよ。
主の裁きを行い、苦しみに耐えてきた
この地のすべての人々よ
恵みの業を求めよ、苦しみに耐えることを求めよ。
主の怒りの日に
あるいは、身を守られるであろう。
3・12わたしはお前の中に
苦しめられ、卑しめられた民を残す。
彼らは主の名を避け所とする。
13イスラエルの残りの者は
不正を行わず、偽りを語らない。
その口に、欺く舌は見いだされない。
彼らは養われて憩い
彼らを脅かす者はない。
【答唱詩編/詩編146・1+2+10a、6c+7、8ac+9bc】
いのちあるすべてのものは、神をたたえよ。
詩編146
146・1心を尽くして神をたたえよ。
いのちのある限り神をたたえよ。
2わたしは生涯神をほめうたう。
10a神はとこしえに治められる。
6c神はとこしえにまことをしめし、
貧しい人のためにさばきをおこない、
7飢えかわく人にかてをめぐみ、
捕らわれびとを解放される。
8ac神は見えない人の目をひらき、
従う人をあいされる。
9bc身寄りのない子どもとやもめをささえ、
逆らう者の企てを砕かれる。
【第二朗読/①コリント1・26-31】使徒パウロのコリントの教会への手紙
1・26
兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。
27ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。28
また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。29
それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。30
神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。31
「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。
【福音朗読/マタイ5・1-12a】
アレルヤ、アレルヤ。喜びおどれ、天においてあなたがたの報いは大きい。アレルヤ、アレルヤ。
マタイによる福音
そのとき、5・1イエスは群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。2そこで、イエスは口を開き、教えられた。
3「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
4悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
5柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
6義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。
7憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
8心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
9平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
10義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
11わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。12
喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。」
【説教】
今日、主イエスは、「幸いである」生き方を示してくださいます。福音を大切にして生きている私たちが、「幸いである」と宣言しておられます。
主イエスは、まず、「心の貧しい者人々は、幸いである」と言われます。私たち人間は皆、無力です。無力な私たちが、今、求めなければならないことは、力ではありません。力を得るための富や権力ではありません。自分が無力であることを、素直に認めることです。「心が貧しい人」とは、自分が無力であることを知っている人です。自分の限界を認めることができる人です。主イエスが分かち合ってくださる福音は、心が貧しい時、受け入れることができます。福音は、貧しい心に、良い知らせとして、響きます。
心が貧しいということは、何もできないということではありません。たくさんのことができます。できないということを、福音に変えることさえできます。
心の貧しい人々は、「悲しむ人々」となることができます。今の世界は、平和ではありません。苦しみに満ちています。私たちは、平和を実現できない、弱く、無力な存在です。悲しみとは、この世界の現実から目をそむけないことです。世界の苦しみを感じることです。世界の苦しみを分かち合って、ともに悲しむことです。自分一人で悲しまず、ともに悲しむことです。悲しみから逃げず、悲しみを分かち合うことです。私たち教会は、世界の悲しみを分かち合っている共同体なのです。
心が貧しく、悲しむ人々は、「柔和な人々」、「憐れみ深い深い人々」となることができます。悲しみは、私たちの心を、優しさと思いやりで満たします。優しさや思いやりは、言葉や行いであらわすことができます。そして、遠くからじっと見守ることで、人知れず祈ることで、実現しています。私たち教会は、優しさと思いやりの家です。このことは、理想ではなく、現実です。
優しさと思いやりの人々は、「義に飢え渇く人々」になることができます。私たちは、平和を妨げる悪や不正をゆるすことができません。私たちは、今日の第一朗読で言われている、「イスラエルの残りの者」です。「不正を行わず、偽りを語らない」者です。そして、「心の清い」者です。心の清い者は、祈ることができます。平和と正義が実現するように、心から祈ることができます。あきらめずに、祈り続けることができます。祈りに支えられて、不正や暴力にうちかつことができます。この祈りを広げることによって、「平和を実現する」ことができます。
今日は、「世界こどもたすけあいの日」です。今年のテーマは、「コミュニオン〜つながり育つこどもたち〜」です。「コミュニオン」とは、「交わり」や「一致」を意味することばです。「心の貧しい人」は、コミュニオンを大切にする人です。人は皆弱いから、「つながり」生きています。神とのつながり、隣人とのつながり、すべてのいのちのつながりによって、生かされています。このコミュニオンを忘れず、コミュニオンに感謝することが、心が貧しいということです。コミュニオンは、喜びや悲しみの分かち合いです。コミュニオンは、優しさや思いやりを育みます。優しさや思いやりによって、深められます。真の正義を求めることは、コミュニオンを強めることです。コミュニオンは、私たちの心を開きます。心を開き、つながること、それが、平和です。こどもたちが、コミュニオンの中で育っていけるように、私たちは、心から祈りたいと思います。こどもたちのために、こどもたちのつながりのためにできることを、実行したいと思います。
使徒パウロはが言っているように、「神は…世の無力な者を選ばれました」。無力な者、心の貧しい者として生きていく時、そこに、「天の国」が実現しています。心の貧しい者のコミュニオンという、天の国が実現しています。私たちは、神に選ばれました。心の貧しい私たちは、幸いな者です。そして、この幸いの福音を宣べ伝えるように招かれています。「喜びなさい。大いに喜びなさい」と励まされています。喜んで福音を告げ知らせるよう、励まされています。主イエスに励まされて、「キリスト・イエスに結ばれ」、ともに歩んでいきましょう。
※2023年「世界こどもたすけ合いの日」ポスター のPDFはこちら↓
https://j-missio.org/wp-content/uploads/2022/12/2023poster.pdf
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一場 修
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