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10月13日「年間第28主日」の聖書朗読と説教

10月13日「年間第28主日」の聖書朗読と説教


 一場神父から上記説教等が届きましたので掲載します。


◆◆◆


小教区窓口の皆様


いつもお世話になり、ありがとうございます。


10月13日「年間第28主日」の聖書朗読と説教をお送り致します。「ことばの祭儀」は、13日(日)午前7時に公開予定です。よろしくお願い致します。


季節の変わり目で、体調を崩しやすい時です。くれぐれも、お気をつけください。皆様のために、いつもお祈りしています。


一場


◆◆◆


【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)



◆◆◆


〔10月13日/年間第28日〕【第一朗読/知恵7・7-11】



(知恵の書)


*7・7*わたしは祈った。すると悟りが与えられ、

願うと、知恵の霊が訪れた。

*8*わたしは知恵を王笏や王座よりも尊び、

知恵に比べれば、富も無に等しいと思った。

*9*どんな宝石も知恵にまさるとは思わなかった。

知恵の前では金も砂粒にすぎず、

知恵と比べれば銀も泥に等しい。

*10*わたしは健康や容姿の美しさ以上に知恵を愛し、

光よりも知恵を選んだ。

知恵の輝きは消えることがないからだ。

*11*知恵と共にすべての善が、わたしを訪れた。

知恵の手の中には量り難い富がある。

【答唱詩編/詩編90・1+2+14、11+12、16+17】


神のはからいは限りなく、生涯、私はその中に生きる。

(詩編90)


*90・1*主よ、あなたは代々にわたってわたしたちの住まい。

*2*世界が造られる前から、永遠にあなたは神。

*14*朝ごとにあなたのいつくしみを注ぎ、

日々わたしたちに、喜びの歌を歌わせてください。


*11*だれがあなたの怒りの力をさとり、

憤りの恐ろしさを知っているのか。

*12*残された日々を数えることをおしえ、

知恵に向かう心を与えてください。


*16*あなたのわざをわたしたちの上に、

あなたの輝きを子孫にあらわしてください。

*17*わたしたちの神、主がその恵みを注がれ、

わたしたちの手のわざが実りの豊かな者となるように。

【第二朗読/ヘブライ4・12-13】



(ヘブライ人への手紙)


*4・12*

神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができます。

*13*

更に、神の御前では隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。この神に対して、わたしたちは自分のことを申し述べねばなりません。

【福音朗読/マルコ10・17-30】


アレルヤ、アレルヤ。心の貧しい人は幸い。天の国はその人のもの。アレルヤ、アレルヤ。

(マルコによる福音)


そのとき、*10・17*

イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」*18*

イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。*19*

『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」*20*

すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。*21*

イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」

*22*その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。


*23*イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」*24*

弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。*25*

金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」*26*

弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。*27*

イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」


*28*ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした。*29*

イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、*30*

今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。」



[説教]


私たちは今、主イエスに従って、受難への道を歩んでいます。この道は、十字架への道ですが、死で終わる道ではありません。死を過ぎ越して、「永遠の命」に達する道です。真のいのちが得られるという希望の道です。


今日の福音は、「ある人」の、主イエスへの問いかけを伝えています。「永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」という問いです。主は、この人を「見つめ、慈し」まれます。主は、この人の問いをしっかりと受け止められます。この人を深く愛されます。「慈しんで」という言葉の本当の意味は、「深く愛して」ということなのです。主は、真心から、この人が真のいのちを得て欲しいと願われます。真のいのちへの道を、この人とともに歩まれることを願われます。主は、ご自分が深く愛されている、この人とともに歩まれることを望んでおられるのです。


主イエスは、この人が誠実に生きていることをご存知です。神の掟を、神が示される生き方を実行していることをご存知です。私たちはここで、今日の物語に登場する「ある人」が誰であるかに気づきます。「ある人」とは、今日、ここに集まっている人一人一人のことなのです。毎日を誠実に生きている人一人一人のことなのです。今日の福音に真剣に耳を傾けている人一人一人のことなのです。「永遠の命を受け継ぐ」ことを心から願っている私たち一人一人のことなのです。


主イエスは、「ある人」に、私たち一人一人に、深い愛をもって、お答えになります。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。…それから、わたしに従いなさい」と。この福音の意味は、主が愛されるように愛しなさいという意味です。すべてを与え尽くすという、主の愛をもって、まわりの人を愛しなさいという意味です。真のいのちとは、徹底して愛するということなのです。「永遠の命」とは、主に深く愛されながら、まわりの人を深く愛するということなのです。深く愛することに喜びを感じていることが、真に生きているということなのです。


「ある人」は、主イエスの「言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去」ります。主の、愛に満ちた招きの言葉、真のいのちへの招きの言葉に、すぐに応えることができないからです。私たちはここで、この「悲しみ」を分かち合いたいと思います。私たちも、少なくとも私は、今日の主の招きに、すぐに応えることはできません。そう思うと、悲しくなります。応えたくても応えることができないから、悲しくなります。応えたいと願うから、悲しくなります。応えるのは不可能だと言いたくなるほど困難なことだが、応えたいと思うから、悲しみを感じます。主の招きの御言葉を忘れることができないから、あきらめることができないから、深い悲しみを感じます。主の招きに誠実に応えたいと、真剣に望むからこそ、深い悲しみに襲われます。主の愛に感謝し、主の招きに応えることが最もよいことだと信じているからこそ、知っているからこそ、大きな悲しみに襲われます。


私たちが今分かち合っている、この「悲しみ」は、「希望」と言いかえることができます。希望とは、よいものを望むことです。まだ実現していないことを望むことです。実現が困難なことを望むことです。そして、実現が困難であっても、実現が可能であると信じることです。希望をこのようにとらえる時、私たちの、今の「悲しみ」は、未来を信じる「希望」となるのではないでしょうか。あきらめれば、悲しみが消えます。他の手に入りやすいものを目指せば、悲しみを感じずにすみます。しかし、私たちはいつか、真の愛、真のいのち、「永遠の命」を得たいという希望を持っています。この希望を持っている限り、私たちは、今、悲しみを感じることになります。希望を抱いているからこそ、悲しみを感じることになります。そして、この悲しみは、愛を信じていることの証なのです。


私たちは今、主イエスとともに、受難への道を歩んでいます。この道は、「悲しみ」の道です。いつか喜びに変わるという「希望」を抱いて歩んで行く道です。福音書に登場する「ある人」は、「悲しみながら、立ち去」ます。あきらめて立ち止まるのではありません。決してあきらめずに、悲しみながら歩み続けます。主イエスの招きの言葉を思い起こしながら、歩み続けます。主は、この人を深く愛しておられるので、何があっても、決してお忘れになりません。この人は、これからの日々も、主に愛されていることを感じながら、歩み続けることになります。いつか、主のように愛せるようになる。そう願い、信じて、歩み続けることになります。愛の復活という喜び、真のいのちという喜びに達する道を歩み続けることになります。そして、私たちも今、この道を歩んでいきたいと思います。「悲しみながら」、歩んでいきたいと思います。悲しみを分かち合いながら、誠の愛を求めて歩んでいきたいと思います。主に深く愛されている「希望の巡礼者」として歩んでいきたいと思います。

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