12月10日「待降節第2主日」の朗読聖書と説教
- kiotanblock
- Dec 5, 2023
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12月10日「待降節第2主日」の朗読聖書と説教
一場神父から12月10日「待降節第2主日」の朗読聖書と説教が届きましたので掲載します。
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小教区窓口の皆様
いつもお世話になり、ありがとうございます。
12月10日「待降節第2主日」の朗読聖書と説教をお送り致します。「ことばの祭儀」は、12月10日(日)午前9時に公開予定です。
よろしくお願い致します。
引き続き、世界平和のために、心を合わせて祈りたいと思います。良い待降節をお過ごしください。皆様のためにお祈りしています。
一場
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【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)
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〔12月10日/待降節第2主日〕
【第一朗読/イザヤ40・1-5、9-11】イザヤの預言
40・1慰めよ、わたしの民を慰めよと、
あなたたちの神は言われる。
2エルサレムの心に語りかけ、
彼女に呼びかけよ、
苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。
罪のすべてに倍する報いを主の御手から受けた、と。
3呼びかける声がある。
主のために、荒れ野に道を備え、
わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。
4谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。
険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。
5主の栄光がこうして現れるのを肉なる者は共に見る。
主の口がそう宣言される。
9高い山に登れ、
良い知らせをシオンに伝える者よ。
力を振るって声をあげよ、
良い知らせをエルサレムに伝える者よ。
声をあげよ、恐れるな、
ユダの町々に告げよ。
見よ、あなたたちの神、
10見よ、主なる神。
彼は力を帯びて来られ
御腕をもって統治される。
見よ、主のかち得られたものは御もとに従い、
主の働きの実りは御前を進む。
11主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め
小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。
【答唱詩編/詩編85・9、10+11、12+13+14】
神よ、わたしに目を注ぎ、強めてください、手をさしのべて。
詩編85
85・9神の語られることばを聞こう。
神は平和を約束される、
その民、神に従う民に、
心を神に向ける人に。
10救いは神をおそれる人に近く、
栄光はわたしたちの地に住む。
11いつくしみとまことはめぐり合い、
正義と平和はいだき合う。
12まことは地から芽ばえ、正義は天から見守る。
13神は恵みを注がれ、地は豊かに実る。
14正義は神の前を進み、
平和はその足跡に従う。
【第二朗読/②ペトロ3・8-14】使徒ペトロの手紙
3・8愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。*9*
ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。
10
主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。
11このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。*12*
神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。*13*
しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。
14だから、愛する人たち、このことを待ち望みながら、きずや汚れが何一つなく、平和に過ごしていると神に認めていただけるように励みなさい。
【福音朗読/マルコ1・1-8】
アレルヤ、アレルヤ。主の道を整え、その小道を整えよ。すべての人は神の救いを見る。アレルヤ、アレルヤ。
マルコによる福音
1・1神の子イエス・キリストの福音の初め。
2預言者イザヤの書にこう書いてある。
「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、
あなたの道を準備させよう。
3荒れ野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を整え、
その道筋をまっすぐにせよ。』」
そのとおり、*4*洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。*5*
ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。*6*
ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。*7*
彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。*8*
わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」
【説教】
「神の子イエス・キリストの福音の初め。」待降節は、福音が始まる時です。神の愛そのものであるイエスが私たちを救ってくださった。このよい知らせを宣べ伝え始める時です。福音を告げ知らせる、新たな歩みを始める時です。どのような困難があっても、何度挫折しても、あきらめずに、新たな歩みを始める時です。
今日の福音は、「洗礼者ヨハネが荒れ野に現れ」たと伝えています。洗礼者ヨハネの姿は、待降節を歩んでいる私たちの姿です。「荒れ野」とは、何でしょうか。私たちは、荒れ野にとどまることはできません。とどまれば、死んでしまうからです。私たちは、荒れ野を避けることができません。そこを通らなければ、真のいのちを得られないからです。荒れ野は、死の現実を目のあたりにしながら、永遠のいのちを目指して歩んでいく道なのです。「主の道」なのです。
洗礼者ヨハネは、この荒れ野で、「叫ぶ者の声」となっています。「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」と叫ぶ声です。私たちも今日、この声に加わるよう招かれています。私たちは、主の道を歩みながら叫び続けます。大きな声を出す必要はありません。日々の生活を地道に生きていくことで、荒れ野の声となるのです。神から与えられている愛を大切にしながら生きることで、荒れ野の声、神の愛の声となるのです。
「主の道を整え、その道筋をまっすぐに」するために、私たちは、整えられていない、曲がった道を歩まなければなりません。道を歩みながらでしか、道を整え、まっすぐにすることはできません。道の横にいても、道を空から見下ろしても、何もできません。道を破壊することはたやすくできます。上から爆弾を落とせば、一瞬で破壊できます。道に爆薬をしかけ、離れたところから爆破することもできます。しかし、道を整え、まっすぐにするためには、地上での地道な作業が必要です。時間がかかります。主の道を曲げて、通りにくくしているのは、私たちの罪です。「キリストに結ばれる」ための道は、「罪の妨げ」によって、通ることが困難になっています。しかし、私たちは、この道を、神の愛によって、時間をかけて整えていくしかないのです。神の愛に支えられて、地道に歩むことで、まっすぐにするしかないのです。別の道を作ることはできないのです。どんなに荒れて、道かどうかわからない状態になっていても、「主の道」は他にないのです。与えられた道を、神の愛をもって、整備していくしかないのです。
そして、「主の道」は、ともに歩む道です。私たちは、共同体として、主の道を、ともに歩んでいます。そして、すべての人、すべてのいのちとともに歩んでいます。誰かを罪人とみなして、道から追い出したとしても、道が狭くなるだけです。悪い者を入れないように壁を作れば、曲がった壁ができるだけです。曲がった壁に囲まれた道は、壁に妨げられて、まっすぐにすることができなくなります。私たちは、皆でともに歩みながら、「主の道を整え、その道筋をまっすぐに」するしかないのです。
私たちは今日、主の道をともに歩みながら、「罪の赦し」を分かち合うよう励まされています。自分を正しい者として、誰かを罪人とすることでは、罪の赦しは得られません。私たちは皆、罪人です。すべてがつながっている今日、罪もつながっています。私には関係ない、私は悪くないと思い、何もしないことが、罪となることもあるのです。その意味で、罪の赦しとは、罪人である私たち皆が、ともに罪から解放されることであると言えます。死をもたらす罪から解放されて、互いに愛し合えるようになることであると言えます。
主イエスは、必ず来られます。そして、私たちは、「主の道」をともに歩んでいる限り、主に「結ばれ」ているのです。主に結ばれながら、罪が赦されていくのです。神の愛の中で生きるようになるのです。福音は始まっています。主の道は、福音の道です。この道を、ともに歩んでいきましょう。
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