12月3日「待降節第1主日」の朗読聖書と説教
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- Nov 28, 2023
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12月3日「待降節第1主日」の朗読聖書と説教
一場神父から12月3日「待降節第1主日」の朗読聖書と説教が届きましたので掲載します。
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小教区窓口の皆様
いつもお世話になり、ありがとうございます。
12月3日「待降節第1主日」の朗読聖書と説教をお送り致します。「ことばの祭儀」は、12月3日(日)午前9時に公開予定です。
よろしくお願い致します。
引き続き、世界平和のために、心を合わせて祈りたいと思います。良い待降節をお迎えください。皆様のためにお祈りしています。
一場
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【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)
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〔12月3日/待降節第1主日〕
【第一朗読/イザヤ63・16b-17、19b、64・2b-7】イザヤの預言
*63・16b*主よ、あなたはわたしたちの父です。
「わたしたちの贖い主」これは永遠の昔からあなたの御名です。
*17*なにゆえ主よ、あなたはわたしたちをあなたの道から迷い出させ
わたしたちの心をかたくなにして
あなたを畏れないようにされるのですか。
立ち帰ってください、あなたの僕たちのために
あなたの嗣業である部族のために。
*19b*どうか、天を裂いて降ってください。
*64・2b*御前に山々が揺れ動くように。
あなたが降られればあなたの御前に山々は揺れ動く。
*3*あなたを待つ者に計らってくださる方は、
神よ、あなたのほかにはありません。
昔から、ほかに聞いた者も耳にした者も目に見た者もありません。
*4*喜んで正しいことを行いあなたの道に従って、
あなたを心に留める者を
あなたは迎えてくださいます。
あなたは憤られました、
わたしたちが罪を犯したからです。
しかし、あなたの御業によってわたしたちはとこしえに救われます。
*5*わたしたちは皆、汚れた者となり
正しい業もすべて汚れた着物のようになった。
わたしたちは皆、枯れ葉のようになり、
わたしたちの悪は風のようにわたしたちを運び去った。
*6*あなたの御名を呼ぶ者はなくなり、
奮い立ってあなたにすがろうとする者もない。
あなたはわたしたちから御顔を隠し
わたしたちの悪のゆえに、力を奪われた。
*7*しかし、主よ、あなたは我らの父。
わたしたちは粘土、あなたは陶工、
わたしたちは皆、あなたの御手の業。
【答唱詩編】神よ、わたしに目を注ぎ、強めてください、手をさしのべて。
詩編80
*80・2*イスラエルを牧するかたよ、耳を傾けてください。
ヨセフを羊のように導くかた、
光を放ってください。
ケルビムの上に座しておられるかた。
*15*すべてを治める神よ、あなたの目を注いで、
またこのぶどうの木を顧みてください。
*16*あなたがご自分で植えられた苗と、
強められた若枝を守ってください。
*18*あなたの手はあなたの右腕である人の上に、
強められた民の上に。
*19*わたしたちはあなたから離れることなく、
いのちであるあなたを呼び求める。
【第二朗読/①コリント1・3-9】使徒パウロのコリントの教会への手紙
*1・3*皆さん、わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
*4*わたしは、あなたがたがキリスト・イエスによって神の恵みを受けたことについて、いつもわたしの神に感謝しています。*5*
あなたがたはキリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされています。*6*
こうして、キリストについての証しがあなたがたの間で確かなものとなったので、*7*
その結果、あなたがたは賜物に何一つ欠けるところがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れを待ち望んでいます。*8*
主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます。*9*
神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。
【福音朗読/マルコ13・33-37】
アレルヤ、アレルヤ。主よ、あなたの慈しみを示し、救いをお与えください。アレルヤ、アレルヤ。
マルコによる福音
そのとき、イエスは弟子たちに言われた。*13・33*「気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。*34*
それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。*35*
だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。*36*
主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。*37*あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」
【説教】
「目を覚ましていなさい。」待降節の始まりを告げる、主イエスの言葉です。この呼びかけに答えて、「救い主を待ち望む心」を新たにして、典礼の新たな一年の歩みを始めたいと思います。
私たちは今日、「目を覚まして」祈るように求められています。長い祈りをする必要はありません。心を集中して祈りたいと思います。もし主の祈りをささげるならば、「み国が来ますように」という願いを、心を込めてささげたいと思います。「み国が来ますように」という願いを、主が再び来られ、神の国を完成してくださいますようにという、心からの願いとしてささげたいと思います。主の祈りが長いと感じるならば、「み国が来ますように」と祈るだけでも良いと思います。一日のうち、何度かくりえせたら、この待降節中、毎日この願いをささげられたら、すばらしい待降節になると思います。悲しい出来事があった時、「み国が来ますように」と願って、希望を取り戻しましょう。誰かに怒りを感じた時は、「み国が来ますように」と静かに願い、神の愛が、自分の心に訪れのを待ちましょう。嬉しいことがあった時は、この願いを、神への賛美と感謝としてささげましょう。困っている人を見かけたら、この願いに励まされて、勇気を出して、その人のところに近づいていきましょう。その時、神の国が実現します。
今日の福音で、「家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ」るというたとえが語られています。「旅に出る人」とは、主イエスのことです。「僕たち」とは、私たちのことです。「責任」とは、祈る責任です。旅に出ておられる主イエスは、必ず戻ってこられます。戻って来られた主と、私たちは、直接語り合うことになります。今は、主を見ることはできません。しかし、主は、生きておられます。私たちが祈る姿は、主が生きておられることのしるしとなります。主が生きておられるから、私たちは祈ることができます。私たちが祈る時、人々は、主が生きておられることを知ることになります。私たちの祈りは、この世界の中で福音となっているのです。神の国が来ているという福音なのです。私たちが祈らなくなったら、この世界は滅びてしまうのです。私たちは祈り続ける限り、この世界は神の国なのです。私たちは主を待ち望み、祈り続けるならば、主は必ず来られ、神の国は完成するのです。私たちは、「祈る」という大きな責任を、「祈る」という大きな力を与えられているのです。祈らなければならないという義務ではありません。祈れるという喜び、ともに祈る仲間がいるという喜びが与えられているのです。「目を覚まして」この喜びを感じたいと思います。
今日は、「宣教地召命促進の日」です。「キリストを知らない人に救いの福音を伝えることは、キリスト者一人ひとりに課せられた使命であり、神からの呼びかけにこたえること(召命)です。」この召命が促進されるよう、心から祈り求めたいと思います。「責任」も「召命」も、神の呼びかけにこたえることです。私たちは、祈りによって、「キリストを日々の生活のうちに迎え」ています。私たちがキリストを迎えることで、キリストを知らない人が、キリストに出会うことができます。私たちの生き方を通して、人々は、キリストを体験することができます。「祈り」は、私たちキリスト者全員の召命であり、使命です。この召命を生きることができるよう祈りましょう。さまざまな事情で祈ることができない人が、祈りの喜びを取り戻せますように、祈りましょう。祈りの仲間が増えることを願って、熱心に祈りましょう。
主イエスは今日、おっしゃっています。「目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。」
私たちは、主イエスが再び来られる日がいつなのか知りません。だから、主が再び来られることを信じて、熱心に祈り続けましょう。共同体として、
ともに祈り続けましょう。使徒パウロは、はっきりと言っています。「神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・
キリストとの交わりに招き入れられたのです」と。この「交わり」のうちに、「目を覚まして」祈り続けましょう。
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