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2月12日「年間第6主日」の朗読箇所と説教

  • kiotanblock
  • Feb 8, 2023
  • 8 min read

2月12日「年間第6主日」の朗読箇所と説教


 一場神父から2月12日「年間第6主日」の朗読箇所と説教が届きましたので掲載します

◆ ◆ ◆

小教区窓口の皆様


いつもお世話になり、ありがとうございます。


2月12日「年間第6主日」の朗読箇所と説教をお送り致します。


「ことばの祭儀」の配信は、2月12日(日)午前7時の予定です。よろしくお願い致します


厳しい寒さです。体調を崩さないよう、くれぐれもお気をつけください。皆様のために、お祈りしています。


一場


◆ ◆ ◆

【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

〔2月12日/年間第6主日〕

【第一朗読/シラ15・15-20】シラ書


15・15その意志さえあれば、お前は掟を守り、

しかも快く忠実にそれを行うことができる。

16主は、お前の前に火と水を置かれた。

手を差し伸べて、欲しい方を取ればよい。

17人間の前には、生と死が置かれている。

望んで選んだ道が、彼に与えられる。

18主の知恵は豊かであり、

主の力は強く、すべてを見通される。

19主は、御自分を畏れる人たちに目を注がれる。

人間の行いはすべて主に知られている。

20主は、不信仰であれとは、だれにも命じたことはなく、

罪を犯すことを、許されたこともなかった。

【答唱詩編/詩編119・1+2a+3b、17+18】


神よ、あなたのことばはわたしの足のともしび、わたしの道の光。

詩編


119・1しあわせな人、道からそれず、

神の教えに従って歩む人。

2aそのさとしをとがなく守り、

3b神の道を歩む人。


17神よ、あなたのことばを生涯守れるように、

豊かな恵みを与えてください。

18教えの偉大さを悟れるように、

わたしの目を開いてください。

【第二朗読/①コリント2・6-10】使徒パウロのコリントの教会への手紙


皆さん、2・6

わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります。それはこの世の知恵ではなく、また、この世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。7

わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。8

この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。9しかし、このことは、

「目が見もせず、耳が聞きもせず、

人の心に思い浮かびもしなかったことを、

神は御自分を愛する者たちに準備された」

と書いてあるとおりです。わたしたちには、神が〝霊〟によってそのことを明らかに示してくださいました。〝霊〟は一切のことを、神の深みさえも究めます。

【福音朗読/マタイ5・17-37】


アレルヤ、アレルヤ。天と地の主である父はたたえられますように。あなたは神の国のことを小さい人々に現してくださった。アレルヤ、アレルヤ。

マタイによる福音


そのとき、イエスは弟子たちに言われた。


5・17「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。18

はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。19

だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。」

20「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。


21あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。22

しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。

23だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、24

その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。25

あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない。

26はっきり言っておく。最後の一クァドランスを返すまで、決してそこから出ることはできない。


27あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。28

しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。29

もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。


30もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。


31『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。32

しかし、わたしは言っておく。不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪をさせることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。


33また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。34

しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。

天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。35

地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。36

また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。


37あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」


【説教】


「わたしが来たのは、律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。」今日の福音は、この宣言で始まります。


「律法と預言者」とは、聖書全体の中心であり、土台です。律法は、神の基本的な教えです。そして、預言者は、その教えを守り続けている人です。守る続けるように、まわりの人を励ます人です。神の基本的な教えを伝えることで、人々を真の幸いへと導く人です。主イエスは、神の教えそのものです。そして、その教えを、ご自分の命をかけて、私たちに与え尽くされた方です。その意味で、聖書全体であり、聖書の完成です。


律法とは、神の基本的な教えとは、何でしょうか。それは、第一に、神はすべてのいのちを愛しておられるということです。第二に、この神の愛は貫かれるということです。そして、私たちに求められていることは、第一に、神の愛を信じるということです。第二に、神の愛を分かち合うということです。日々出会う人と分かち合うことで、神の愛を広げていくことです。神の愛が貫かれるように、日々、神の愛を伝え続けるということです。そして、神の愛を信じ、まわりの人と分かち合う時、私たちは、預言者となります。


さらに、主イエスは、「あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない」と言われます。


律法学者やファリサイ派の人々は、細かな掟を忠実に守りました。掟を守ることが正義だったのです。一つ一つの掟を守ることに必死になり、掟の基本、掟の土台を忘れていたのです。神の愛という基本を見失っていたのです。神の愛がおよぶ範囲を狭めていたのです。神の愛がすべてのいのちにおよぶことを妨げていたのです。掟を守れる人だけが神に愛されて、掟を守れない人は神に愛されていない。そういう思い込みを持っていたのです。自分たちだけが愛されているという、誤った考えにとらわれていたのです。自分たちの努力で、神の愛を勝ち取ったという、歪んだ思いに満たされていたのです。


「天の国」は、神の愛がすべてのいのちにおよぶところです。神の愛が貫かれるところです。愛がすべてとなるところです。主イエスは、今日の福音で、いくつかの掟を取り上げ、次のように教えておられます。人を殺さない、傷つけないだけでなく、その人を、心から尊敬しなさい。神との関係を大切にする前に、まわりの人との関係を大切にしなさい。身近にいる、大切にすべき人を、大切にしなさい。誓うことで神に要求するのではなく、今愛されていることに感謝しなさい。こうした教えは、私たちを、神の愛の分かち合いへの招きです。天の国への招きです。


主イエスは、すべてのいのちが天の国に入ることを、強く望んでおられます。今日の福音には、「地獄」ということばが出てきます。私たちにとっては、愛することができないということが地獄ではないでしょうか。まわりの人のことを大切にしたいのに、大切にする余裕がないという現実が、私たちの地獄ではないでしょうか。この地獄から解放され、天の国の喜びに満たされよう、主イエスは、今日、招いておられます。


昨日、2月11日は、「世界病者の日」でした。この日のための教皇メッセージの中で、次のように述べられています。「

一緒に歩んでいれば、体調を崩したり、疲れや想定外のことで途中で動けなくなったりする人がいるのは当たり前のことです。そういうときにこそ、わたしたちは自分の歩みを確認できます。つまり、本当に一緒に歩んでいるのか、それとも同じ道にはいても、それぞれ、自己の利益を優先し、ほかの人には『自分でどうにか切り抜けて』もらって、わが道を行っていないかということです。」


天の国は、すべてのいのちが愛されているところです。すべてのいのちが、ともに歩んでいるところです。自分は今、まわりの人とともに歩んでいるか。自分のことだけを考えていないか。そんな問いかけをする余裕があるところです。安心して立ち止まれるところです。立ち止まって、互いにいたわり合えるところです。自分のことで精一杯で、立ち止まることなどできないという地獄ではありません。


私たちは今、律法や預言者の完成に向かって、ともに歩んでいます。私たちには、神の愛が、日々、注がれています。この豊かな愛を分かち合いながら、ともに歩んでいきたいと思います。神の愛の分かち合いという正義が実行されている限り、正義がめざされている限り、そこに天の国が実現しています。




--

一場 修


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