2月2日「主の奉献」の聖書朗読と説教
- kiotanblock
- Jan 31
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2月2日「主の奉献」の聖書朗読と説教
一場神父から上記説教等が届きましたので掲載します。
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京丹ブロックの皆様
いつもお世話になり、ありがとうございます。
2月2日「主の奉献」の聖書朗読と説教をお送り致します。「ことばの祭儀」は、2月2日(日)午前7時に公開予定です。よろしくお願い致します。
寒い日が続いています。皆様、どうぞご自愛ください。皆様のためにお祈りしています。
一場
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【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)
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〔2月2日/主の奉献〕
【第一朗読/マラキ3・1-4】
(マラキの預言)
万軍の主は言われる。
*3・1*見よ、わたしは使者を送る。
彼はわが前に道を備える。
あなたたちが待望している主は
突如、その聖所に来られる。
あなたたちが喜びとしている契約の使者
見よ、彼が来る。
*2*だが、彼の来る日に誰が身を支えうるか。
彼の現れるとき、誰が耐えうるか。
彼は精錬する者の火、洗う者の灰汁のようだ。
*3*彼は精錬する者、銀を清める者として座し
レビの子らを清め
金や銀のように彼らの汚れを除く。
彼らが主に献げ物を
正しくささげる者となるためである。
*4*そのとき、ユダとエルサレムの献げ物は
遠い昔の日々に
過ぎ去った年月にそうであったように
主にとって好ましいものとなる。
【答唱詩編】
門よ、とびらを開け、永遠の戸よ、上がれ。栄光の王が入る。
(詩編24)
*24・3*だれが神の山に登れよう。
だれが聖所に立てよう。
*4*それは手に汚れなく、心の清いひと、
むなしいことに心を向けず、いつわりを口にしないひと。
*5*その人は神に祝福され、
救いの恵みを受ける。
*6*彼はヤコブの一族、
神を求め、その顔を慕う。
*8*栄光の王とはだれか。
勝利を得られる力ある神。
*10*栄光の王とはだれか。
すべてを治める神、神は栄光の王。
【第ニ朗読/ヘブライ2・14-18】
(ヘブライ人への手紙)
人は*2・14*
血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、*15*
死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした。*16*確かに、イエスは天使たちを助けず、アブラハムの子孫を助けられるのです。
*17*
それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。
*18*事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。
【福音朗読/ルカ2・22-40】
アレルヤ、アレルヤ。異邦人を照らす光、あなたの民イスラエルの光栄。アレルヤ、アレルヤ。
ルカによる福音
*2・22*モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。*23*
それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。*24*
また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。
*25*そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。
*26*そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。*27*
シメオンが〝霊〟に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。*28*
シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
*29*「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり
この僕を安らかに去らせてくださいます。
*30*わたしはこの目であなたの救いを見たからです。
*31*これは万民のために整えてくださった救いで、
*32*異邦人を照らす啓示の光、
あなたの民イスラエルの誉れです。」
*33*父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。*34*
シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。
*35*――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」
*36*また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、*37*
夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、*38*
そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。
*39*親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。*40*
幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。
[説教]
「全能永遠の神よ、御ひとり子は人となられ、きょう神殿にささげられました。わたしたちも聖霊の光に従い、罪のやみを捨て、みずからをあなたにささげることができますように。」今日、ここに集まっている、私たち共同体の願いです。私たちと同じ人間となられた主イエスは、愛である神のために、すべてをささげられました。「主の奉献」の祝日である今日、この救いの出来事を思い起こし、感謝をささげます。そして、主とともに生きている私たちも、今日、神にすべてをささげます。私たちの毎日の生活を、愛である神のために生きることができるように、心から願います。主の奉献は、私たち共同体の奉献、私たち一人一人の奉献なのです。今日は、私たちの奉献の日でもあるのです。
福音記者ルカは、「彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親は〔イエス〕を主に献げるために、エルサレムに連れて行った」と伝えています。神に大切なものを献げる前に、「清め」が求められます。清めとは、何を意味するでしょうか。私たちにとっての清めとは、愛の霊である聖霊による清めです。人となられた御子の、私たちへの愛による清めです。主に、深く愛されていることを思い起こし、心から感謝する時、私たちは清められます。神の愛を感じる時、清められています。
神の愛に清められた私たちは、神にみずからを献げることになります。今日の福音によれば、イエスの両親は、「山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽を」神に献げました。これは、貧しい人の献げものでした。神にみずからを献げる時、私たちは皆、貧しい者となります。私たちは、自分が貧しい者であることに気づきます。私たちが持っているものはすべて、神から与えられたものなのです。すべてのものは神から与えられていることにを忘れることなく、感謝しながら生きる時、私たちは、みずからを献げていることになるのです。さらに、自分が与えられているものを、まわりの人と分かち合うことが、私たちの奉献なのです。神の愛に感謝し、神の愛を分かち合う時、私たちは、聖霊の光に従って生きることになるのです。神の前での貧しさ、すべてを分かち合う貧しさ、愛に満たされた貧しさを生きていきたいと思います。
神に献げられる幼子は、「反対を受けるしるし」となります。神に献げられた者は、反対を受けるしるしとなります。神のみ旨に従って生きるからです。誰もが経験していることですが、この世界で、神に従って生きようとする時、多くの場合、困難を経験します。神のみ心の通りに生きようとする時、反対を受けます。生きようとすればするほど、反対は大きくなります。主イエスは、だから、十字架につけられました。しかし、十字架につけられたからこそ、復活があったのです。救いが、今、実現しているのです。
今日の福音に登場するシメオンは、「わたしはこの目であなたの救いを見た」と言って、神を賛美します。シメオンが賛える救いは、困難を伴わない、すぐに実現し、完成する救いではないのです。十字架という反対を受けながら、実現や完成までに時間がかかる救いなのです。希望としての救いなのです。私たちは今、救いが実現した時を生きています。しかし、救いは、まだ完成していません。完成していないだけではなく、罪の闇は深くなり、人びとの苦しみは増しているとさえ言えます。その意味で、私たちも、シメオンのように、救いの希望を宣べ伝え続けたいと思います。実現している救いの完成に向かって、希望を分かち合いながら、ともに歩んでいきたいと思います。
今日の福音に登場する、シメオンとアンナは、祈りながら、ひたすら待ち続け、ついに、救い主イエスに出会います。救いが実現するという希望を持ち続けます。神にみずからを献げるということは、神を信じて、この一途な思いを持ち続けるということではないでしょうか。私たちも、同じ一途な思いを持ち続けたいと思います。変化が激しい時に生きているからこそ、私たちに、「聖霊が…とどま」っておられることを信じて、救いの完成という希望を、一途な思いで宣べ伝えたいと思います。
愛に満ちた貧しさを生きることで、毎日の生活を神に献げましょう。どのような困難や反対があっても、神に従うことで、神にすべてをささげることができるように、心から祈り求めましょう。そして、一途な思いで、救いの完成に向かって歩み続ける巡礼、希望の巡礼の道を、ともに歩んでいきましょう。
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