2月5日「年間第5主日」の朗読箇所と説教
- kiotanblock
- Feb 1, 2023
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Updated: Feb 5, 2023
2月5日「年間第5主日」の朗読箇所と説教
一場神父から2月5日「年間第5主日」の朗読箇所と説教が届きましたので掲載します
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小教区窓口の皆様
いつもお世話になり、ありがとうございます。
2月5日「年間第5主日」の朗読箇所と説教をお送り致します。
「ことばの祭儀」の配信は、2月5日(日)午前7時の予定です。よろしくお願い致します。
厳しい寒さです。体調を崩さないよう、くれぐれもお気をつけください。皆様のために、お祈りしています。
一場
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【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)
★2月5日分は、下記です。「京都みんなでささげるミサ」の中です。 https://youtube.com/@user-lh9et2qf5t
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〔2月5日/年間第5主日〕
【第一朗読/イザヤ58・7-10】イザヤの預言
主は言われる。
わたしの選ぶ断食とは
58・7飢えた人にあなたのパンを裂き与え
さまよう貧しい人を家に招き入れ
裸の人に会えば衣を着せかけ
同胞に助けを惜しまないこと。
8そうすれば、あなたの光は曙のように射し出で
あなたの傷は速やかにいやされる。
あなたの正義があなたを先導し
主の栄光があなたのしんがりを守る。
9あなたが呼べば主は答え
あなたが叫べば
「わたしはここにいる」と言われる。
軛を負わすこと、指をさすこと
呪いの言葉をはくことを
あなたの中から取り去るなら
10飢えている人に心を配り
苦しめられている人の願いを満たすなら
あなたの光は、闇の中に輝き出で
あなたを包む闇は、真昼のようになる。
【答唱詩編/詩編112・4、6】
しあわせな人、神の恵みを受け、その喜びに生きる人。
詩編112
4光はやみの中に輝き、
神に従う人を照らす。
6神に従う人はとこしえにゆるぎなく、
その思い出はいつまでも続く。
【第二朗読/①コリント2・1-5】使徒パウロのコリントの教会への手紙
2・1兄弟たち、わたしはそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。2
なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。3
そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。4
わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、〝霊〟と力の証明によるものでした。5
それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。
【福音朗読/マタイ5・13-16】
アレルヤ、アレルヤ。わたしは世の光。わたしに従う人は命の光を持っている。アレルヤ、アレルヤ。
マタイによる福音
そのとき、イエスは弟子たちに言われた。5・13
「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。
14あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。15
また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。16
そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
【説教】
私たちは、今、神の国の福音を宣べ伝えながら、ともに、この地上を歩んでいます。すべてのいのちの幸いをめざして、この世界の中で生きています。主イエスは、今日、私たちが、「地の塩」であると宣言しておられます。「世の光」として歩んでいくように、私たち一人ひとりを励ましてくださいます。
私たちは、「地の塩」です。塩がなくなると、私たちは生きていけません。体内の塩分が不足すると、疲労を感じ、食欲がなくなります。頭痛や筋肉のけいれんが起こります。これほど必要不可欠な塩ですが、そのありがたみは、普段、意識されません。むしろ、塩分の摂りすぎに注意が向けられています。
私たちがまわりの人と分かち合っている福音も、塩と同じです。福音がなければ、福音を宣べ伝える私たちがいなければ、この地上のいのちは生きていけません。私たちは、日々、地道に福音を分かち合っています。まわりの人に優しく接します。どんなことにも、感謝のことばを忘れません。まわりのことを考えて、じっとがまんします。不器用と笑われても、誠実であり続けます。こうした生き方が、福音となります。地の塩となります。小さな行いです。短い一言です。誰にも気づかれない思いです。空気を読まない生き方です。しかし、だからこそ、すべてのいのちを支える福音となるのです。いのちを守る少量の塩となるのです。そして、福音を生きている私たちは、自信を失う時があります。自分は、「もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけ」の存在ではないか。そんな思いに駆られる時があります。しかし、それでも宣べ伝えることをやめない時、本当の福音となります。「塩気がなくな」らない、福音という塩となります。
私たちは、「世の光」です。私たち一人ひとりは、福音を誠実に生きている「世の光」です。そして、光である私たちが集まる時、大きな光となります。私たち一人ひとりの光は、さまざまな色です。その光が集まる時、キリストの色の光になります。私たち教会は、福音の分かち合いをします。福音の分かち合いとは、さまざまな色の福音がまざり合い、キリストという光になることです。一つの色だけの光がたくさん集まっても、その色の光でしかありません。でも、色の種類が多くなればなるほど、光そのもの、イエス・キリストになっていきます。
私たちは、今、シノドスを歩んでいます。シノドスとは、さまざまな色の私たちが、一つの色、世界の「中のものすべてを照らす」光となっていくことです。今の世界には、大きな闇があります。しかし、さまざまな色の光も、世界中で輝いています。こうした光が集まって、大きな光となっていくことが、シノドスです。さまざまな方向に向かっている光が、平和という一つの方向に向かって進んでいく時、シノドスとなります。一つの光の道をともに進んでいくというシノドスとなります。大切なことは、さまざまな色の光が集まるということです。私たちは、「世の光」です。シノドスという光です。
2月11日は、「世界病者の日」です。今年のテーマは、「この人を介抱してください」です。このテーマは、ルカによる福音書に登場する「よいサマリア人」のことばです。よいサマリア人は、「虐げられ、身ぐるみをはがされ、…道端に打ち捨てられている」人を介抱することで、「地の塩」となります。そして、宿屋の主人に、「この人を介抱してください」と依頼します。良いサマリア人は、宿屋の主人と、福音の光を分かち合います。二つの光が一つとなり、世界を照らす、愛の光、「世の光」となります。そして、私たちも、この光に加わっています。シノドスの光となっています。
今日、使徒パウロが分かち合っているように、福音宣教には、困難がともないます。「わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」と述べています。しかし、だからこそ、福音そのものを伝えることができたと言えます。私たちも、さまざまな困難を抱えています。だからこそ、共同体として、一つになって、「世の光」となっていきたいと思います。一人ひとりの「地の塩」としての生き方を大切にしながら、シノドスという光の道を、ともに歩んでいきたいと思います。
※ 2023年「第31回世界病者の日」教皇メッセージ↓
https://www.cbcj.catholic.jp/2023/01/24/26328/
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一場 修
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