2022年11月06日(日) 年間第32主日ミサ
- kiotanblock
- Nov 2, 2022
- 7 min read
2022年11月06日(日) 年間第32主日ミサ
2022年11月06日(日) 年間第32主日ミサ
一場神父から年間第32主日ミサの「朗読か所と説教」が届きましたので掲載します。
◆ ◆ ◆
11月6日「年間第32主日」朗読と説教
小教区役員窓口の皆様
いつもお世話になり、ありがとうございます。
11月6日「年間第32主日」の朗読箇所と説教をお送り致します。
「ことばの祭儀」の配信は、11月6日(日)午前7時の予定です。よろしくお願い致しま
皆様のためにお祈りしています。一場
◆ ◆ ◆
【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)
◆ ◆ ◆
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
《11月6日/年間第32主日》
★第一朗読/②マカバイ7・1-2、9-14
マカバイ記
その日、7・1七人の兄弟が母親と共に捕らえられ、鞭や皮ひもで暴行を受け、律法で禁じられている豚肉を口にするよう、王に強制された。2彼らの一人が皆に代わって言った。「いったいあなたは、我々から何を聞き出し、何を知ろうというのか。我々は父祖伝来の律法に背くくらいなら、いつでも死ぬ用意はできているのだ。」
二番目の者も9息を引き取る間際に言った。「邪悪な者よ、あなたはこの世から我々の命を消し去ろうとしているが、世界の王は、律法のために死ぬ我々を、永遠の新しい命へとよみがえらせてくださるのだ。」
10彼に続いて三番目の者もなぶりものにされた。彼は命ぜられると即座に舌を差し出し、勇敢に両手を差し伸べ、11毅然として言った。「わたしは天からこの舌や手を授かったが、主の律法のためなら、惜しいとは思わない。わたしは、主からそれらを再びいただけるのだと確信している。」12そこで、王自身も、供の者たちも、苦痛をいささかも意に介さないこの若者の精神に驚嘆した。
13やがて彼も息を引き取ると、彼らは四番目の者も同様に苦しめ、拷問にかけた。14死ぬ問際に彼は言った。「たとえ人の手で、死に渡されようとも、神が再び立ち上がらせてくださるという希望をこそ選ぶべきである。だがあなたは、よみがえって再び命を得ることはない。」
★答唱詩編/詩編17・1+2、3+5、13ab+15
主は豊かなあがないに満ち、いつくしみ深い。
詩編17
17・1神よ、わたしの正しい訴えと叫びに心を留め、
いつわりのない祈りに耳を傾けてください。
2正しいさばきをわたしに現し、
わけへだてのない目を注いでください。
3あなたは夜、わたしを訪れ、心をためされる。
あなたが火でためされても、逆らう思いはない。
5わたしはあなたのあとを歩み、
あなたの道を離れない。
13ab神よ、力を現し、
彼らに立ち向かってください。
15正しいさばきが現され、夜明けにあなたを仰ぐとき、
わたしはあなたに満たされる。
★第二朗読/②テサロニケ2・16-3・5
使徒パウロのテサロニケの教会への手紙
皆さん、2・16わたしたちの主イエス・キリスト御自身、ならびに、わたしたちを愛して、永遠の慰めと確かな希望とを恵みによって与えてくださる、わたしたちの父である神が、17どうか、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように。
3・1終わりに、兄弟たち、わたしたちのために祈ってください。主の言葉が、あなたがたのところでそうであったように、速やかに宣べ伝えられ、あがめられるように、2また、わたしたちが道に外れた悪人どもから逃れられるように、と祈ってください。すべての人に、信仰があるわけではないのです。3しかし、主は真実な方です。必ずあなたがたを強め、悪い者から守ってくださいます。4そして、わたしたちが命令することを、あなたがたは現に実行しており、また、これからもきっと実行してくれることと、主によって確信しています。5どうか、主が、あなたがたに神の愛とキリストの忍耐とを深く悟らせてくださるように。
★福音朗読/ルカ20・27-38
アレルヤ、アレルヤ。イエス・キリストは死者のうちから最初に生まれた方。栄光と支配は世々に彼のもの。アレルヤ、アレルヤ。
ルカによる福音
そのとき、20・27復活があることを否定するサドカイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに尋ねた。
28「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。29ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、子がないまま死にました。30次男、31三男と次々にこの女を妻にしましたが、七人とも同じように子供を残さないで死にました。32最後にその女も死にました。33すると復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」
34イエスは言われた。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、35次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。36この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。37死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。38神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」
[説教]
11月は、「死者の月」です。私たち教会は、「交わり」を生きています。教会とは、交わりです。今月、私たちは、亡くなった姉妹兄弟のために、熱心に祈ることで、交わりを深めます。神と私たちの交わりを深めます。天上と地上の交わり、地上で生きている私たちの交わりを深めます。
今日の第一朗読は、「マカバイ記」からです。7人の兄弟たちとその母親の殉教の物語です。「律法」は、神が求める生き方です。この人たちは、この生き方をやめるように、権力者から強要されます。しかし、この人たちはこの要求を拒否し、殉教します。この人たちは、神が求める生き方を守り通すことで、神との交わりを保ちます。保つだけでなく、いっそう深めます。神との交わりだけでなく、互いの交わりを確かなものとします。同じ神のために、同じ生き方を貫き、同じ苦しみを受け、同じ死を遂げるのです。さらに、兄弟たちの一人は、「父祖伝来の律法」を守り通すために、命をささげることを宣言します。この人たちの殉教は、すでに亡くなっている先祖たちとの交わりへと広がっていくのです。そして、この交わりの深まり、広がりは、交わりの完成にいたります。二番目に殉教した人は、力強く、信仰宣言します。「世界の王は、律法のために死ぬ我々を、永遠の新しい命へとよみがえらせてくださるのだ。」この「永遠の新しい命」こそ、交わりの完成なのです。いのちが「永遠」に続くとは、交わりが完成し、永遠に続くことなのです。
今日の福音は、「復活」についての、主イエスの教えを伝えています。「復活があることを否定するサドカイ派の人々」は復活を、この地上での生き方が死後も続くことだと誤解しています。この地上での人間関係、交わりが維持されることだと誤解しています。
主イエスは、こうした誤解を正します。主は、はっきりと言われます。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。この人たちは、もはや死ぬことがない。」結婚によって成り立つ交わりは、大切な交わりです。守られなければなりません。しかし、交わりは、閉ざされてはならないのです。「復活」とは、開かれた交わりを生きるということです。「死ぬことがない」とは、交わりが閉ざされず、常に開かれているということです。天上では、神との完全な交わり、相互の完全な交わり、開かれ、広がっていく交わりが実現しているのです。
さらに、主イエスは宣言されます。「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」この神は、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」である。だから、地上を去った、この三人も、「生きている者」だ。復活するのだ。主イエスは、そう宣言されています。「生きている者」は、この三人だけではありません。殉教した、あの7人の兄弟たちと母親も、「生きている者」です。そして、私たちは、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」という名に、新たな名を加えてよいのです。愛する家族の名前を加えましょう。共同体の仲間の名前を加えましょう。隣りに住んでいる人の名前を加えましょう。嫌いな人の名前も加えましょう。亡くなった人たちの名前を加えましょう。名前を知らない人も加えましょう。たとえば、「ウクライナの人々の神」ということもできます。こうして、「生きている者の神」の呼び名は、長くなります。日々、長くなっていきます。神に呼びかけるだけで、疲れてしまうかもしれません。しかし、この長い呼び名をもって、神に祈ることが、「交わり」を生きることなのです。「復活」という交わりを生きることなのです。終わることのない「永遠の新しい命」を生きることなのです。
私たちの「シノドス」の歩みは、続いています。亡くなった人々が歩んできたシノドスという道に、地上で生きている私たちも加わっています。亡くなった人々とともに、シノドスを歩んでいきましょう。「生きている者の神」、「すべてのいのちの神」との完全な交わりをめざして、ともに歩んでいきましょう。
--
一場 修
Comments