2025年1月1日「神の母聖マリア」の聖書朗読と説教
- kiotanblock
- Jan 2
- 6 min read
2025年1月1日「神の母聖マリア」の聖書朗読と説教
一場神父から上記説教等が届きましたので掲載します。
◆◆◆
京丹ブロックの皆様
いつもお世話になり、ありがとうございます。
2025年1月1日「神の母聖マリア」の聖書朗読と説教をお送り致します。「ことばの祭儀」は、1月1日(水)午前0時に公開予定です。よろしくお願い致します。
2025年が、皆様にとって、良い年でありますように、お祈りしています。皆様が、希望の巡礼者として、良い一年を過ごされますように、心から願っています。
一場
◆◆◆
【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)
◆◆◆
〔1月1日/神の母聖マリア〕【第一朗読/民数記6・22-27】
(民数記)
*6・22*主はモーセに仰せになった。
*23*アロンとその子らに言いなさい。
あなたたちはイスラエルの人々を祝福して、次のように言いなさい。
*24*主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
*25*主が御顔を向けてあなたを照らしあなたに恵みを与えられるように。
*26*主が御顔をあなたに向けてあなたに平安を賜るように。
*27*彼らがわたしの名をイスラエルの人々の上に置くとき、わたしは彼らを祝福するであろう。
【答唱詩編】
神のみ旨を行うことは、わたしの心の喜び。
(詩編67)
*67・2*神よ、あわれみと祝福をわたしたちに。
あなたの顔の光をわたしたちの上に照らしてください。
*3*あなたのわざが世界に知られ、
救いがすべての国に知られるように。
*4*諸国の民はあなたをたたえ、
すべての民はあなたを賛美せよ。
*5*すべての国は、喜び歌え。
あなたは民を正しくさばき、諸国の民を導かれる。
*7*地は豊かに実り、
神はわたしたちを祝福された。
*8*地の果てに至るまで、神をおそれ敬え。
神はわたしたちを祝福された。
【第二朗読/ガラテヤ4・4-7】
(使徒パウロのガラテヤの教会への手紙)
皆さん、*4・4*時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。*5*
それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。*6*
あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。*7*
ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです。
【福音朗読/ルカ2・16-21】
アレルヤ、アレルヤ。神は昔、預言者を通して先祖に語られたが、この終わりの時にはご自分の子を通してわたしたちに語られた。アレルヤ、アレルヤ。
(ルカによる福音)
そのとき、羊飼いたちは、*2・16*急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。*17*
その光景を見て、彼らは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。*18*聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。*19*
しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。*20*
羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
*21*八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。
[説教]
今日は、「世界平和の日」です。私たちの救い主は、この世界に平和をもたらすために、おとめマリアから、お生まれになりました。私たちは今日、この平和を、神の母聖マリアと分かち合います。
救い主によってもたらされた平和とは、どのような平和でしょうか。今年の、「世界平和の日」教皇メッセージで、次のように述べられています。「
真の平和を求めましょう。武装を解いた心に、神が与えてくださる平和を。どこまでが自分のもので、どこまでが相手のものか計算することに固執しない心、自己中心性が砕かれ、他者との出会いに向かう意欲のある心、神に対して負い目がある自分であることをきっぱりと認め、だからこそ、苦しむ隣人の負い目をゆるす心、この世界にとってはすべての人が財産であるという希望を抱き、未来への不安を乗り越える心です。
武装を解いた心に、神が与えてくださる平和を。どこまでが自分のもので、どこまでが相手のものか計算することに固執しない心、自己中心性が砕かれ、他者との出会いに向かう意欲のある心、神に対して負い目がある自分であることをきっぱりと認め、だからこそ、苦しむ隣人の負い目をゆるす心、この世界にとってはすべての人が財産であるという希望を抱き、未来への不安を乗り越える心です。
心の武装解除は、最初の人から最後の人まで、小さな人から大きな人まで、裕福な人から貧しい人まで、すべての人を巻き込む行為です。『ちょっとしたほほえみ、親しみのしぐさ、兄弟としてのまなざし、真摯な傾聴、無償の奉仕』
といった単純なことで十分なときもあります。このような小さくも偉大な行為によって、わたしたちは平和というゴールに近づきます。」
「飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子」によって与えられる平和とは、この心の武装解除ではないでしょうか。
「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。」聖母マリアの心は、武装解除されています。聖母は、すべてのいのちの出来事を心に納めています。いのちが、特に、小さく、弱いいのちがいかに大切かを思い巡らしています。元気に生きているいのちとともに喜び、傷ついているいのちとともに苦しみ、悲しんでいます。この世界から憎しみや無関心がなくなるように、祈り続いています。すべてのいのちが愛し合えるように、この世界が愛で満たされように、休むことなく祈っています。すべての人が、安心して、互いに信頼し合い、ゆるし合って、心の武装を解除できるように、すべての人のために祈りをささげています。
私たちも、聖母マリアのように、心を武装解除して、世界平和のために、祈り続けたいと思います。聖母の祈りに支えられて、真の平和の実現のために、この世界の中で、具体的な行いを実行していきたいと思います。世界平和は、私たちが絶対に失ってはいけない希望です。私たちは今、希望の巡礼者となって、世界平和という希望を、日々出会う人と分かち合うように招かれています。
教皇メッセージの結びの祈りを、ともにささげながら、希望の巡礼の歩みを続けていきましょう。
「主よ、わたしたちの負い目をゆるしてください、
わたしたちも自分に負い目のある人をゆるします。
この互いにゆるし合う輪の中に、あなたの平和をお与えください。
心の武具を脱ぎ去った者たちに、
希望をもって兄弟姉妹の負い目をゆるそうとする者たちに、
あなたに負い目があることをすすんで告白する者たちに、
貧しい人の叫びに耳を閉ざすことのない者たちに、
あなただけが与えることのできる平和をお与えください。」
※2025年「世界平和の日」教皇メッセージ| カトリック中央協議会
Comments