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3月12日「四旬節第3主日」の朗読聖書と説教

  • kiotanblock
  • Mar 10, 2023
  • 8 min read

3月12日「四旬節第3主日」の朗読聖書と説教


 一場神父から「四旬節第3主日」の朗読聖書と説教が届きましたので掲載します

◆ ◆ ◆

小教区窓口の皆様


いつもお世話になり、ありがとうございます。


3月12日「四旬節第3主日」の朗読聖書と説教をお送り致します。


ことばの祭儀は、3月12日午前7時に公開予定です。よろしくお願い致します


皆様が神の愛に満ちた四旬節を過ごされますよう、お祈りしています。


一場

◆ ◆ ◆


【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)



◆ ◆ ◆


〔3月12日/四旬節第3主日〕

【第一朗読/出エジプト17・3-7】出エジプト記


その日、17・3民は喉が渇いてしかたないので、モーセに向かって不平を述べた。


「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしも子供たちも、家畜までも渇きで殺すためなのか。」


4モーセは主に、「わたしはこの民をどうすればよいのですか。彼らは今にも、わたしを石で打ち殺そうとしています」と叫ぶと、5主はモーセに言われた。


「イスラエルの長老数名を伴い、民の前を進め。また、ナイル川を打った杖を持って行くがよい。6

見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができる。」


モーセは、イスラエルの長老たちの目の前でそのとおりにした。7

彼は、その場所をマサ(試し)とメリバ(争い)と名付けた。イスラエルの人々が、「果たして、主は我々の間におられるのかどうか」と言って、モーセと争い、主を試したからである。

【答唱詩編/詩編95・1+2、5+6、7+8】


神に向かって喜び歌い、感謝の歌をささげよう。

詩編95


95・1神に向かって喜びうたい、

救いの岩に声をあげよう。

2感謝に満ちてみ前に進み、

楽の音に合わせ神をたたえよう。


5海は神のもの、神に造られたもの。

陸も神のもの、神に形造られたもの。

6身を低くして伏し拝もう、

わたしたちを造られた神の前に。


7神は、わたしたちの神。

わたしたちは神の民、そのまきばのひつじ。

8きょう、神の声を聞くなら、

神に心を閉じてはならない。

【第二朗読/ローマ5・1-2、5-8】使徒パウロのローマの教会への手紙


皆さん、5・1わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、2

このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。5

希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。6

実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。7

正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。8

しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。

【福音朗読/ヨハネ4・5-15、19b-26、39a、40-42】


主よ、あなたはまことに世の救い主。もう乾くことのないように、いのちの水を与えてください。

ヨハネによる福音


そのとき、4・5イエスは、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。6

そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。


7サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。8弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。9

すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。

10

イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」

11女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。12

あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」13

イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。14

しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」15

女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。19b主よ、あなたは預言者だとお見受けします。20

わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」21

イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。22

あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。23

しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。

24神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」25

女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」26

イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」


39aさて、その町の多くのサマリア人は、イエスを信じた。40

そこで、このサマリア人たちはイエスのもとにやって来て、自分たちのところにとどまるようにと頼んだ。イエスは、二日間そこに滞在された。41

そして、更に多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。42

彼らは女に言った。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。」



【説教】


四旬節は、世界中の洗礼志願者とともに、洗礼の恵みを深める時です。洗礼には、「水」が必要です。私たちは今日、この水について黙想するよう招かれています。


今日の第一朗読は、荒れ野で水を求める人々の姿を伝えています。そして、水は神から与えられます。私たちも今、四旬節という荒れ野を旅しています。私たちは、今、自分に問いかけたいと思います。私は、渇いているいるだろうか。神に水を求めているだろうか。荒れ野は、渇きを感じるところです。そして、神が、私たちの渇きをいやしてくださいます。


では、私たちが求める水とは、神から与えられる水とは何でしょうか。今日の福音朗読で、主イエスは、その答えを示しておられます。主イエスは言われます。「わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」


洗礼は、主イエスが、この「生きた水」を与えてくださるという恵みです。洗礼式で注がれる、感じることができる水は、生きた水のでしるしです。この生きた水は、洗礼を受けた者の日々の生活の中でわき出ます。そして、私たちを生かし続けます。洗礼を受けた者は、ただ生きるのではありません。「永遠の命」を生きるのです。「永遠の命」とは、愛に満たされたいのちと言いかえることができます。


今日の第二朗読で、使徒パウロは、はっきりと言っています。「わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれている」と言っています。パウロの言葉を用いれば、「生きた水」とは、「聖霊」です。「永遠の命」とは、「神の愛」です。神の愛とは、神が私たちを愛しておられるということです。そして、私たちが、互いに愛し合えるということです。互いに愛し合う時、神に愛されていることを体験できるということです。ですから、私たちが求める水とは、日々愛し合って生きることなのです。私たちは、愛し合うことを渇き求めて、この四旬節という荒れ野を歩むよう、主イエスから励まされているのです。


主イエスは、さらに言われます。「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時がくる。」この言葉の意味は、「まことの礼拝とは、まことの愛を生きることである」ということです。すべての人は、神に等しく愛されています。だから、私たちは、いつでも、どこでも、誰とでも、互いに愛し合える時、そこに、神の愛の実現しています。まことの愛が実現しています。まことの礼拝が実現しています。そして、主イエスが言われるように、四旬節の「今がその時」なのです。


まことの愛を生きることは、難しいことです。しかし、難しいとばかりいって、何もしようとしないならば、私たちは、渇きを感じることもなくなるでしょう。それは、渇きが潤されたからではありません。生きた水が枯渇して、永遠の命である愛が死んでいるからです。しかし、まことの愛は、永遠に死ぬことはありません。渇き求めれば、再び、豊かにわき出る泉となります。


最後に、このまことの愛、永遠の命を、今生きている方の証を分かち合いたいと思います。先月28日、京都キリスト教協議会の総会が行われました。日本ハリストス正教会の方も来られていました。日本ハリストス正教会は、ロシア正教会と深いつながりを持っています。しかし、日本ハリストス正教会には、ロシアの人、ウクライナの人、セルビアの人といったさまざまな人々が来ています。今回のロシアのウクライナ侵攻で、最も悲しく、苦しい思いをしているのは、日本ハリストス正教会の姉妹兄弟であるといえます。しかし、総会において、代表の方は、次のような趣旨のことを、力強く宣言されました。「教会にお祈りに来る人は、どこから来たかを問わず、誰でも歓迎しています。」これこそ、まことの礼拝、まことの愛の、力強い、生きた証ではないでしょうか。


私たちは、この四旬節、日本ハリストス正教会の姉妹兄弟とともに、まことの礼拝をささげたいと思います。まことの愛を生きることで、ささげたいと思います。日々、まことの愛を渇き求めることで、ささげたいと思います。何があっても、まことの愛を渇き求め続けることができる。これこそ、洗礼の恵みなのです。



※聖自治日本正教会主教会議声明「愛と平和の希求」(2022年3月10日)↓

https://www.orthodoxjapan.jp/pdf/20220310.pdf



※府主教ダニイルから総主教キリルへの書簡(2022年3月29日)↓


https://www.orthodoxjapan.jp/pdf/20220329.pdf




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一場 修


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