3月24日「受難の主日」の受難朗読と説教
- kiotanblock
- Mar 18, 2024
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3月24日「受難の主日」の受難朗読と説教
一場神父から3月24日「受難の主日」の受難朗読と説教が届きましたので掲載します。
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小教区窓口の皆様
いつもお世話になり、ありがとうございます。
3月24日「受難の主日」の受難朗読と説教をお送り致します。「ことばの祭儀」は、3月24日(日)午前7時に公開予定です。
よろしくお願い致します。
皆様が実り多い聖週間を過ごされますようにお祈りしています。
一場
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【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)
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〔3月24日/受難の主日〕
【受難の朗読/マルコ15・1-39】
マルコによる主イエス・キリストの受難
15・1夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。*2*
ピラトはイエスに尋問した。
「お前がユダヤ人の王なのか。」
イエスは答えられた。
「それは、あなたが言っていることです。」
3そこで祭司長たちが、いろいろとイエスを訴えた。*4*ピラトが再び尋問した。
「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに。」
5しかし、イエスがもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思議に思った。*6*
ところで、祭りの度ごとに、ピラトは人々が願い出る囚人を一人釈放していた。*7*
さて、暴動のとき人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中に、バラバという男がいた。*8*群衆が押しかけて来て、いつものようにしてほしいと要求し始めた。
9そこで、ピラトは言った。
「あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか。」
10祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。*11*
祭司長たちは、バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動した。*12*そこで、ピラトは改めて言った。
「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか。」
13群衆はまた叫んだ。
「十字架につけろ。」
14ピラトは言った。
「いったいどんな悪事を働いたというのか。」
群衆はますます激しく叫び立てた。
「十字架につけろ。」
15ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。*16*
兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。*17*そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、
18「ユダヤ人の王、万歳」
と言って敬礼し始めた。*19*また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。*20*
このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。*21*
そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。*22*
そして、イエスをゴルゴタという所その意味は「されこうべの場所」に連れて行った。*23*
没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。*24*
それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、その服を分け合った、だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。*25*
イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。*26*罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。*27*
また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。*28-29*
そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。
「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、*30*十字架から降りて自分を救ってみろ。」
31同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。
「他人は救ったのに、自分は救えない。*32*メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」
一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。*33*昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。*34*
三時にイエスは大声で叫ばれた。
「エロイ、工ロイ、レマ、サバクタニ。」
これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。*35*そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、
「そら、エリヤを呼んでいる」
と言う者がいた。*36*ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、
「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」
と言いながら、イエスに飲ませようとした。*37*しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。
38すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。*39*
百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て言った。
「本当に、この人は神の子だった。」
【説教】
私たちは今日、主イエスとともに、受難の道を歩んでいます。受難の道を歩みながら、私たちは、主イエスとともに、祈りをささげます。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と祈ります。
私たちが信じるている神は、「わが神」です。私たち一人一人の神です。いつでも、どこでも、一人一人とともにいてくださる神です。ともにいて、いつでも、耳を傾けてくださる神です。耳を傾けてくださるしるしは、神の沈黙です。私たちの神は、すべての祈りを聞き入れてくださいます。神が沈黙を保たれるのは、すべての祈りを聞き入れてくださっているからなのです。何か問いを出せば、すぐに答えが返ってくる。誰かからメッセージが来れば、すぐに返さなければならない。沈黙が許されない。時間をかけて考えているととり残される。私たちは、沈黙することを奪われています。沈黙を奪い合っています。そして、「わが神」が耳を傾けてくださっていることを忘れがちになっています。私たちは今、沈黙の時を取り戻すよう招かれています。神の聖なる沈黙、愛に満ちた沈黙を、皆で分かち合うよう招かれています。
「わが神」と祈る主は、神に問いかけられます。「なぜわたしをお見捨てになったのですか」と問いかけられます。ここでの「わたし」は、主イエスご自身だけではありません。今苦しんでいるすべての人です。主は、苦しんでいる一人一人と、ともに苦しんでおられます。「神は必ず救ってくださる」といった慰めを口にされません。「見捨てられている」という苦しみを、ともにされます。私たちも今、主の苦しみに加わるように招かれています。主の苦しみに加わることで、すべての人と、苦しみを分かち合うように招かれています。まわりの人の苦しみを、「わたし」の苦しみとして受け止め、「わたしたち」の苦しみとするよう招かれているのです。私たちは、「なぜわたしたちをお見捨てになったのですか」と祈りたいとます。今、この世界で多くの人びとが苦しんでいます。パレスチナで難民生活を強いられている人びとの苦しみは、1948年に始まりました。その苦しみは、75年を超えています。神に問いかける前に、私たちこそ、苦しんでいる人を見捨ててきたのです。複雑で、解決困難な問題だ。憎しみの連鎖を止めることはできない。そうした言葉に惑わされて、そうした言葉を言い訳にして、見捨ててきたのです。私たちは今、ともに、「なぜわたしたちをお見捨てになったのですか」と、「大声を出して」祈るよう求められています。パレスチナの地に生きた主イエスとともに、「大声を出して」祈り続けるように求められています。
主イエスとともにいた「百人隊長」は、イエスの祈りを耳にしました。「大声を出」すイエスを目の当たりにしました。祈りのうちに息を引きとられる主イエスを、じっと見つめました。そして、「本当に、この人は神の子だった」と信仰宣言しました。なぜ、百人隊長は、このような、力強い信仰宣言をすることができたのでしょうか。今日、受難の主イエスの前に集まっている私たちは、百人隊長のように、心から信仰を宣言することができるでしょうか。できないとしたら、なぜでしょうか。こうした問いかけを心の中で繰り返しながら、聖週間を、主とともに、世界の苦しんでいる人びととともに歩んでいきましょう。
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