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3月28日「主の晩餐の夕べのミサ」の聖書朗読と説教、および29日「主の受難」の受難朗読と説教

3月28日「主の晩餐の夕べのミサ」の聖書朗読と説教、および29日「主の受難」の受難朗読と説教

 一場神父から上記説教等が届きましたので掲載します。

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小教区窓口の皆様

いつもお世話になり、ありがとうございます。

3月28日「主の晩餐の夕べのミサ」の聖書朗読と説教、および29日「主の受難」の受難朗読と説教をお送り致します。YouTube配信は、両日とも、午後7時の予定で、「晩の祈り」をお届け致します。

よろしくお願い致します。

皆様が、良い「聖なる過越の三日間」を過ごされますようにお祈りしています。

一場

◆◆◆

【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)

◆◆◆

〔3月28日/主の晩餐の夕べのミサ〕

【第一朗読/出エジプト記12・1-8、11-14】

出エジプト記

その日、*12・1*エジプトの国で、主はモーセとアロンに言われた。*2*「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい。*3*

イスラエルの共同体全体に次のように告げなさい。『今月の十日、人はそれぞれ父の家ごとに、すなわち家族ごとに小羊を一匹用意しなければならない。*4*

もし、家族が少人数で小羊一匹を食べきれない場合には、隣の家族と共に、人数に見合うものを用意し、めいめいの食べる量に見合う小羊を選ばねばならない。*5*

その小羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。用意するのは羊でも山羊でもよい。*6*

それは、この月の十四日まで取り分けておき、イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、*7*

その血を取って、小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る。*8*そしてその夜、肉を火で焼いて食べる。また、酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる。

11それを食べるときは、腰帯を締め、靴を履き、杖を手にし、急いで食べる。これが主の過越である。*12*

その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃つ。また、エジプトのすべての神々に裁きを行う。わたしは主である。

13

あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。

14

この日は、あなたたちにとって記念すべき日となる。あなたたちは、この日を主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない。』」

【答唱詩編/詩編116・12+13、15+16b、17+18】

このパンを食べ、この杯を飲み、わたしは主の死を告げ知らせる。

詩編116

116・12神が与えてくださったすべての恵みに、

どのようにこたえようか。

13わたしは救いの杯をささげ、

神の名を呼び求めよう。

15神を敬う人の死は、

神の前にとうとい。

16b神よ、わたしはあなたに仕え、

あなたはわたしを救われる。

17わたしは感謝のいけにえをささげ、

神の名を呼び求めよう。

18すべての民の前に進み出て、

神に立てた誓いを果たそう。

【第二朗読/①コリント11・23-26】

使徒パウロのコリントの教会への手紙

皆さん、*11・23*わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、*24*

感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。*25*

また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。

26だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。

【福音朗読/ヨハネ13・1-15】

新しい掟をあなたがたに与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように。

ヨハネによる福音

13・1過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。

2夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。*3*

イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、*4*

食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。*5*

それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。*6*

シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。*7*

イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。*8*

ペトロが「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。

9そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」*10*

イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」*11*

イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。

12さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。*13*

あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。*14*

ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。*15*

わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」

【説教】

今晩、私たちは、主イエスの愛を分かち合うために、集まっています。主が、私たちを招いてくださったのです。

福音記者ヨハネは伝えています。「イエスは…世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」この深い愛の行いとして、主イエスは、「弟子たちの足を洗い」ます。イエスがパレスチナで生きておられた当時、主人の足を洗うことは、奴隷の仕事でした。奴隷は、主人が生きていくために必要なことを行います。奴隷がいなければ、主人は生きていくことができませんでした。

主イエスは今晩、私たち一人一人の足を洗ってくださいます。想像してみましょう。今、主が私たち一人一人の前に跪いて、私たちの足を、丁寧に洗っておられます。そして、手ぬぐいで、優しくふいてくださいます。

この世界で生きている私たちは、いつも何かに追われて生きています。急ぐ必要などまったくないのに、互いに急かし合います。

時間を節約するために、忙しく動きます。そして、節約した時間を、さらに忙しく過ごしています。

だから、私たちの足は疲れています。足だけでなく、全身が、心が疲れています。生きることに疲れています。生きることに疲れて、愛されていることを感じることができなくなっています。疲れていて、時間がなくて、愛することができなくなっています。

主イエスは、そんな私たちの足を洗ってくださいます。主に足を洗っていただくと、足の、全身の、心の疲れが取れて、元気になります。今晩の福音で、「全身清い」という言葉が出てきます。それは、全身の疲れが取れて、元気になるということであるといえます。元気になって、愛を感じることができるということであるといえます。私たちは、元気になって、愛されていることに、愛することに、喜びを感じる時、清くなっているのです。私たちは、今晩、ゆっくりと、主イエスに、洗っていただきましょう。主の「たらい」は、愛で満ちています。温かい愛という水であふれています。その愛で、主は、私たちの疲れた足を洗ってくださるのです。目的もなく走り回っていた足は、疲れが取れて、愛のために、ゆっくりと、一歩一歩歩む足になるのです。

今晩、主の晩餐の夕べのミサが終わったら、主イエスとの、ゆっくりとした時間を持ちましょう。足を洗ってくださる主の姿を想像しながら、静かな時間を過ごしましょう。主の温かい愛で、私たちの心を、時間をかけて、洗っていただきましょう。

私たちは、「世にいる弟子」です。世にいて、主に愛されている弟子です。世にいて、主の愛を告げ知らせる弟子です。私たちは、ただ主に足を洗っていただくだけではありません。主がおっしゃっている通り、「互いに足を洗い合わなければならない」のです。私たち一人一人に、主の温かい愛で満ちた「たらい」が与えられています。愛のたらいを携えて、主の愛を、この世界にもたらしましょう。憎しみや無関心で冷え切った足を洗うために、ともに歩んでいきましょう。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

〔3月29日/主の受難〕

【受難の朗読/ヨハネ18・1-19・42】

ヨハネによる主イエス・キリストの受難

18・1夕食のあと、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。*2*

イエスを裏切ろうとしていたユダも、その場所を知っていた。イエスは、弟子たちと共に度々ここに集まっておられたからである。*3*

それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて、そこにやって来た。松明やともし火や武器を手にしていた。*4*

イエスは御自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、言われた。

「だれを捜しているのか。」

5彼らは答えた。

「ナザレのイエスだ。」

イエスは言われた。

「わたしである。」

イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた。*6*イエスが「わたしである」と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れた。*7*

そこで、イエスは重ねてお尋ねになった。

「だれを捜しているのか。」

彼らは言った。

「ナザレのイエスだ。」

8すると、イエスは言われた。

「『わたしである』と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」

9それは、「あなたが与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした」と言われたイエスの言葉が実現するためであった。*10*

シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落とした。手下の名はマルコスであった。*11*

イエスはペトロに言われた。

「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。」

12そこで一隊の兵士と千人隊長、およびユダヤ人の下役たちは、イエスを捕らえて縛り、*13*

まず、アンナスのところへ連れて行った。彼が、その年の大祭司カイアファのしゅうとだったからである。*14*

一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だと、ユダヤ人たちに助言したのは、このカイアファであった。

15シモン・ペトロともう一人の弟子は、イエスに従った。この弟子は大祭司の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の屋敷の中庭に入ったが、*16*

ペトロは門の外に立っていた。大祭司の知り合いである、そのもう一人の弟子は、出て来て門番の女に話し、ペトロを中に入れた。*17*

門番の女中はペトロに言った。

「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。」

ペトロは言った。

「違う。」

18僕や下役たちは、寒かったので炭火をおこし、そこに立って火にあたっていた。ペトロも彼らと一緒に立って、火にあたっていた。*19*

大祭司はイエスに弟子のことや教えについて尋ねた。*20*イエスは答えられた。

「わたしは、世に向かって公然と話した。わたしはいつも、ユダヤ人が皆集まる会堂や神殿の境内で教えた。ひそかに話したことは何もない。*21*

なぜ、わたしを尋問するのか。わたしが何を話したかは、それを聞いた人々に尋ねるがよい。その人々がわたしの話したことを知っている。」

22イエスがこう言われると、そばにいた下役の一人が、イエスを平手で打って言った。

「大祭司に向かって、そんな返事のしかたがあるか。」

23イエスは答えられた。

「何か悪いことをわたしが言ったのなら、その悪いところを証明しなさい。正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか。」

24アンナスは、イエスを縛ったまま、大祭司カイアファのもとに送った。*25*シモン・ペトロは立って火にあたっていた。人々は言った。

「お前もあの男の弟子の一人ではないのか。」

ペトロは打ち消して、言った。

「違う。」

26大祭司の僕の一人で、ペトロに片方の耳を切り落とされた人の身内の者が言った。

「園であの男と一緒にいるのを、わたしに見られたではないか。」

27ペトロは、再び打ち消した。するとすぐ、鶏が鳴いた。

28

人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。明け方であった。しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。汚れないで過越の食事をするためである。

29そこで、ピラトが彼らのところへ出て来て、言った。

「どういう罪でこの男を訴えるのか。」

30彼らは答えて、言った。

「この男が悪いことをしていなかったら、あなたに引き渡しはしなかったでしょう。」

31ピラトは言った。

「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け。」

ユダヤ人たちは言った。

「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません。」

32それは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、イエスの言われた言葉が実現するためであった。*33*

そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出して、言った。

「お前がユダヤ人の王なのか。」

34イエスはお答えになった。

「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」

35ピラトは言い返した。

「わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。」

36イエスはお答えになった。

「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」

37そこでピラトが言った。

「それでは、やはり王なのか。」

イエスはお答えになった。

「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」

38ピラトは言った。

「真理とは何か。」

ピラトは、こう言ってからもう一度、ユダヤ人たちの前に出て来て言った。

「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。*39*

ところで、過越祭にはだれか一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。あのユダヤ人の王を釈放してほしいか。」

40すると、彼らは、大声で言い返した。

「その男ではない。バラバを。」

バラバは強盗であった。*19・1*そこで・ピラトはイエスを捕らえ、鞭で打たせた。*2*兵士たちは茨で冠を編んでイエスの頭に載せ、紫の服をまとわせ、*3*

そばにやって来ては、平手で打って言った。

「ユダヤ人の王、万歳。」

4ピラトはまた出て来て、言った。

「見よ、あの男をあなたたちのところへ引き出そう。そうすれば、わたしが彼に何の罪も見いだせないわけが分かるだろう。」

5イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは言った。

「見よ、この男だ。」

6祭司長たちや下役たちは、イエスを見ると叫んだ。

「十字架につけろ。十字架につけろ。」

ピラトは言った。

「あなたたちが引き取って、十字架につけるがよい。わたしはこの男に罪を見いだせない。」

7ユダヤ人たちは答えた。

「わたしたちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当たります。神の子と自称したからです。」

8ピラトは、この言葉を聞いてますます恐れ、*9*再び総督官邸の中に入って、イエスに言った。

「お前はどこから来たのか。」

しかし、イエスは答えようとされなかった。*10*そこで、ピラトは言った。

「わたしに答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、このわたしにあることを知らないのか。」

11イエスは答えられた。

「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。」

12そこで、ピラトはイエスを釈放しようと努めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。

「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。」

13ピラトは、これらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。*14*

それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。ピラトはユダヤ人たちに言った。

「見よ、あなたたちの王だ。」

15彼らは叫んだ。

「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」

ピラトは言った。

「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか。」

祭司長たちは答えた。

「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません。」

16そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。こうして、彼らはイエスを引き取った。*17*

イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。*18*

そこで、彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。*19*

ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。*20*

イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。*21*

ユダヤ人の祭司長たちはピラトに言った。

「『ユダヤ人の王』と書かず、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください。」

22しかし、ピラトは答えた。

「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ。」

23

兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。

24そこで、話し合った。

「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう。」

それは、「彼らはわたしの服を分け合い、わたしの衣服のことでくじを引いた」という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。

25イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。*26*

イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に言われた。

「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。」

27それから弟子に言われた。

「見なさい。あなたの母です。」

そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。*28*この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、言われた。

「渇く。」

こうして、聖書の言葉が実現した。*29*

そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。*30*

イエスは、このぶどう酒を受けると、言われた。

「成し遂げられた。」

そして、頭を垂れて息を引き取られた。

31

その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。

32そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。*33*

イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。*34*

しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。*35*

それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている。*36*

これらのことが起こったのは、「その骨は一つも砕かれない」という聖書の言葉が実現するためであった。*37*

また、聖書の別の所に、「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」とも書いてある。*38*

その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。

39そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。*40*

彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。*41*

イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。*42*

その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。

【説教】

私たちは、今日、「イエスの十字架のそばに」行くよう招かれています。十字架のそばには、イエスの「母」と「愛する弟子」がいます。

イエスの母は、イエスを深く愛している人です。愛する弟子は、イエスに深く愛されている人です。そして、福音記者ヨハネは、二人の名を記していません。私たちは、この二人に、自由に名をつけることができます。ですから、イエスを深く愛している人は皆、イエスの母となることができます。イエスに深く愛されている人は誰でも、イエスの愛する弟子となることができます。「イエスの十字架のそばに」いる私たちは、今日、イエスの母となり、イエスの愛する弟子となるように招かれています。イエスを深く愛し、イエスに深く愛されるように招かれています。

イエスは、二人を見て、母に言われます。「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。」この言葉を耳にして、「イエスの十字架のそばに」いる私たちは、イエスだけでなく、イエスが深く愛しておられる人をも愛するようになります。そして、イエスは、愛する弟子に言われます。「見なさい。あなたの母です。」この言葉によって、私たちは、自分がまわりから、いかに愛されているかに気づきます。こうして、「イエスの十字架のそば」で、愛が広がり、深まっていきます。

「そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」福音記者は、そう証言しています。私たちは、この時、教会が誕生したということができます。愛の交わりとしての教会の歩みが始まったといえます。教会とは、「イエスの十字架のそば」で愛の交わりに生きる「母」たちと「愛する弟子」たちのことであるといえます。

イエスは、「成し遂げられた」と言って、息を引き取られました。イエスの愛は、成し遂げられました。私たち教会は、この世界に、成し遂げられた愛を告げ知らせています。今、この世界では、イエスの愛を否定するような出来事が起こっています。憎しみや無関心が、「成し遂げられ」つつあると言いたくなるほどです。「対テロ戦争」という名の下で、あまりにも多くの命が奪われています。多くの母たちは、深い悲しみに突き落とされています。こうした世界の中で、こうした世界だからこそ、私たち教会は、十字架で「成し遂げられた」愛を告げ知らせ続けなければならないのです。一瞬のうちに多くの命を奪う手段は、いくつもあります。しかし、愛が広がっていくためには、一人一人が愛され、愛するしかないのです。時間をかけて、少しずつ歩んでいくしかないのです。「十字架のそば」での「愛における会話」を繰り返していくしかないのです。そう考えると、絶望的な気持ちになります。しかし、希望を失わず、ともに歩んでいきましょう。十字架上で「成し遂げられた」のは、愛なのです。愛の交わりである教会なのです。今日、集まって、ともに祈っている私たちなのです。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

〔3月29日/主の受難〕

【説教】

私たちは、今日、「イエスの十字架のそばに」行くよう招かれています。十字架のそばには、イエスの「母」と「愛する弟子」がいます。

イエスの母は、イエスを深く愛している人です。愛する弟子は、イエスに深く愛されている人です。そして、福音記者ヨハネは、二人の名を記していません。私たちは、この二人に、自由に名をつけることができます。ですから、イエスを深く愛している人は皆、イエスの母となることができます。イエスに深く愛されている人は誰でも、イエスの愛する弟子となることができます。「イエスの十字架のそばに」いる私たちは、今日、イエスの母となり、イエスの愛する弟子となるように招かれています。イエスを深く愛し、イエスに深く愛されるように招かれています。

イエスは、二人を見て、母に言われます。「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。」この言葉を耳にして、「イエスの十字架のそばに」いる私たちは、イエスだけでなく、イエスが深く愛しておられる人をも愛するようになります。そして、イエスは、愛する弟子に言われます。「見なさい。あなたの母です。」この言葉によって、私たちは、自分がまわりから、いかに愛されているかに気づきます。こうして、「イエスの十字架のそば」で、愛が広がり、深まっていきます。

「そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」福音記者は、そう証言しています。私たちは、この時、教会が誕生したということができます。愛の交わりとしての教会の歩みが始まったといえます。教会とは、「イエスの十字架のそば」で愛の交わりに生きる「母」たちと「愛する弟子」たちのことであるといえます。

イエスは、「成し遂げられた」と言って、息を引き取られました。イエスの愛は、成し遂げられました。私たち教会は、この世界に、成し遂げられた愛を告げ知らせています。今、この世界では、イエスの愛を否定するような出来事が起こっています。憎しみや無関心が、「成し遂げられ」つつあると言いたくなるほどです。「対テロ戦争」という名の下で、あまりにも多くの命が奪われています。多くの母たちは、深い悲しみに突き落とされています。こうした世界の中で、こうした世界だからこそ、私たち教会は、十字架で「成し遂げられた」愛を告げ知らせ続けなければならないのです。一瞬のうちに多くの命を奪う手段は、いくつもあります。しかし、愛が広がっていくためには、一人一人が愛され、愛するしかないのです。時間をかけて、少しずつ歩んでいくしかないのです。「十字架のそば」での「愛における会話」を繰り返していくしかないのです。そう考えると、絶望的な気持ちになります。しかし、希望を失わず、ともに歩んでいきましょう。十字架上で「成し遂げられた」のは、愛なのです。愛の交わりである教会なのです。今日、集まって、ともに祈っている私たちなのです。


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