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3月30日「復活の聖なる徹夜祭」」の福音朗読と説教、3月31日「復活の主日(日中)」の聖書朗読と説教


3月30日「復活の聖なる徹夜祭」」の福音朗読と説教、3月31日「復活の主日(日中)」の聖書朗読と説教

 一場神父から上記説教等が届きましたので掲載します。

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小教区窓口の皆様

いつもお世話になり、ありがとうございます。

3月31日「復活の聖なる徹夜祭」」の福音朗読と説教、「復活の主日(日中)」の聖書朗読と説教をお送り致します。

YouTube配信は、30日(土)午後5時に「復活の聖なる徹夜祭福音朗読と説教」として、31日(日)午前10時「復活の主日(日中)ことばの祭儀」として、それぞれお届け致します。

よろしくお願い致します。

皆様が、良いご復活を迎えられますようにお祈りしています。

一場

◆◆◆

【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)

◆◆◆

〔3月31日/復活の聖なる徹夜祭〕

【福音朗読/マルコ16・1-7】マルコによる福音

16・1安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。*2*

そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。*3*彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。

4ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。*5*

墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。*6*

若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。

7さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤヘ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」

【説教】

「あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。」福音に登場する女性たちにだけでなく、私たちにも向けられた、主イエスの復活を告げる言葉です。

私たちは、今、「十字架につけられたナザレのイエスを捜して」います。私たちは、「ここにはおられない」主イエスを捜しています。復活とは、主イエスが、もう旅立ってしまって、ここにおられないということです。そして、私たちが、主を捜し求めて旅に出ることです。復活とは、旅立つことなのです。

復活の主日である今日、多くの人が洗礼を受けます。洗礼は、終着点ではありません。出発点です。洗礼を受けて、私たちは、旅を始めます。主を捜し求めて、旅を続けます。臨終洗礼を受ける人もいます。この人は、人生の終わりに洗礼を受けるのではありません。新たな旅を始めるために受けるのです。洗礼は、旅の秘跡なのです。いつも主を捜し求めて、旅を続けていくための秘跡なのです。旅を続けていくためのいのちが与えられるという恵みです。しかし、旅を続けていると疲れます。何のために旅を続けているのか、わからなくなることがあります。だから、洗礼をすでに受けている人は、今日、「洗礼の約束の更新」をします。「主を捜し求めて旅を続ける」という約束を新たにします。洗礼によって与えられたいのちを新たにしていただきます。新たな旅を始めます。心を新たにして、旅を続けます。

復活の福音は、さらに続きます。「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。…そこでお目にかかれる」と。私たちも、「ガリラヤ」に向かうように招かれています。ガリラヤ、そこは、ナザレのイエスが、福音の宣べ伝えておられるところです。イエスが、人々をいやされるところです。人々と交わりを持たれるところです。復活された主は、そのガリラヤで生きておられるのです。私たちは、ガリラヤに行けば、生きておられる主に出会うことができるのです。ガリラヤに行かない限り、復活の主に出会うことはできないのです。

それでは、私たちのガリラヤは、どこにあるでしょうか。ガリラヤは、特定の場所ではありません。私たちが、今、福音を宣べ伝えなければならないところが、私たちのガリラヤです。共同体の中で福音が分かち合われる時、そこがガリラヤとなります。困難の中にある人のためにささげられる祈りは、ガリラヤでの祈りとなります。私たちが、誰かの幸せのために何かをする時、小さなことを愛を込めて行う時、そこに、ガリラヤが実現します。洗礼を受けた人は、自分のまわりをガリラヤにすることができるという恵みをいただいています。

5月19日の聖霊降臨まで続く、この復活節、私たちが生きているところを、復活の主がおられるガリラヤにしていきましょう。いのちの喜びに満ちているガリラヤにしていきましょう。この世界が、この地球がガリラヤになることを信じて、新たな旅を始めましょう。復活のいのちを新たにして、旅を続けていきましょう。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

〔3月31日/復活の主日(日中)〕

【第一朗読/使徒言行録10・34a、37-43】

(使徒たちの宣教)

その日、*10・34a*ペトロは口を開きこう言った。*37*

「あなたがたはこのことをご存じでしょう。ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後に、ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。*38*

つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです。

39わたしたちは、イエスがユダヤ人の住む地方、特にエルサレムでなさったことすべての証人です。人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、*40*

神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。*41*

しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。

42

そしてイエスは、御自分が生きている者と死んだ者との審判者として神から定められた者であることを、民に宣べ伝え、力強く証しするようにと、わたしたちにお命じになりました。

43また預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています。」

【答唱詩編/詩編118・1+2、16+17、22+23】

きょうこそ神が造られた日、喜び歌え、この日をともに。

(詩編118)

118・1恵み深い神に感謝せよ。

そのあわれみは永遠。

2イスラエルよ、叫べ。

神のいつくしみは絶えることがない。

16神の右の手は高く上がり、

その右の手は力を示す。

17わたしは死なず、わたしは生きる。

神のわざを告げるために。

22家造りの捨てた石が、

隅の親石となった。

23これは神のわざ、

人の目には不思議なこと。

【第二朗読/①コリント5・6b-8】(使徒パウロのコリントの教会への手紙)

皆さん、*5・6b*わずかなパン種が練り粉全体を膨らませることを、知らないのですか。*7*

いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。

8だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか。

【福音朗読/ヨハネ20・1-9】

アレルヤ、アレルヤ。わたしの過越、キリストはほふられた。主のうちにともに喜び楽しもう。アレルヤ、アレルヤ。

(ヨハネによる福音)

20・1週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。*2*

そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」

3そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。*4*二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。

5身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。*6*

続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。*7*

イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。*8*

それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。*9*

イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。

【説教】

復活祭が始まりました。今日から、5月19日の聖霊降臨まで、私たち教会は、主の復活を祝い続けます。祝うことで、主が復活されたことを告げます。そして、主とともに、私たちも、神からいただいた、復活のいのちを生きていきます。

今日の第一朗読で、使徒ペトロは、主イエスの復活について、次のように、力強く証言しています。「わたしたちは、イエスが…なさったことすべての証人です。人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。」この証言をしているペトロも、「人々」の一人です。ペトロは、人々とともに、イエスを見捨て、イエスを殺しました。しかし、人々とともに、復活のキリストに出会い、復活のいのちを与えられました。だから、このような、力強い証言をしているのです。私たちは今日、もう一度確認したいと思います。神は、主イエスを裏切ったペトロをも、復活させてくださったのです。過去に何をしたかは、問われていません。「今」、主イエスを、主の復活を、そのいのちを私たちもいただけることを信じるかどうか。それが問われているのです。そして、この問いへの応答の一つが、父と子と聖霊のみ名によって洗礼を受けることなのです。もちろん、洗礼を受けなくても、応答をすることができます。主が愛を実践されるように、愛を実践すれば良いのです。

そして、この「今」を、私たちは、何度も繰り返すことができます。洗礼は、繰り返される「今」の始まりです。「今」を繰り返すことができるという恵みです。ペトロは、今日、「罪の赦し」についても述べています。罪の赦しとは、「今」の繰り返しであると言えます。私たちは、この世界に生きている限り、主イエスを裏切り続けます。罪を犯し続けます。そんな時は、もう一度、主イエスを信じて、復活のいのちをいただき、新たに生き始めればよいのです。私は悪いことをしていないと思うことが、罪です。私の罪は赦されないと思い込み、赦しを受け入れないことこそ、罪です。「今」を繰り返すことで、復活をいのちを生きていきましょう。

今日の福音は、復活のいのちを生きる難しさを、私たちに気づかせてくれます。墓は、大きな「石」でふさがれています。墓の中の遺体は、亜麻布でしっかりと包まれています。頭は、覆われています。墓の中では、何かを見たり、聞いたり、話したりすることは許されません。歩くことどころか、立ち上がることも、手足を動かすこともできません。たとえ、歩き出したとしても、そこから出たいと思っても、そこは、パレスチナのガザのように、完全に封鎖されています。主イエスは、こうした墓から、時間をかけて、苦労して出てこられたと思います。神だから、自力で、たやすく出られた。そう考えることもできます。福音記者は、主がどのように墓から出られたかを伝えていません。伝えられていることは、ただ次のことです。「イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所に置いてなく、離れた所に丸めてあった。」この証言の中の「離れた所」という言葉が、復活の時間と苦労を表していないでしょうか。主は、力ある業をなされる神であると同時に、私たちと同じ人間なのです。一人で何でもできるわけではなく、できないことが、できることよりも、はるかに多くある人間なのです。そう考える時、主の復活の時、主を助けた者がいたと言うこともできます。

私たちも、今日、主イエスのように、時間をかけて、苦労して復活するよう、復活を繰り返すように励まさています。まわりの人には助けてもらって、復活のいのちを生きていくように励まさています。洗礼の恵みは、一人で生きていけるようになるという恵みではありません。神からいただいているいのちを思い起こすことができるという恵みです。まわりの人から助けられて生きているという気づきをもたらす恵みです。すべてに感謝しながら生きていくという恵みです。そして、その恵みを、まわりの人と分かち合う喜びをもたらす恵みです。

私たちが生きている世界は、復活のいのちを生きることを許さない「墓」になりつつあります。墓の中では、いやなものを見たり、考えたりする必要はありません。動く必要もありません。外と隔絶された快適な所です。しかし、その中にいるものは、死んでいます。私たちは、「今」、快適な墓から出て、復活のいのちを生きていくように、復活のキリストから呼びかけられているのです。この呼びかけに応答して、ともに、復活のいのちの道を歩んでいきましょう。


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