3月5日「四旬節第2主日」の朗読聖書と説教
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- Feb 28, 2023
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Updated: Mar 1, 2023
3月5日「四旬節第2主日」の朗読聖書と説教
一場神父から「四旬節第2主日」の朗読聖書と説教が届きましたので掲載します
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小教区窓口の皆様
いつもお世話になり、ありがとうございます。
3月5日「四旬節第2主日」の朗読聖書と説教をお送り致します。
ことばの祭儀は、3月5日午前7時に公開予定です。よろしくお願い致します
皆様が恵みに満ちた四旬節を過ごされますよう、お祈りしています。
一場
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【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)
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〔3月5日/四旬節第2主日〕
【第一朗読/創世記12・1-4a】創世記
その日、12・1主はアブラムに言われた。
「あなたは生まれ故郷
父の家を離れて
わたしが示す地に行きなさい。
2わたしはあなたを大いなる国民にし
あなたを祝福し、あなたの名を高める
祝福の源となるように。
3あなたを祝福する人をわたしは祝福し
あなたを呪う者をわたしは呪う。
地上の氏族はすべて
あなたによって祝福に入る。」
4アブラムは、主の言葉に従って旅立った。
【答唱詩編/詩編33・4+5、12+13、20+21】
神の注がれる目は、神をおそれる者に、神の愛に希望をおく者の上に。
詩編33
33・4神のことばはただしく、
そのわざにはいつわりがない。
5神は正義と公平を愛し、
いつくしみは地に満ちている。
12神を王としていただく国、
神のものとして選ばれた民はしあわせ。
13神は天から目をそそぎ、
人々をすべて見ておられる。
20神はたて、神はすくい、
わたしたちは神を待ち望む。
21心は神のうちにあってよろこび、
とうといその名により頼む。
【第二朗読/②テモテ1・8b-10】使徒パウロのテモテヘの手紙
愛する者よ、1・8b神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。9
神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、わたしたちの行いによるのではなく、御自身の計画と恵みによるのです。この恵みは、永遠の昔にキリスト・イエスにおいてわたしたちのために与えられ、
10今や、わたしたちの救い主キリスト・イエスの出現によって明らかにされたものです。キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現してくださいました。
【福音朗読/マタイ17・1-9】
輝く雲の中から父の声が聞こえた。「これはわたしの愛する子。彼に聞け。」
マタイによる福音
そのとき、17・1イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。2
イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。3見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。4
ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」
5
ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。
6弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。7イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」8
彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。
9一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。
【説教】(3月2日修正版)
「アブラムは、主の言葉に従って旅立った。」四旬節を過ごしている私たちも、旅立つよう招かれています。アブラム、後のアブラハムの旅に加わるよう招かれています。
主がアブラハムに求められたことは、慣れ親しんだところ、快適なところを離れることでした。離れて、主が示されるところに向かって、旅をすることでした。主が示される地は、今のところより、物質的に貧しいところです。そして、アブラハムの旅は苦難に満ちた旅です。しかし、アブラハムが旅をすることで、神の祝福が広がっていきます。アブラハムに出会う人が、神の祝福を受けます。アブラハムが通る道が、向かうところが、神の祝福に満ちたところとなります。アブラハムの旅が、すべての人の救いの道となります。
今日の福音朗読は、主の変容の物語からでした。主イエスは、三人の弟子とともに、神との出会いの場である、「高い山に登られ」ます。そこで、「モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合」います。モーセはアブラハムの旅を引き継ぎ、エリヤはモーセの旅を引き継ぎました。そして今、主イエスが、アブラハムが始めた旅を引き継がれます。神が約束されたところへの、新たな旅が始まります。十字架上の死と復活へと向かう旅です。すべての人に救いをもたらす旅です。
三人の語り合いを目にした弟子たちは、「仮小屋」を建てようとします。この「すばらしい」語り合いが、ずっと続くことを望みます。しかし、この望みはかなえられません。
三人の弟子たちに、神が語りかけられます。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者、これに聞け」。
今度は、三人の弟子たちが、主イエスとともに旅を始めなければならないからです。新たな語り合いを始めなければならないからです。
主イエスは、「ひれ伏し」ている弟子たちに「手を触れて言われ」ます。「起きなさい。恐れることはない。」弟子たちは、起き上がり、「山を下り」て、主イエスとともに、旅を始めるのです。山を下りて、この世界の中で、福音を宣べ伝える旅を始めるのです。すべての人と救いを分かち合う旅を始めるのです。
そして、今日、わたしたちは、三人の弟子たちの旅に加わるよう招かれています。私たちは、今、「高い山」で、神に出会っています。私たちにとって、神に出会うところこそ、「高い山」なのです。そして、神の言葉に耳を傾け、アブラハムの時から続いてきた旅の物語を分かち合っています。私たちも、この旅の物語に加わっています。アブラハム、モーセ、エリヤ、主イエス、三人の弟子たちが歩んできた道を、私たちも歩んでいます。そして、この四旬節中、洗礼志願者という、新たな仲間が、私たちに加わります。新しい仲間を加えて、新たな旅が始まっています。
今年の四旬節教皇メッセージは、「四旬節の禁欲と、シノドスの歩み
」というテーマです。このメッセージの中で、ともに歩むこと(シノドス)の旅と教会の聖なる伝承について、次のように述べられています。「シノドスの旅は、教会の伝統に根ざしつつ、さらに、新しさに対しても開かれています。聖伝は、新しい道を探すため、また現状維持の傾向、あるいは逆に場当たり的な傾向に陥らないようにするための、ひらめきの源泉です。」ここで、「聖伝」とは、教会の聖なる伝承のことです。聖なる伝承とは、教会が守ってきた教えや文書のことではありません。聖伝とは、神の導きによって始まった旅です。今も続いている旅のことです。私たちが、今、ともに歩んでいる旅のことです。日々新たにされる旅のことです。この旅の途上で、さまざまな教えや文書が生み出されます。教会の教えや文書は、聖伝という旅、ともに歩む旅を支えるものです。旅の途上での語り合いの物語です。新たな旅の挑戦の物語です。
そして、今日、四旬節の旅を歩んでいる私たちに、使徒パウロから、励ましが与えられています。「神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。」アブラハムが始めた旅、主イエスに従う旅には、必ず、苦難がともないます。福音を生きる旅である以上、苦難を避けることはできません。私たちは、この旅を、神の力に支えられて、共同体として、ともに歩んでいきたいと思います。時に、苦労話を語り合いながら、夢を語り合いながら、歩んでいきたいと思います。私たちの歩みが、語り合いが、聖伝の一部となって、未来の旅を支えることになることを信じて。
※ 2023年 四旬節教皇メッセージ↓
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一場 修
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