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3月9日「四旬節第1主日」の聖書朗読と説教

  • kiotanblock
  • Mar 5
  • 8 min read

3月9日「四旬節第1主日」の聖書朗読と説教


 一場神父から上記説教等が届きましたので掲載します。


◆◆◆


京丹ブロックの皆様


いつもお世話になり、ありがとうございます。


3月9日「四旬節第1主日」の聖書朗読と説教をお送り致します。「福音朗読と説教」を、3月9日(日)午前7時に公開予定です。よろしくお願い致します。


皆様が、この四旬節を、喜びのうちに歩まれますように、お祈りしています。


寒暖差が大きい時です。体調を崩さないように、くれぐれもお気をつけください。一場


◆◆◆


【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)



◆◆◆


〔3月9日/四旬節第1主日〕

【第一朗読/申命記26・4-10】



(申命記)


モーセは民に言った。


*26・4*「祭司はあなたの手から初物を入れた籠を受け取って、あなたの神、主の祭壇の前に供える。


*5*あなたはあなたの神、主の前で次のように告白しなさい。


『わたしの先祖は、滅びゆく一アラム人であり、わずかな人を伴ってエジプトに下り、そこに寄留しました。しかしそこで、強くて数の多い、大いなる国民になりました。

*6*エジプト人はこのわたしたちを虐げ、苦しめ、重労働を課しました。*7*

わたしたちが先祖の神、主に助けを求めると、主はわたしたちの声を聞き、わたしたちの受けた苦しみと労苦と虐げを御覧になり、*8*

力ある御手と御腕を伸ばし、大いなる恐るべきこととしるしと奇跡をもってわたしたちをエジプトから導き出し、*9*

この所に導き入れて乳と蜜の流れるこの土地を与えられました。*10*わたしは、主が与えられた地の実りの初物を、今、ここに持って参りました。』


あなたはそれから、あなたの神、主の前にそれを供え、あなたの神、主の前にひれ伏しなさい。」

【答唱詩編】


主を仰ぎ見て、光を受けよう。主が訪れる人の顔は輝く。

(詩編91)


*91・2*「神はわたしののがれ場、わたしのとりで、

わたしは神により頼む。」

*4ab*神はその羽であなたをおおい、

翼のもとにあなたはのがれる。


*11*神があなたのために使いにめいじ、

あなたの進むすべての道をまもられる。

*12b*神の使いは手であなたをささえる。

*10*それゆえ不幸はあなたに臨まず、災いは住まいにちかづかない。


*14*神は仰せになる。「わたしに頼る者をわたしはすくい、

わたしを知っている者をまもる。

*15*呼び求める者にわたしはこたえ、

悩みの時ともにいて救いと誉れをあたえよう。」

【第二朗読/ローマ10・8-13】



(使徒パウロのローマの教会への手紙)


皆さん、聖書には*10・8*何と言われているのだろうか。


「御言葉はあなたの近くにあり、

あなたの口、あなたの心にある。」


これは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉なのです。*9*

口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。*10*

実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。*11*聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。*12*

ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。*13*

「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。

【福音朗読/ルカ4・1-13】


人はパンによるだけではなく、神の言葉によって生きている。

(ルカによる福音)


そのとき、*4・1*イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を〝霊〟によって引き回され、*2*

四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。*3*

そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」*4*

イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。*5*

更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。*6*

そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。*7*

だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」*8*イエスはお答えになった。


「『あなたの神である主を拝み、

ただ主に仕えよ』

と書いてある。」*9*そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。*10*

というのは、こう書いてあるからだ。


『神はあなたのために天使たちに命じて、

あなたをしっかり守らせる。』

*11*また、


『あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える。』」


*12*イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。*13*

悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。



[説教]


主イエスは、ヨルダン川で洗礼を受け、愛の霊に満たされて、荒れ野を歩まれます。私たちも、この40日間、主とともに、荒れ野を歩みます。私たちも皆、神から愛を注がれています。途絶えることなく、注がれ続けています。洗礼の恵みは、この豊かな愛に応えて生きることができるという恵みです。神と隣人を愛することに喜びを感じることができるという恵みです。私たちは今、この恵みを深く味わい、この恵みに応えたいという思いを新たにします。


神の愛に応えて生きていきたいと思う時、私たちが生きている、この世界は、荒れ野となります。荒れ野、そこは、神が私たちとともにおられ、神の愛に満ちたところです。それと同時に、愛の働きを妨げる、悪いものも満ちあふれています。今日の福音は、この悪いものを示しています。そして、主イエスによって、この悪いものが変えられていきます。神の愛の働きに変えられていくのです。


まず、「石にパンに変わるように命じ」るという、悪いことが示されます。ここで、石とは、お金のこと、パンとは、欲しいもののことだと考えることができます。そう考える時、お金に欲しいものに変わるように命じるという、悪いことという意味になります。この悪いことに支配される時、私たちは、お金さえあれば何でも手に入れることができると思うようになります。お金を持っている者は何でも手に入れることができ、お金がない人は貧しくても仕方がない。お金を払わず手に入れることなどあってはならない。そういう思いを持つようになります。今日の福音は、こうした思いを持つことが悪であると説いています。


そして、主イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」と言われます。自分が欲しいものを手に入れても、それだけでは生きていくことはできないということです。お金を払うから、欲しいものを得ることができるのではありません。誰かが、その欲しいものを手に入るようにしてくれるからです。朝早く起きて、心を込めて作ってくれる人がいるのです。笑顔で迎えてくれる店の人がいるからです。自分はずぶぬれになっても、荷物をぬらさないようにして、希望の時間に届けようと努力してくれる人がいるからです。自分が手に入れたものに込められた、こうした、たくさんの人の愛を見い出すことができる時、荒れ野は、愛の霊が働いているところとなります。すべてものは、良いものとなります。しかし、仕事だから、報酬をもらっているのだから、あたりまえだと思う時、愛の霊の働きを妨げることになります。私たちは、ものだけで生きることはできないのです。神の愛がなければ、まわりの人の愛がなければ生きていけないのです。洗礼の恵みは、この愛を気づかせるという恵みなのです。自分が愛されていることに感謝しながら、毎日を生きていくことができるという恵みなのです。


今日の福音で示される、二つ目の悪は、「一瞬のうちに世界のすべての国々を見」ることという悪です。今の時代、衛生写真で、地球全体を見ることができます。しかし、そこで生きているいのちを、生活をしている人を見ることができません。私たちが生きている世界とは、一人ひとりが、かけがえのない存在として生きているところなのです。すべてのいのちが支え合って生きているところなのです。いのちが輝く、美しいところなのです。この世界を支配しようとすることは、悪でしかありません。私たちが生きている世界は、愛をもって、互いに仕え合うところなのです。神と隣人に仕えながら、愛の完成をめざして、ともに歩むところなのです。日々の出会いを大切にして、時間をかけて歩み続けるところなのです。上から見下ろすところではなく、地を踏みしめながら、一歩一歩、ていねいに歩んでいくところなのです。


荒れ野を歩んでいると、神が、いつもともに歩んでおられることが信じられなくなることがあります。御言葉が真実であると思えなくなることがあります。荒れ野は、困難に満ちたところです。そのような時は、主イエスの十字架上の苦しみを思い起こしたいと思います。主と、十字架上の苦しみを分かち合いたいと思います。そうすることで、世界中の苦しんでいる人とつながって、生きていきたいと思います。主ともに、苦しんでいる人とともに、復活喜びをめざして歩んでいくための恵み、それが洗礼の恵みなのです。洗礼の恵みに生かされて、真の幸いという希望を分かち合いながら、聖年の歩みを続けていきましょう。



※2025年 四旬節教皇メッセージ(2025.3.5)




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