4月14日「復活節第3主日」の聖書朗読と説教
- kiotanblock
- Apr 10, 2024
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4月14日「復活節第3主日」の聖書朗読と説教
一場神父から上記説教等が届きましたので掲載します。
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小教区窓口の皆様
いつもお世話になり、ありがとうございます。
4月14日「復活節第3主日」の聖書朗読と説教をお送り致します。「ことばの祭儀」は、4月14日(日)午前7時に公開予定です。
よろしくお願い致します。
まだ寒暖差が大きい日が続きます。体調を崩さないように、くれぐれもお気をつけください。皆様のためにお祈りしています。
一場
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【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)
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〔4月14日/復活節第3主日〕
【第一朗読/使徒言行録3・13-15、17-19】
(使徒たちの宣教)
その日、*3・13*
ペトロは民衆に言った。「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕イエスに栄光をお与えになりました。ところが、あなたがたはこのイエスを引き渡し、ピラトが釈放しようと決めていたのに、その面前でこの方を拒みました。
14聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦すように要求したのです。*15*
あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。わたしたちは、このことの証人です。*17*
ところで、兄弟たち、あなたがたがあんなことをしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のためであったと、わたしには分かっています。*18*
しかし、神はすべての預言者の口を通して予告しておられたメシアの苦しみを、このようにして実現なさったのです。*19*
だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。」
【答唱詩編/詩編4・2、3+4、8+9】
神よ、あなたの顔の光を、わたしたちの上に照らしてください。
(詩編4)
4・2正しさを守ってくださる神、
わたしの叫びにこたえ、
悩みの中にもいこいをあたえ、
わたしをあわれみ、心に留めてください。
3人よ、いつまで心をとざし、むなしいことを追い、
見せかけをもとめるのか。
4神はわたしを選び、ご自分のものとされた。
神は、わたしの叫びに耳を傾けてくださる。
8あなたがわたしの心に与えてくださるよろこびは、
小麦とぶどうの豊かな実りにまさるもの。
9神よ、わたしの平和はあなたのうちにある。
わたしは床につき、心静かに眠る。
【第二朗読/①ヨハネ2・1-5a】
(使徒ヨハネの手紙)
2・1
わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。
2この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。*3*
わたしたちは、神の掟を守るなら、それによって、神を知っていることが分かります。*4*
「神を知っている」と言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者で、その人の内には真理はありません。*5*
しかし、神の言葉を守るなら、まことにその人の内には神の愛が実現しています。
【福音朗読/ルカ24・35-48】
(ルカによる福音)
そのとき、エルサレムに戻った*24・35*二人の弟子は、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。*36*
こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。*37*
彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。*38*そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。*39*
わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」*40*
こう言って、イエスは手と足をお見せになった。*41*
彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。*42*そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、
43イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。
44
イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」
45そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、*46*
言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。*47*
また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、*48*
あなたがたはこれらのことの証人となる。」
【説教】
今日の福音は、弟子たちが、復活されたイエスに出会った、自分の体験を分かち合う場面から始まります。私たちも、今日、復活のキリストとの出会いを体験するように招かれています。
復活された主は、私たちの「真ん中に立」たれます。ある人たちだけの近くにおられ、他の人たちが近づけないところにおられるということではありません。皆が近づくことができるところである「真ん中」におられます。こう考えることもできます。復活された主は、私たち一人一人とともにいてくださいます。そして、主が「真ん中に」おられるとしたら、私たち一人一人も、「真ん中に」にいることになります。復活された主は、私たち一人一人が「真ん中に」いるようにしてくださいます。
「真ん中に」いるとは、どういうことでしょうか。私たちは、真ん中にいる人に関心を持ちます。真ん中にいる人を大切にします。そして、真ん中にいる人は、自分が大切にされていることに感謝します。自分のまわりにいる人を大切にします。私たちは、一人一人が真ん中にいることで、互いに関心を持ち合います。互いに大切にし合います。感謝し合います。こうした、「真ん中に」いる体験こそが、復活のキリストとの出会いの体験であると言えます。
「真ん中に立」たれた復活のキリストは、「あなたがたに平和があるように」と言われます。私たちに、平和を与えてくださいます。いつも、平和を与えてくださいます。この世界が争いに満ちていても、平和を与え続いておられます。この世界に求められていることは、この平和、キリストの平和をいただくことだけです。しかし、今の世界は、この平和を拒否しているのです。今日の第一朗読で使徒ペトロは、「自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい」と説いています。まさに、最も大きな罪とは、キリストの平和を拒否していることです。復活を信じている私たちは、悔い改めて立ち帰り、キリストの平和をいただいています。この平和をいただいて生きていることこそ、復活のキリストとの出会いの体験なのです。私たちは、この世界の中で、復活のキリストの平和を宣べ伝えるように求められているのです。
復活された主は、今日、御自分が生きている人間であることを強調されます。平和とは、誰もが、安心して、人間として生きていけるということなのです。そして、私たちが人間として生きていくためには、食事が必要です。
今日の福音で、主イエスは、「ここに何か食べ物はあるか」と言われました。弟子たちは、「焼いた魚を一切れ差し出」しました。主は、その魚を、安心して食べられました。ここに、キリストの平和が実現しています。復活の主のように、
誰もが、日々、安心して食事をすることができる。ただ生命維持のために必要とされる栄養分を摂取するだけでなく、食事を楽しむことができる。魚の栄養分を摂取するのではなく、おいしく焼いた魚を食べることができる。食事という交わりの時間を持つことができる。食事という交わりの時間に、皆が、「真ん中に」いるという体験ができる。食事を通して、一人一人が大切にされていることを体験できる。そんな食事が実現する時、平和であると言えるのです。
1日、パレスチナのガザで、「ワールド・セントラル・キッチン」の職員7人が、イスラエル軍の攻撃により亡くなりました。ワールド・セントラル・キッチンは、危機的状況に置かれた人々に食事を提供する、非政府の慈善団体です。空中から支援物資を投下するのではありません。命の危機にある人々の「真ん中に」いて、慰めと希望を与える食事を提供するのです。温かい食事という平和をもたらすのです。人々に平和をもたらしていた7人が、戦争の犠牲になりました。イスラエルの首相は、「戦争では、こういうことが起こる」と言いました。その通りです。だからこそ、戦争は絶対的な悪なのです。戦争そのものを起こしてはならないのです。必要なのは、「対テロ戦争」ではありません。誰かをテロリストになるよう追いつめている、この世界が、悔い改めて、変わることなのです。
私たちは、日々、復活のキリストに出会っています。ワールド・セントラル・キッチンの7人も、私たちにとって、復活のキリストたちです。そして、私たちは、復活を体験した「証人」として、今週も、復活の主によって派遣されます。「主の平和のうちに」派遣されます。一人一人が、この世界の「真ん中に立ち」、まわりの人々と平和を分かち合いましょう。
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