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4月16日「復活節第2主日」の朗読聖書と説教

  • kiotanblock
  • Apr 10, 2023
  • 7 min read

4月16日「復活節第2主日」の朗読聖書と説教

 一場神父から4月16日「復活節第2主日」の朗読聖書と説教が届きましたので掲載します



◆◆◆

小教区窓口の皆様


いつもお世話になり、ありがとうございます。


4月16日「復活節第2主日」の朗読聖書と説教をお送り致します。


「ことばの祭儀」は、4月16日午前7時に公開予定です。よろしくお願い致します


皆様が喜びに満ちた復活節を過ごされますように、毎日お祈りしています。


一場

◆◆◆


【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)





◆◆◆

〔4月16日/復活節第2主日〕

【第一朗読/使徒言行録2・42-47】使徒たちの宣教


2・42信者たちは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。43

すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。44信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、45

財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。46

そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、47

神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。

【答唱詩編/詩編118・1+2、16+17、22+23】


きょうこそ神が造られた日、喜び歌え、この日をともに。

詩編118


118・1恵み深い神に感謝せよ。

そのあわれみは永遠。

2イスラエルよ、叫べ。

神のいつくしみは絶えることがない。


16神の右の手は高くあがり、

その右の手は力を示す。

17わたしは死なず、わたしは生きる。

神のわざを告げるために。


22家造りの捨てた石が、

隅の親石となった。

23これは神のわざ、

人の目には不思議なこと。

【第二朗読/①ペトロ1・3-9】使徒ペトロの手紙


1・3

わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、

4また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。5

あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。6

それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、7

あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。

8あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。9

それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。

【福音朗読/ヨハネ20・19-31】


アレルヤ、アレルヤ。トマよ、あなたはわたしを見たので信じた。見ないで信じる人は幸い。アレルヤ、アレルヤ。

ヨハネによる福音


20・19

その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

20そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。21

イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」22

そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。23

だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」


24十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。25

そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」

26

さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

27

それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」

28トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。29

イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」


30このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。31

これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。



【説教】


私たちは今日、「神のいつくしみの主日」を祝っています。「神のいつくしみは絶えることがない。」私たちは、この賛美を、復活の喜びのうちにささげます。主の復活を信じている私たちにとって、主が生きておられることが、神のいつくしみであると言えます。


今日の福音が伝えているように、主は生きておられます。ただ生きておられるのではありません。復活された主のからだには、十字架上で負った傷が、そのまま残っています。復活された主は、傷ついたまま、生きておられるのです。傷ついたまま、「あなたがたに平和があるように」と言われています。今、復活された主の前に集まっている私たちにも、「あなたがたに平和があるように」と言われています。繰り返し言われています。


傷ついたからだで生きておられる主は、すべてのいのちと、苦しみや悲しみを分かち合っておられます。誰かが傷つく時、キリストも傷つけられます。誰かが泣く時、キリストも涙を流されます。いのちから発せられる苦しみの叫びは、キリストの叫びです。今も、この世界でたくさんの血が流されていますが、それは、キリストの御血に変わっています。神のいつくしみは絶えることがないのです。


主が分かち合ってくださる平和は、単に戦争がないという平和ではありません。皆が家の中にいて、静かにしているという平和ではありません。攻撃されることを恐れて、武装し、門を閉ざすことで、得られ、守られる平和ではありません。主が与えてくださる平和は、「ともに喜びをもって生きる」ことができるということです。すべてのいのちが、すべての人が、ともに生きることができるということです。生きる喜びを分かち合えるということです。恐れがなくなるということです。誰もが、安心して、心を開くことができるということです。主は生きていて、平和を与え続けておられます。神のいつくしみは絶えることがありません。


今日の第一朗読では、最初期のキリスト信者共同体の姿を伝えられています。信者たちは、「パンを裂くこと、祈ること」に熱心でした。「相互の交わり」や分かち合いを大切にしていました。この姿こそ、神のいつくしみによって生きている共同体の姿です。パンを裂くことは、ミサを祝うということです。交わりや分かち合いによって、苦しみや悲しみを分かち合われました。「すべての物を共有」するとは、単に物を分け合うだけでなく、苦しみや悲しみを共有することであったはずです。そうでなければ、「おのおのの必要に応じて」分け合う合うことはできなかったはずです。「一つ」になることも不可能だったはずです。そして、この「一つ」になることこそが、キリストの平和の実現だったのです。こうした共同体が、主が生きておられることを証しし、神のいつくしみのしるしとなったのです。


私たち、今の共同体も、最初期の共同体のように生きるよう励まされています。この世界では、神のいつくしみを阻む出来事が起こっています。平和への願いをあざ笑い、踏みにじる動き、大きな罪が働いています。絶望的な状況です。しかし、復活の主は、私たちに、「聖霊」を与えてくださいます。主イエスは、言われます。「だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。」私たちは、この世界の罪を赦す力を与えられています。罪の赦しとは、死をもたらす罪から解放され、ともに生きることができるということです。すべてのいのちが、神のいつくしみのうちに、平和に生きることができるということです。この世界の罪の赦しは、まだ実現していない理想です。今日の福音に登場するトマスのように、罪の赦しなど、「決して信じない」と叫びたくなる時もあります。しかし、「見ないのに信じる人は、幸いである」という、復活の主の言葉を心に刻み、神に賛美をささげ、祈り続けたいと思います。「心を一つにして」、ともに祈り続けたいと思います。


「神のいつくしみは絶えることがない。アレルヤ。

キリスト、いつくしみをわたしたちに。

世の罪を取り除く神の小羊、平和をわたしたちに。」




--

一場 修


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