4月28日「復活節第5主日」の聖書朗読と説教
- kiotanblock
- Apr 23, 2024
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4月28日「復活節第5主日」の聖書朗読と説教
一場神父から上記説教等が届きましたので掲載します。
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小教区窓口の皆様
いつもお世話になり、ありがとうございます。
4月28日「復活節第5主日」の聖書朗読と説教をお送り致します。「ことばの祭儀」は、4月28日(日)午前7時に公開予定です。
よろしくお願い致します。
季節の変わり目で体調を崩しやすい時です。くれぐれもお気をつけください。皆様のためにお祈りしています。
一場
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【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)
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〔4月28日/復活節第5主日〕
【第一朗読/使徒言行録9・26-31】(使徒たちの宣教)
その日、*9・26*サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。*27*
しかしバルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。
28それで、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった。*29*
また、ギリシア語を話すユダヤ人と語り、議論もしたが、彼らはサウロを殺そうとねらっていた。*30*
それを知った兄弟たちは、サウロを連れてカイサリアに下り、そこからタルソスヘ出発させた。*31*
こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。
【答唱詩編/詩編22・26+27a、28a+27b+28b+29、31b+32】
神に向かって喜び歌い、感謝の歌をささげよう。
(詩編22)
22・26神の恵みによって、民のつどいで賛美をささげ、
神をおそれる人々の前で、わたしは誓いを果たす。
27a貧しい人はかてに恵まれ、
神を求める人は賛美をささげる。
28a遠く地の果てまで、すべての者が神にたち帰り、
27b生きる喜びで彼らの心はいつも満たされる。
28b諸国の民は神の前にひざをかがめる。
29わたしたちの国は神のもの、神は諸国を治められる。
31b彼らは主のわざを次の世代にかたり継ぎ、
あとから生まれてくる民に、
32神のわざ、
その救いを告げ知らせる。
【第二朗読/①ヨハネ3・18-24】
(使徒ヨハネの手紙)
3・18子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。
19これによって、わたしたちは自分が真理に属していることを知り、神の御前で安心できます、*20*
心に責められることがあろうとも。神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです。*21*
愛する者たち、わたしたちは心に責められることがなければ、神の御前で確信を持つことができ、*22*
神に願うことは何でもかなえられます。わたしたちが神の掟を守り、御心に適うことを行っているからです。*23*
その掟とは、神の子イエス・キリストの名を信じ、この方がわたしたちに命じられたように、互いに愛し合うことです。*24*
神の掟を守る人は、神の内にいつもとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。神がわたしたちの内にとどまってくださることは、神が与えてくださった〝霊〟によって分かります。
【福音朗読/ヨハネ15・1-8】(ヨハネによる福音)
そのとき、イエスは弟子たちに言われた。*15・1*「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。*2*
わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。*3*
わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。*4*
わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。
5
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
6わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。*7*
あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。*8*
あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。」
【説教】
今週と来週の福音は、受難の前にした主イエスが、弟子たちに語られる愛のメッセージからです。主は、十字架上で、すべてのいのちを愛するがゆえに、御自分のすべてをささげられました。主の愛のメッセージは、この愛が永遠に生き続けることを、復活祭を過ごしている私たちに告げています。主の復活とは、十字架上で示された愛が、今も生き続けていることなのです。
今日の福音は、「わたしはまことのぶどうの木」という、主御自身の宣言から始まります。そして、私たちは、「まことのぶどうの木」の「枝」として生きるよう招かれています。復活された主に、「つながって」生きるよう招かれています。主が言われているように、枝は木につながっていなければ生きていけません。そして、木も、枝がなければ、生きていることになりません。「まことのぶどうの木」である復活の主は、今、この世界で生きておられます。それは、「その枝」である私たちが、今、この世界で生きているからなのです。
「枝」がともに生きる時、「木」となります。「まことのぶどうの木」に「つながって」いる「枝」である私たちは、「木」である、生きておられる主御自身となっています。私たちは、主のみ名によって集まる時、集まって祈る時、復活の主御自身となります。使徒ヨハネが勧めているように、私たちは、「言葉や口先だけでなく、行いをもって誠実に愛し合おう」としています。私たちが、この愛を生きる時、復活の主が、愛を生きておられることになるのです。私たちが、主の愛につながって生きる時、まわりの人は、復活の主に出会うことになるのです。主につながっている私たちがまわりの人を愛する時、その人は、復活の主に愛されていることになるのです。
しかし、私たちは、愛を生きられずに苦しんでいます。愛したいのに、愛せないという現実の中で、もがいています。憎しみの思いを抱いてしまいます。しかし、主に語りかけられている私たちは、「既に清くなっている」のです。「清くなっている」とは、完璧であるということではありません。愛を生きたいという望みを持ち続けるいるということです。主は、はっきりと言っておられます。「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたのうちにいつもあるならば、望みものは何でも願いなさい。そうすればかなえられる。」「まことのぶどうの木」である復活の主につながっている私たちが、望んでいることは、主の愛を生きることです。私たちのうちで主の御言葉が働き、私たちは、主の愛を熱心に祈り求めています。この願い、祈りは、主が言われている通り、「豊かに実を結び」ます。復活とは、私たちの日々の祈りが、愛の豊かな実を結ぶことなのです。時間がかかっても、必ず、実を結ぶと信じ続けることなのです。
そして、「ぶどうの木」は、大地に根を張ることで、生きていくことができます。今月22日は、「アースディ(地球の日)」で、今、世界中で、アースディの取り組みが行われています。私たちが、ぶどうの木であるキリストにつながって生きるているところは、この地球です。私たちは、地球によって生かされていることに感謝しながら、地球を大切にするよう求められています。地球環境のこと、地球で生きているすべてのいのちのこと、これから生まれてくるいのちのことを、真剣に考えるよう求められています。自分の、今の生活を続けるために、地球を傷つけることは許されていません。「ぶどうの枝が、木につながっていな」い生き方とは、地球環境のことを考えずに、毎日を過ごすという生き方です。私たちは、地球に「つながって」、すべてのいのちにつながって生きるよう求められているのです。復活とは、すべてのいのちが、まことの平和のうちに、この地球で生きていくことなのです。生きていけるようにすることなのです。生きることができると信じて、ともに歩んでいくことなのです。
私たちは、「まことのぶどうの木」であるキリストにつながっています。まことのぶどうの木である主が生きておられることを、その枝となって、証ししています。これからも、「豊かに実を結ぶ」枝として、ともに歩んでいきましょう。まわりに、キリストの愛を広げて生きましょう。青々とした葉をつけた枝として、この地球で、復活のいのちという実を、すべてのいのちと分かち合っていきましょう。
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