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5月12日「主の昇天」の聖書朗読と説教

  • kiotanblock
  • May 8, 2024
  • 7 min read

5月12日「主の昇天」の聖書朗読と説教

 一場神父から上記説教等が届きましたので掲載します。

◆◆◆

小教区窓口の皆様

いつもお世話になり、ありがとうございます。

5月12日「主の昇天」の聖書朗読と説教をお送り致します。「ことばの祭儀」は、5月12日(日)午前7時に公開予定です。

よろしくお願い致します。

皆様のためにお祈りしています。

一場

◆◆◆

【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)

◆◆◆

〔5月12日/主の昇天〕

【第一朗読/使徒言行録1・1-11】

(使徒たちの宣教)

1・1-2

テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。

3イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。*4*

そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。*5*

ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」

6さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。*7*

イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。*8*

あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

9こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。*10*

イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、*11*

言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」

【答唱詩編/詩編47・2+3、6+7、8+9】

主はのぼられた、喜びの叫びのうちに。

(詩編47)

47・2すべての民よ、手を打ち鳴らし、

神に喜びの叫びをあげよ。

3すべてを越える神、おそるべきかた、

世界を治める偉大な王。

6主は喜びの叫びのうちに、

角笛の響きとともにのぼられた。

7神をたたえてほめ歌え。

わたしたちの王をほめ歌え。

8まことに神は世界の王。

力の限りほめ歌え。

9神は諸国の民を導き、

とうとい座についておられる。

【第二朗読/エフェソ4・1-13】

(使徒パウロのエフェソの教会への手紙)

4・1皆さん、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、*2*

一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、*3*平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。*4*

体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。*5*主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、*6*

すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。

7しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。

8そこで、

「高い所に昇るとき、捕らわれ人を連れて行き、

人々に賜物を分け与えられた」

と言われています。

9「昇った」というのですから、低い所、地上に降りておられたのではないでしょうか。*10*

この降りて来られた方が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも更に高く昇られたのです。

11そして、キリストはある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。*12*

こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、*13*

ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。

【福音朗読/マルコ16・15-20】

アレルヤ、アレルヤ。全世界に行き、すべての人をわたしの弟子にしなさい。わたしは世の終わりまでいつもあなたがたとともにいる。アレルヤ、アレルヤ。

(マルコによる福音)

そのとき、イエスは十一人の弟子に現れて、言われた。*16・15*「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。*16*

信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受る。*17*

信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。*18*

手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」

19主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。*20*

一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。

【説教】

「主の昇天に、わたしたちの未来の姿が示されています。キリストに結ばれるわたしたちがをあなたのもとに導き、ともに永遠のいのちに入らせてください。」私たちは、今日、教会全体の願いとして、この祈りをささげています。私たちは、「天を見上げて立っている」のではなく、この集会祈願を、ともに祈るように招かれています。熱心に祈り続けるように励まされています。

私たちの未来の姿、それは、すべての人が愛し合い、喜びのうちに生き続けることです。主イエスは、今、御父の「右の座に」おられます。父と子が、永遠の愛を分かち合っておられるということです。私たちも、いつか、この、父と子の愛の交わりに加わることになるのです。この愛の交わりこそ、私たちの未来なのです。私たちも、「天に上げられ」、愛の交わりに入らせていただくのです。主イエスの昇天によって始まった、「主の昇天」は、私たちの昇天、すべてのいのちの昇天によって、完成するのです。主の昇天は、すべてのいのちの昇天なのです。愛の交わりの完成なのです。

この愛の交わりの完成こそ、私たちに与えられている福音です。そして、主イエスは、すべての人に、この「福音を宣べ伝えなさい」と命じておられます。この命令に応えて、私たちは、「出かけて行って、至るところで宣教し」ています。主の昇天とは、「天を見上げて立っている」ことではありません。主の昇天とは、私たちの未来、愛の交わりの完成という未来に向かっての、私たちの旅なのです。主がともに歩んでくださる旅なのです。

さらに、主イエスは、はっきりと言われます。「信じて洗礼を受ける者が救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける」と。「信じて洗礼を受ける」とはどういう意味でしょうか。それは、愛の交わりの完成を信じて、この世界の中で、愛の交わりを生きるということではないでしょうか。洗礼を受けている人は、確かに救われています。愛の交わりを生きることができるからです。神の愛の交わりの中で生かされているからです。

そして、「信じる者には次のようなしるしが伴う」とされ、いくつかのしるしがあげられています。この世界では実現不可能と思われる、しるしばかりです。しかし、すべての人が愛の交わりを信じ、生きる時、こうしたしるしは実現すると言えます。愛の交わりが完成する時、無関心や憎しみといった悪はなくなり、愛の言葉だけが語られるからです。あらゆる傷つけ合いがなくなるからです。病人は皆、大切にケアされるからです。信じる者に伴うしるしは、今は実現していません。しかし、あきらめずに信じ続ければ、必ず実現します。洗礼の恵みとは、愛を信じ続ける恵みなのです。

さらに、「信じない者は滅びの宣告を受ける」と言われています。私たちは、誰もこの宣告を受けないように、福音を宣べ伝え続けたいと思います。あの者たちは滅びたが、私たちは救われたてよかった。そんな思いを持つ時、そこに愛の交わりはありません。私たちは、どのような時も、すべての人が愛の交わりに加わるように祈り続けたいと思います。愛の交わりの喜びを分かち合っていきたいと思います。

私たちは、今、「希望の巡礼者」として歩むように招かれています。私たちの希望は、主の昇天という愛の交わりが完成することです。実現不可能だと言われていることが実現することです。そのために、私たちは、日々出会う人一人一人と、愛の福音を分かち合うしかないのです。一人一人が、誠実に、忍耐強く、出会う人一人一人に愛を伝えていくしかないのです。「希望の巡礼者」とは、愛の交わりを、日々誠実に生きている人のことなのです。福音を拒否されても、あきらめずに、福音を分かち合い続ける人のことなのです。そして、今日、使徒パウロが述べているように、私たちは、「希望の巡礼者」として、ともに歩むように、「神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ち」たいと思います。「愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて」、愛と希望の道、主の昇天の完成へと続く道を歩んでいきたいと思います。


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