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5月7日「復活節第5主日」の朗読聖書と説教

  • kiotanblock
  • May 2, 2023
  • 7 min read

5月7日「復活節第5主日」の朗読聖書と説教


 一場神父から5月7日「復活節第5主日」の朗読聖書と説教が届きましたので掲載します

◆◆◆

小教区窓口の皆様


いつもお世話になり、ありがとうございます。


5月7日「復活節第5主日」の朗読聖書と説教をお送り致します。


「ことばの祭儀」は、5月6日(土)午後7時に公開予定です。よろしくお願い致します

皆様が復活の喜びと平和のうちに毎日を過ごされますよう、お祈りしています。


一場

◆◆◆

【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)


◆◆◆


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 〔5月7日/復活節第5主日〕


【第一朗読/使徒言行録6・1-7】

 

 使徒たちの宣教


 6・1そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。2そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。3それで、兄弟たち、あなたがたの中から、〝霊〟と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。4わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」5一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、6使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。


 7こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。


【答唱詩編/詩編33・4+5、6+11、20+21】

 

 神の注がれる目は、神をおそれる者に、神の愛に希望をおく者の上に。


 詩編33


 33・4神のことばはただしく、

 そのわざにはいつわりがない。

 5神は正義と公平を愛し、

 いつくしみは地に満ちている。


 6天は神のことばによってつくられ、

 星座はそのいぶきによってすえられた。

 11神のはからいはとこしえに、

 み心の思いは世々に及ぶ。


 20神はたて、神はすくい、

 わたしたちは神を待ち望む。

 21心は神のうちにあってよろこび、

 とうといその名により頼む。


【第二朗読/Ⅰペトロ2・4-9】


 使徒ペトロの手紙


 愛する皆さん、2・4主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。5あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。6聖書にこう書いてあるからです。

「見よ、わたしは、選ばれた尊いかなめ石を、

 シオンに置く。

 これを信じる者は、決して失望することはない。」

 7従って、この石は、信じているあなたがたには掛けがえのないものですが、信じない者たちにとっては、

「家を建てる者の捨てた石、

 これが隅の親石となった」

 のであり、8また、

「つまずきの石、妨げの岩」

 なのです。彼らは御言葉を信じないのでつまずくのですが、実は、そうなるように以前から定められているのです。


 9しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。


【福音朗読/ヨハネ14・1-12】


 アレルヤ、アレルヤ。わたしは道、真理、いのち。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行けない。アレルヤ、アレルヤ。


 ヨハネによる福音


 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。14・1「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。2わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。3行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。4わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」5トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」6イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。7あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」8フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、9イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。10わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。11わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。12はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。」


【説教】


 今日の福音は、4月6日の「主の晩さんの夕べのミサ」の福音の続きです。あの日、私たちは、弟子たちの足を洗われるイエスに出会いました。私たちを、愛で、清める主に出会いました。私たちは今日、あの時主イエスが約束してくださったことを思い起こしています。


 十字架上でご自分のすべてをささげる前に、主は、私たちに約束してくださいました。「わたしの父の家には住むところがたくさんある。…行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。」


「わたしの父の家」とは、私たちの集まりである共同体のことだと言えます。今、私たちは、父の家にいるのです。主がご自分のすべてをささげて用意してくださったところに集まっているのです。復活された主は、いつも、私たちを迎えてくださいます。主は、私たちを迎えるために、復活されたのです。


 私たちの集まりである共同体は、地上の共同体のことだけではありません。天上の共同体である天国のことでもあります。父の家は、大きな家なのです。たくさんの人が住むことができるところなのです。そして、この地上で、あらゆる場所が、父の家となる可能性があります。復活の主に迎えられていると感じることができる時、そこは父の家となります。「わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」この福音が実現していると信じることができる時、そこに、父の家が実現しています。


 先日、自宅療養されている方のために、病者の塗油の秘跡を執り行いました。私の語りかけにうなずくのが、精一杯という状態でした。しかし、この方は、一回だけ、「はい」と力強く答えたのです。私は、この方に伝えました。「イエス様は、いつもともにいてくださいます。ともに苦しんでくださいます。イエス様を信じてください。信じて、イエス様がともにおられると思ってください。それで、十分です。」この方は、この語りかけに、「はい」とはっきりと答えたのです。この答えは、秘跡を執り行う私を、私の心を、復活の主の平和で満たしました。私たちは、今、父の家にいるということを体験できたのです。そして、この方の、「はい」という答えは、復活された主への答えだったのです。「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」この、主イエスの励ましの言葉への、力強い「はい」だったのです。「ここも、父の家です」という、復活の福音だったのです。


 さらに、主は言われます。「わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」この言葉を語っておられるイエスは、受難の道を歩み始めるようとされているイエスです。私たちは、受難のイエスとともに、父の家に向かうよう励まされているのです。父の家に行くためには、父の家が実現するためには、苦難がともないます。誰も苦難なしに、「父のもとに行くこと」はできないのです。主は、そんな私たちとともに歩んでくださるのです。受難の後の復活の喜びを分かち合ってくださるんです。ですから、私たちは、主がともに歩んでくださっていることを信じて、歩んで行きたいと思います。主イエスも、私たち一人ひとりを、私たち一人ひとりの道を通ってくださるのです。


 受難の前の晩、主イエスは、弟子たちの足を洗われました。主によって足を清められた弟子たちは、私たちは、父の家に入っています。そして、足は洗い続けなければなりません。復活された主は、何度でも、私たちの足を洗ってくださいます。愛という水で洗ってくださいます。私たちも、互いに洗い合い、父の家に入り、復活の喜びを分かち合いましょう。



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