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6月2日「キリストの聖体」の聖書朗読と説教

  • kiotanblock
  • May 29, 2024
  • 7 min read

6月2日「キリストの聖体」の聖書朗読と説教


 一場神父から上記説教等が届きましたので掲載します。


◆◆◆


小教区窓口の皆様


いつもお世話になり、ありがとうございます。


6月2日「キリストの聖体」の聖書朗読と説教をお送り致します。「ことばの祭儀」は、6月2日(日)午前7時に公開予定です。


よろしくお願い致します。


これから暑くなります。体調を崩さないように、ご自愛ください。皆様のためにお祈りしています。


一場


◆◆◆


【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)



◆◆◆


〔6月2日/キリストの聖体〕

【第一朗読/出エジプト24・3-8】



(出エジプト記)


その日、*24・3*

モーセは山から戻って、主のすべての言葉とすべての法を民に読み聞かせると、民は皆、声を一つにして答え、「わたしたちは、主が語られた言葉をすべて行います」と言った。

*4*モーセは主の言葉をすべて書き記し、朝早く起きて、山のふもとに祭壇を築き、十二の石の柱をイスラエルの十二部族のために建てた。*5*

彼はイスラエルの人々の若者を遣わし、焼き尽くす献げ物をささげさせ、更に和解の献げ物として主に雄牛をささげさせた。*6*

モーセは血の半分を取って鉢に入れて、残りの半分を祭壇に振りかけると、*7*

契約の書を取り、民に読んで聞かせた。彼らが、「わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります」と言うと、*8*

モーセは血を取り、民に振りかけて言った。「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である。」

【答唱詩編/詩編116・12+13、15+16b、17+18】


このパンを食べ、この杯を飲み、わたしは主の死を告げ知らせる。

(詩編116)


*116・12*神が与えてくださったすべての恵みに

どのようにこたえようか。

*13*わたしは救いの杯をささげ、

神の名を呼び求めよう。


*15*神を敬う人の死は

神の前にとうとい。

*16b*神よ、わたしはあなたに仕え、

あなたはわたしを救われる。


*17*わたしは感謝のいけにえをささげ、

神の名を呼び求めよう。

*18*すべての民の前に進み出て、

神に立てた誓いを果たそう。

【第二朗読/ヘブライ9・11-15】



(ヘブライ人への手紙)


皆さん、*9・11*

キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、

*12*雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。*13*

なぜなら、もし、雄山羊と雄牛の血、また雌牛の灰が、汚れた者たちに振りかけられて、彼らを聖なる者とし、その身を清めるならば、*14*

まして、永遠の〝霊〟によって、御自身をきずのないものとして神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。


*15*

こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、最初の契約の下で犯された罪の贖いとして、キリストが死んでくださったので、召された者たちが、既に約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。

【福音朗読/マルコ14・12-16、22-26】


アレルヤ、アレルヤ。わたしは天から下ったいのちの糧。このパンを食べる人は永遠に生きる。アレルヤ、アレルヤ。

(マルコによる福音)


*14・12*除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日、弟子たちがイエスに、「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」と言った。

*13*そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。

*14*その人が入って行く家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をするわたしの部屋はどこか」と言っています。』*15*

すると、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために準備をしておきなさい。」*16*

弟子たちは出かけて都に行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。


*22*一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」

*23*また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。*24*

そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。*25*

はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。」*26*

一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。



【説教】


「取りなさい。これはわたしの体である。」主イエスは、この御言葉通り、私たちに、御自分の体、「聖体」を与え続けておられます。私たちは今日、この、大きな愛に感謝するために集まっています。


「キリストの聖体」は、キリストのすべてです。だから、聖体は、まことの神であるキリストです。私たちのために人間となられたキリストです。私たちに福音を告げ知らせてくださるキリストです。十字架の上で御自分のいのちをささげるほど、私たちを深く愛してくださるキリストです。聖体は、復活して、今、生きておられるキリストです。救いの完成の時まで、私たちと、いつも共にいてくださるキリストです。


福音記者マルコは、この聖体が、「過越の食事」の時に与えられたと伝えています。そして、「イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き」と伝えています。「過越」とは、私たちが、もう救われているということです。聖体は、救われていることを祝う食事で、賛美と感謝のうちに、分かち合われるパンなのです。「裂く」とは、みんなで分かち合うということなのです。私が救われるために、小さなパンをいただくのではありません。「私たち」が救われている喜びを分かち合うために、パンも分かち合うのです。パンが小さくなっていけばいくほど、分かち合いの輪は大きくなっていくのです。大きいホスチアが司祭用で、小さいホスチアが信徒用と区別されることがあります。この区別は間違いです。大きいホスチアは、司式者が裂くためのものです。分かち合いを表わすために、大きなホスチアがあります。パンは裂かれ、分かち合われなければならないのです。


食事は、共に食べることです。「交わり」です。私たちは、「聖体拝領」という言葉を使っていますが、それは、「交わり」ということです。聖体をいただくことで、キリストとの交わり、共同体の交わりに入るということです。今日、多くの共同体で、「初聖体」が行われますが、それは、「初めての交わり」ということです。「キリストの御からだ」をいただくことで、「交わり」に入るのです。私たちは、聖体拝領の前に、主の祈りをささげ、キリストの平和を願い求めます。それは、まことの平和がなければ交わりは実現しないからです。まことの交わりが持たれた時、キリストの平和が実現するからです。


今日の福音は、「出かけた」という言葉で終わっています。聖体は、生きておられるキリストです。出かけて行き、人々と交わられるキリストです。私たちも、過越の食事に加わることで、キリストの聖体となります。出かけて行かれるキリストの体となります。この世界の中で生きる聖体となります。キリストの愛を分かち合う聖体となります。聖体は、分かち合いの秘跡です。分かち合えば分かち合うほど、大きくなっていく愛です。


聖体は、キリストの平和と愛です。それは、「多くの人のために流される」御血です。この世界では、さまざまな暴力によって、まだ多くの人の血が流されています。主イエスは、多くの血が流されなくても良いように、御自分の血を流されました。今日の第二朗読で述べられているように、「わたしたちの良心を死んだ業から清め」るために、今も、御血を流しておられます。そして、キリストの御血は、「契約の血」です。何があっても、すべてのいのちを愛し続けるという「契約」です。この、愛の契約に、私たちも応えたいと思います。共同体の中で、社会の中で、生きた業である、愛の業を実行することで、愛の契約を確かなものにしていきたいと思います。暴力のない世界を目指したいと思います。


聖体は、キリストのすべてです。私たちに、いのちの御言葉を語り続けてくださるキリストです。救いを祝う食事は、沈黙の食事ではありません。喜びに満ちた会話をともなう食事です。主が私たちに語りかけ、私たちも、主に語りかける食事です。さまざまな事情により、聖体拝領できない人たちがいます。聖体拝領できなくても、御言葉を分かち合うことができます。御言葉を分かち合うことで、キリストとの交わり、共同体の交わりに加わることができます。祈りによってつながることで、交わりに加わることができます。そして、今日、聖体拝領する私たちが、「出かけ」て行って、聖体拝領できない人に、キリストの愛を届けることができます。「キリストの聖体」という交わりを広げていきましょう。三位一体の交わりの愛、キリストの聖体の交わりの愛を、この世界の中で、分かち合うために、「出かけ」て行きましょう。

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