6月30日「年間第13主日」の聖書朗読と説教
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- Jun 27, 2024
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6月30日「年間第13主日」の聖書朗読と説教
一場神父から上記説教等が届きましたので掲載します。
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小教区窓口の皆様
いつもお世話になり、ありがとうございます。
6月30日「年間第12主日」の聖書朗読と説教をお送り致します。「ことばの祭儀」については、一場の体調不良により、今回も休みます。
よろしくお願い致します。
皆様のために、お祈りしています。
一場
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【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)
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〔6月30日/年間第13主日〕
【第一朗読/知恵1・13-15、2・23-24】
(知恵の書)
*1・13*神が死を造られたわけではなく、
命あるものの滅びを喜ばれるわけでもない。
*14*生かすためにこそ神は万物をお造りになった。
世にある造られた物は価値がある。
滅びをもたらす毒はその中になく、
陰府がこの世を支配することもない。
*15*義は不滅である。
*2・23*神は人間を不滅な者として創造し、
御自分の本性の似姿として造られた。
*24*悪魔のねたみによって死がこの世に入り、
悪魔の仲間に属する者が死を味わうのである。
【答唱詩編/詩編30・2b+4、6、11+12】
神はわたしを救われる。そのいつくしみをたたえよう。
(詩編30)
*30・2b*神よ、あなたはわたしを救い、
死の力が勝ち誇るのを許されない。
*4*神よ、あなたは死の国からわたしを引きあげ、
危ういいのちを助けてくださった。
*6*滅びは神の怒りのうちに、
いのちは恵みのうちにある。
夜が嘆きに包まれても、
朝は喜びに明けそめる。
*11*神よ、いつくしみ深くわたしを顧み、
わたしの助けとなってください。
*12*あなたは嘆きを喜びに変え、
あら布を晴れ着に替えてくださった。
【第二朗読/②コリント8・7、9、13-15】
(使徒パウロのコリントの教会への手紙)
皆さん、*8・7*
あなたがたは信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受ける愛など、すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい。
*9*
あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。
*13*他の人々には楽をさせて、あなたがたに苦労をかけるということではなく、釣り合いがとれるようにするわけです。*14*
あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。*15*
「多く集めた者も、余ることはなく、わずかしか集めなかった者も、不足することはなかった」と書いてあるとおりです。
【福音朗読/マルコ5・21-43】
アレルヤ、アレルヤ。わたしたちの救い主イエス・キリストは死を滅ぼし、福音によって生涯を照らしてくださった。アレルヤ、アレルヤ。
(マルコによる福音)
そのとき、*5・21*イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。*22*
会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、*23*
しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」*24*
そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。
*25*さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。*26*
多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。*27*
イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。*28*「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。*29*
すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。*30*
イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。*31*
そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」*32*
しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。*33*
女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。*34*
イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」
*35*イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」*36*
イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。*37*
そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。*38*
一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、*39*
家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」*40*
人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。*41*
そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、*42*
「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。
*43*イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。
【説教】
今日の福音で、主イエスは、二人の女性をいやされます。
一人は、会堂長ヤイロの娘です。「一二歳になってい」ます。父親は、主イエスのところに来て、娘を助けてくださるよう、必死になって願います。「どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう」と、声をあげて、願い求めます。父親は、娘を深く愛しています。主は、その声に応えて、「ヤイロと一緒に出かけて行かれ」ます。
もう一人は、「一二年間も出血の止まらない」女性です。この出血は、当時、汚れと見なされ、この女性の触れたものも汚れると考えられていました。その意味で、この女性は、社会との交わりをたたれているのです。ですから、「群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れ」るのです。「この方の服にでも触れればいやしていただける」という、必死の願いをもって、しっかりと「触れる」のです。主は、この声なき祈りに、「すぐ」に応えられます。「すぐ出血が全く止ま」ます。「病気がいやされたことを体に感じ」ます。ここで、「体」とは、単なる身体のことではありません。社会との交わりの中で生かされている、交わりの中でしか生きていけない「体」という意味です。ですから、出血がいやされるということは、社会との交わりを回復するということなのです。
そして、出血の止まらない女性のいやしが行われたところに、ヤイロの娘が亡くなったという知らせが届きます。しかし、主イエスは、「『恐れることはない。ただ、信じなさい』と会堂長に言われ、娘をいやされます。ヤイロの願いは、時間がかかりましたが、叶えられたのです。絶望的な状況が経験された後に、しっかりと聞き入れられたのです。ヤイロは、会堂長ですから、社会的地位の高い人です。しかし、主は、彼の願いを優先させることはなさいません。私たちの祈りも、必ず聞き入れられます。時間がかかるかもしれません。忘れられているのではと思ってしまうかもしれません。いろいろな困難はあっても、最後は、必ず聞き入れられます。
出血の止まらない女性の出血が止まった時、主イエスは、「わたしの服に触れたのはだれか」と問われます。いやされた女性は、この問いかけに応え、「震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話し」ます。この、声に出して、「すべてをありのままに話」すことこそ福音宣教です。そして、この女性は、自分の体験、主イエスとの出会いの体験を語ることで、本当の意味でいやされたということができます。だから、主は、女性に言われます。「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」何があっても、自分が愛されていることを信じていれば、生きていける。神と隣人との交わりの中で、平和に生きていける。主は、女性に、そして、私たちに、そう言っておられるのです。
今日の第一朗読、「知恵の書」で述べられているように、「生かすためにこそ神は万物をお造りになった」のです。出血が止まった女性も、娘がいやされた会堂長も、この言葉を証ししています。私たちも、この言葉を証ししています。これからも、共同体として、祈り合いながら、証ししていきましょう。自分のためだけでなく、私たちのまわりに人のために、祈りと愛の業によって、証ししていきましょう。
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