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6月9日「年間第10主日」の聖書朗読と説教

  • kiotanblock
  • Jun 4, 2024
  • 8 min read

6月9日「年間第10主日」の聖書朗読と説教


 一場神父から上記説教等が届きましたので掲載します。


◆◆◆


小教区窓口の皆様


いつもお世話になり、ありがとうございます。


6月9日「年間第10主日」の聖書朗読と説教をお送り致します。「ことばの祭儀」は、6月9日(日)午前7時に公開予定です。


よろしくお願い致します。


西院教会の信徒会館で、夏の訪れを告げるヤモリを見かけました。体調を崩さないように、ご自愛ください。皆様のためにお祈りしています。


一場


◆◆◆


【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)



◆◆◆


〔6月9日/年間第10主日〕


【第一朗読/創世記3・9-15】



(創世記)


アダムが木の実を食べた後に、*9*主なる神は彼を呼ばれた。


「どこにいるのか。」


*10*彼は答えた。


「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」


*11*神は言われた。


「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」


*12*アダムは答えた。


「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」


*13*主なる神は女に向かって言われた。


「何ということをしたのか。」


女は答えた。


「蛇がだましたので、食べてしまいました。」


*14*主なる神は、蛇に向かって言われた。


「このようなことをしたお前は

あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で

呪われるものとなった。

お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。

*15*お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に

わたしは敵意を置く。

彼はお前の頭を砕き

お前は彼のかかとを砕く。」

【答唱詩編/詩編130・1+2、3+4、5+6】


主は豊かなあがないに満ち、いつくしみ深い。

(詩編130)


*130・1*神よ、深い淵から、

あなたに叫び、

*2*嘆き祈る私の声を

聞いてください。


*3*あなたが悪に目を留められるなら、

だれがみ前に立てよう。

*4*しかし、あなたのゆるしのために、

人はあなたをおそれ尊ぶ。


*5*神はわたしの希望、心の望み。

わたしはみことばを待ち望む。

*6*夜明けを待ちわびる人にもまして、

わたしの心は主を待ち望む。

【第二朗読/②コリント4・13-5・1】



(使徒パウロのコリントの教会への手紙)


皆さん、*4・13*

「わたしは信じた。それで、わたしは語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じ、それだからこそ語ってもいます。

*14*主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています。*15*

すべてこれらのことは、あなたがたのためであり、多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになるためです。


*16*だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。

*17*わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。*18*

わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。


*5・1*

わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。

【福音朗読/マルコ3・20-35】


アレルヤ、アレルヤ。今この世のかしらが追い出される。わたしが地上から上げられるとき、すべての人をわたしのもとに引き寄せる。アレルヤ、アレルヤ。

(マルコによる福音)


そのとき、*3・20*イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。*21*

身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。*22*

エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。

*23*そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。*24*

国が内輪で争えば、その国は成り立たない。*25*家が内輪で争えば、その家は成り立たない。*26*

同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。*27*

また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。*28*

はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。*29*しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」

*30*イエスがこう言われたのは、「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言っていたからである。


*31*イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。*32*

大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、*33*

イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、*34*

周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。*35*

神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」



【説教】


私たちは今、福音を宣べ伝え続けておられる、主イエスのもとに集められています。そして、主の大きな愛に満たされて、主ともに、福音を分かち合う旅に出かけようとしています。


今日の福音が伝えているように、主イエスは、「悪霊を追い出して」おられます。福音を宣べ伝えるとは、悪霊を追い出すことです。この世界から、悪がなくなり、すべてのいのちが、安心して善を行うことができるようになること。それが実現するために、主は、今も、福音を宣べ伝えておられます。悪霊は、今も、この世界にいて、働いています。今も続いている戦争や貧困は、悪霊の働きです。政治や経済といった言葉で説明されていますが、要は、悪霊の働きです。今、必要とされていることは、この悪霊が、一人一人の心から、この世界から追い出されることです。そして、主は、今も、悪霊を追い出しておられるのです。


主イエスは、愛の力によって、愛の力だけで、悪霊を追い出しておられます。主の愛は、三位一体の、開かれた、交わりの愛です。御自分のすべてを与え尽くす愛です。私たちは、三位一体の主日とキリストの聖体の祭日を祝うことで、主の愛を分かち合いました。この愛だけが、悪霊を追い出すことができるのです。


愛によって悪霊を追い出しておられる、主イエスについて、ある人たちは言います。「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と。確かに、そうしたことが、この世界で起こっています。「正義と秩序」の名のもとに軍事介入が行われ、たくさんのいのちが犠牲にされたのに、平和が実現されていない。実現されていないだけでなく、前よりもひどくなっている。軍事産業だけが、大きな利益を得ている。高度な技術により、兵器の殺傷能力は飛躍的に「進歩」しているのに、最低限の食料や医薬品が届かずに、いのちを奪われている人がいる。正義と秩序の名のもとに、あまりにも多くのいのちが奪われている。こうした現実を、私たちは、今、目のあたりにしています。悪の力で悪を追い出しているではないかと言いたくなるほどの状況が続いています。


しかし、主イエスは、違います。主は、愛の力だけで、悪霊を追い出しておられます。なぜなら、主は、決して、いのちを奪うようなことはなさらないからです。主は、御自分のいのちを与え続けておられるからです。そして、私たち教会も、愛の実践によって、この世界の中で主の愛を宣べ伝えています。私たちが分かち合っている福音は、主の愛なのです。


この世界では、今も、悪霊が働いています。しかし、愛の霊である「聖霊」も、悪霊以上に力強く、働いておられます。私たちが、主イエスとともに、福音を宣べ伝える限り、聖霊は働いておられます。私たちは、「聖なる普遍の教会」を信じています。聖なる普遍の教会を信じるとは、すべてのいのちに開かれた愛の霊の働いておられる教会を信じるということです。愛の実践をしている、実践しようともがいている、姉妹兄弟を信じるということです。互いに愛し合い、信じ合うということです。姉妹兄弟こそ、「聖なる普遍の教会」なのです。


主イエスは、今日、「聖霊を冒瀆する者は…赦され」ないと言っておられます。聖霊を冒瀆するとは、教会の姉妹兄弟の愛を信じないということです。教会、特に、信徒の方々は、この世界の中で、主の愛を宣べ伝えるています。黙って、静かに、愛を実践することで、福音を、力強く宣べ伝えています。信徒の方々の生きている姿は、愛の霊の働きそのものです。冒瀆とは、愛の霊によって生きている信徒の方々を信じないということです。信徒の方々が愛を、必死になって生きている姿を見て、あざ笑っている聖職者こそ、赦されない冒瀆を行なっているのです。愛を生きるための力を求めて教会に来ている信徒の方々を大切にしないことが、冒瀆なのです。愛を生きようともがいている信徒の方々を尊敬できないことこそ、聖職者の堕落なのです。


今日、私たちは、集会祈願、教会共同体全体のための祈りで、

「すべての善の源である神」に、次のように祈りました。「あなたの息吹を受けて、わたしたちがキリストの教えに心を開き、愛の実践に励むことができますように。」この祈りによって、信徒の方々が勇気づけられ、喜びのうちに、愛の福音を分かち合い続けることができますように。聖職者たちが、聖霊の導きを信じて、謙虚な心で、信徒の方々の福音宣教の歩みに奉仕することができますように。そして、本当の意味で、「ともに歩む教会」となることができますように。

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