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7月16日「年間第15主日」の朗読聖書と説教

  • kiotanblock
  • Jul 11, 2023
  • 8 min read

7月16日「年間第15主日」の朗読聖書と説教


 一場神父から7月16日「年間第15主日」の朗読聖書と説教が届きましたので掲載します


◆◆◆


小教区窓口の皆様


いつもお世話になり、ありがとうございます。


7月16日「年間第15主日」の朗読聖書と説教をお送り致します。


「ことばの祭儀」は、7月15日(土)午後7時に公開予定です。


また、「パウロの手紙を読む」の第4回は、18日(火)午後1時公開予定です。


よろしくお願い致します。


厳しい暑さが続きます。熱中症などにお気をつけください。皆様のためにお祈りしています。


一場


◆◆◆


【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)



◆◆◆


〔7月16日/年間第15主日〕

【第一朗読/イザヤ55・10-11】イザヤの預言


主は言われる。

*55・10*雨も雪も、ひとたび天から降れば

むなしく天に戻ることはない。

それは大地を潤し、芽を出させ、

生い茂らせ種蒔く人には種を与え

食べる人には糧を与える。

*11*そのように、わたしの口から出る

わたしの言葉もむなしくは、

わたしのもとに戻らない。

それはわたしの望むことを成し遂げ

わたしが与えた使命を必ず果たす。

【答唱詩編/詩編65・10、11+12、13+14】


いのちあるすべてのものに、主は食物を恵まれる。

詩編65


*65・10*あなたは地を訪れて喜ばせ、

豊かな実りでおおわれる。

大空に水を蓄え、

地に水を注いで麦をあたえられる。


*11*田畑に水を送り、土くれをならし、

夕立で地を潤して作物を祝福される。

*12*あなたの恵みは豊作をもたらし、

あなたの訪れるところに豊かさがあふれる。


*13*荒れ野のまきばも若草にもえ、

丘一面に喜びがこだまする。

*14*野山は羊の群れに満ち、谷は小麦におおわれ、

人々は喜びにあふれてうたう。

【第二朗読/ローマ8・18-23】使徒パウロのローマの教会への手紙


皆さん、*8・18*現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。*19*

被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。*20*

被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。*21*

つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。*22*

被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。*23*

被造物だけでなく、〝霊〟の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。

【福音朗読/マタイ13・1-23】


アレルヤ、アレルヤ。種は神のことば、蒔く人はキリスト。キリストを見いだす人は永遠に生きる。アレルヤ、アレルヤ。

マタイによる福音


*13・1*その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。*2*

すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。*3*

イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。


「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。*4*蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。*5*

ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。*6*しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。*7*

ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。*8*

ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。*9*耳のある者は聞きなさい。」


*10*弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。*11*

イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。*12*

持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。*13*

だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。*14*イザヤの預言は、彼らによって実現した。

『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、

見るには見るが、決して認めない。

*15*この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。

こうして、彼らは目で見ることなく、

耳で聞くことなく、心で理解せず、

悔い改めない。わたしは彼らをいやさない。』

*16*しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。*17*

はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。


*18*だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。*19*

だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。*20*

石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、*21*

自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。*22*

茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。*23*

良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」



【説教】


私たちは、神のみことば、主のみことばをいただき、分かち合うために、こうして集まっています。


預言者イザヤは、私たちに、力強い、神ご自身のことばを伝えています。「わたしの口から出るわたしの言葉も/むなしくは、わたしのもとに戻らない。/それはわたしの望むことを成し遂げ/わたしが与えた使命を必ず果たす。」神が語られることばは、私たちに生きる力を与えます。神が望まれる通りに生きる喜びを与えます。神のために生きる勇気と知恵を与えます。神のみことばが、私たちの中で実現する時、私たちの救いが実現します。私たちがともに救われることこそ、神の望まれることであり、みことばの使命なのです。そして、神のみことばは、私たちの賛美と感謝の声として、神ご自身のもとに戻っていきます。賛美と感謝をささげることができなくても、私たちが祈っている限り、みことばはむなしく戻ることはありません。どのような祈りでも、私たちの真剣な祈りは、神のみことばの豊かな実りなのです。


今日の福音で、神のみことばは、「種蒔き」にたとえられています。みことばは、ただの種ではありません。蒔かれてはじめて、みことばとなります。だから、みことばは、「種蒔き」なのです。福音も、宣べ伝えられなければ、福音となりません。だから、福音宣教こそが、福音なのです。そして、「種を蒔く人」は、主イエスです。そして、今、主のもとに集まっている私たちです。


主イエスが語られるたとえからわかるように、みことばの種蒔きは、場所を選びません。所かまわず、蒔かれます。「良い土地」だけでなく、「道端」、「石だらけで土の少ない所」、「茨の間」といった場所にも蒔かれます。成長しても、しなくても、蒔かれ続ける種が、神のみことばという種なのです。もし種を蒔くことを止めたら、種は種でなくなってしまうのです。蒔かれ続けることで、種であり続ける。それが、みことばという種、みことばの種蒔きなのです。そして、みことばという種は、神から来るものですから、尽きることはありません。だから、みことばの種蒔きを委ねられている私たちは、安心して蒔き続ければよいのです。


私たちが、みことばを蒔き続ける時、忘れてはならないことがあります。私たちは、どれが「良い土地」か、誰が「御言葉を聞いて悟る人」かを知りません。そして、どんな土地も、ずっと良い土地であり続けることはできません。ある時は、石だらけになってしまうかもしれません。茨や雑草に覆われるかもしれません。ですから、すべてが良い土地だと信じて、良い土地になると固く信じて、蒔き続けるしかないのです。そして、福音宣教とは、出会う人が必ずみことばを悟る時が来ると信じて、みことばを宣べ伝え続けることなのです。


主イエスは、言っておられます。「ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった」と。みことばの実の結び方は、人それぞれです。悟るまでかかる時間も、人によって違います。大切なのは、すべてが尊い実りだということです。主イエスが言っておられる数字は、大小とか、優劣を表わすものではありません。一つはっきりしていることは、みことばを信じて、悟りに達するには、多くの場合、時間がかかるということです。悟りとは、時間をかけて、ゆっくりと深めていくことなのです。私たちが生きている社会では、すぐに結果を出すことが求められます。みことばを悟ることとは、結果を出すことではありません。ゆっくりと深めていくこと、その過程なのです。


使徒パウロは、私たちに励ましの言葉を残しています。「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。」将来の栄光とは、神のみことばの完全な実現です。すべてのいのちが救われる時です。私たちは、その時まで、みことばの種蒔きを続けていきたいと思います。この歩みには、苦しみがともないます。しかし、私たちが蒔き続けているみことばは、必ず実現します。苦しみが大きければ大きいほど、実りも大きくなります。みことばの力を信じて、みことばの種蒔きの歩みを続けていきましょう。主イエスとともに、共同体としてともに、福音宣教の旅を続けましょう。


--

一場 修


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