7月30日「年間第17主日」の朗読聖書と説教
- kiotanblock
- Jul 25, 2023
- 6 min read
7月30日「年間第17主日」の朗読聖書と説教
一場神父から7月30日「年間第17主日」の朗読聖書と説教が届きましたので掲載します
◆◆◆
小教区窓口の皆様
いつもお世話になり、ありがとうございます。
7月30日「年間第17主日」の朗読聖書と説教をお送り致します。
「ことばの祭儀」は、7月30日(日)午前10時に公開予定です。
よろしくお願い致します。
厳しい暑さが続いています。熱中症などに、くれぐれもお気をつけください。皆様のためにお祈りしています。
一場
◆
小教区窓口の皆様
いつもありがとうございます。
修正版をお送り致します。
よろしくお願い致します。
一場
◆◆◆
【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)
◆◆◆
〔7月30日/年間第17主日〕
【第一朗読/列王記上3・5、7-12】列王記
*3・5*その夜、主はギブオンでソロモンの夢枕に立ち、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われた。*6*ソロモンは答えた。*7*
「わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。しかし、わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。
*8*僕はあなたのお選びになった民の中にいますが、その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。*9*
どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」
*10*主はソロモンのこの願いをお喜びになった。*11*
神はこう言われた。「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。*12*
見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。」
【答唱詩編/詩編125・57+72、127+129、160+162】
主よ、あなたは永遠のいのちのことば。
詩編125
*125・57*神よ、あなたはわたしのすべて。
あなたのことばをわたしは守る。
*72*あなたの教えはすばらしい。
すべての金銀にまさる。
*127*金よりも純金よりも
あなたのすすめをわたしは愛する。
*129*神よ、あなたの定めはすばらしい。
心を尽くしてわたしはそれを守る。
*160*あなたのことばは真理に基づく。
正しいさばきはとこしえに変わることがない。
*162*すばらしい宝を見つけた人のように、
わたしはあなたの仰せを喜ぶ。
【第二朗読/ローマ8・28-30】使徒パウロのローマの教会への手紙
皆さん、*8・28*神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。
*29*神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。
*30*神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。
【福音朗読/マタイ13・44-46】
アレルヤ、アレルヤ。天と地の主である父はたたえられますように。あなたは神の国のことを小さい人々に現してくださった。アレルヤ、アレルヤ。
マタイによる福音
そのとき、イエスは人々に言われた。*13・44*
「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。
*45*また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。*46*
高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」
【説教】
主イエスは今週も、たとえを用いて、「天の国」について分かち合ってくださいます。天の国の喜びへと、私たちを招いてくださいます。天の国こそ、キリストの平和です。すでに始まっている平和、まだ完成していない平和です。主日の集会で分かち合う平和、世界に宣べ伝えなければならない平和です。
天の国とは、「畑に宝が隠されている」ことです。「畑」は、私たちが生きている、この地球、この世界です。「宝」は、そこで生きている「いのち」です。すべてのいのちは、世界の中、地球環境の中で生きています。あらゆるいのちは、つながり合って生きており、このつながりを絶って、つながりの外側で生きていくことはできません。ですから、天の国とは、すべてのいのちがつながり合って生きているということなのです。
天の国とは、つながり合って生きている「いのち」という宝を「見つけ」ることです。すべてのいのちが生きていることに「喜び」を感じることです。そして、いのちを、かけがえのない宝として大切にすることです。「持ち物をすっかり売り払って」もかまわないほど大切にすることです。いのちは宝です。そして、いのちが生きている、世界という畑、地球という畑も、かけがえのない宝です。
「いのち」という宝を見つけ、大切にするために、「知恵」が必要です。今日の第一朗読で伝えられているように、ソロモン王は、神に知恵を求めました。「聞き分ける知恵」を願い求めました。いのちを大切にするとは、いのちの声に耳を、心を傾けるということです。特に、弱さ立場に追いやられているいのちの叫びに、真剣に応えるということです。そして、ともに生きていける道を考えるということです。私たちがともに生きることを妨げているものは何かを見極めるということです。すべてのいのちが喜んで生きていける道を見いだすということです。いのちの声を聞き逃さないために、知恵が必要です。ともに生きる道を見いだし、しっかりと歩んでいくために、知恵が必要なのです。
知恵は、神からの恵みですから、私たちに謙虚な心をもたらします。知恵が与えられる時、私たちは、自分の限界や弱さを知るようになります。自分の正しさだけを主張することをなくなります。自分の限界や弱さ、誤りを、躊躇することなく認めるようになります。ともに正しい方向に進むのにはどうすれば良いかを、ともに考えるようになります。考えるだけでなく、まわりの人に優しく、親切になれます。天の国が広がっていくためには、この知恵が必要なのです。主イエスは、天の国を、「良い真珠を探している」ことにたとえておられます。良い真珠とは、知恵のことです。天の国とは、知恵を探し求めて、日々祈り続けることなのです。得られた知恵を、まわりの人と分かち合うことなのです。
私たちは、コロナ禍を生きてきました。この困難な時にあって、すべてのいのちを宝として大切にしてきました。感染防止の努力を続けながらも、互いのつながりを大切にしてきました。ともに生きていくためには、どうすれば良いかを真剣に考えてきました。教会に集まることができなくても、神の愛を分かち合う努力をしてきました。教会に来ることができない人のことを忘れず、会えなくても、ともに祈り続けてきました。コロナ禍を通して、私たちは、天の国を生きてきました。ともに生きるための知恵を願い求め、深めてきました。
コロナ禍は、人類が真の知恵を得て、すべてのいのちが生きる道をともに歩む時であるはずです。しかし、さまざまな暴力、戦争や紛争、貧困や飢餓はなくなっていません。地球環境破壊は進んでいます。コロナ禍の最中に、ウクライナ戦争は始まりました。戦争が終わるどころか、ロシアとウクライナの双方によって、非人道的兵器であるクラスター弾が使用される事態になっています。敵をいかに効果的に殺傷するかが追求されています。天の国は始まっていますが、完成には程遠いのです。私たちは、この現実から目を背けないようにしたいと思います。そして、コロナ禍で学んでいることを生かしたいと思います。世界と地球の現実をしっかり見つめ、日々、天の国の完成を願って、祈り続けたいと思います。天の国の完成のために、自分ができることを実行したいと思います。
天の国は、この世界の中で、この地球で生きている、すべてのいのちのことです。そのいのちが、かけがえのない宝として大切にされることです。そのための知恵が、日々真剣に願い求められ、深まっていくことです。この天の国の歩みを続けていきましょう。必ず、天の国の完成の日が来ると信じて、主イエスに従って、ともに歩んでいきましょう。
--
一場 修
Comments