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7月7日「年間第14主日」の聖書朗読と説教

  • kiotanblock
  • Jul 6, 2024
  • 6 min read

7月7日「年間第14主日」の聖書朗読と説教


 一場神父から上記説教等が届きましたので掲載します。



◆◆◆


小教区窓口の皆様


いつもお世話になり、ありがとうございます。


7月7日「年間第14主日」の聖書朗読と説教をお送り致します。「ことばの祭儀」は、7月7日午前7時に公開予定です。


よろしくお願い致します。


これから厳しい暑さの毎日となります。熱中症にお気をつけください。皆様のために、お祈りしています。


一場


◆◆◆


【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)



◆◆◆


〔7月7日/年間第14主日〕

【第一朗読/エゼキエル2・2-5】



(エゼキエルの預言)


その日、*2・2*霊がわたしの中に入り、わたしを自分の足で立たせた。わたしは語りかける者に耳を傾けた。*3*

主は言われた。「人の子よ、わたしはあなたを、イスラエルの人々、わたしに逆らった反逆の民に遣わす。彼らは、その先祖たちと同様わたしに背いて、今日この日に至っている。

*4*恥知らずで、強情な人々のもとに、わたしはあなたを遣わす。彼らに言いなさい、主なる神はこう言われる、と。*5*

彼らが聞き入れようと、また、反逆の家なのだから拒もうとも、彼らは自分たちの間に預言者がいたことを知るであろう。」

【答唱詩編/詩編116・1+2ad、栄唱】


主は豊かなあがないに満ち、いつくしみ深い。

(詩編116)


*116・1*神よ、わたしは目をあげてあなたを仰ぐ。

あなたの住まいは天にある。

*2ad*主人の手に目を注ぐしもべのように、

そのあわれみをわたしたちは待つ。


*栄唱*栄光は

父と子と聖霊に。

初めのように今も

いつも世々に。アーメン。

【第二朗読/②コリント12・7b-10】



(使徒パウロのコリントの教会への手紙)


皆さん、*12・7b*

わたしが思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。

*8*この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。*9*

すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。

*10*

それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。

【福音朗読/マルコ6・1-6】


アレルヤ、アレルヤ。貧しい人に福音を、捕らわれ人に開放を告げるため、神はわたしを送られた。アレルヤ、アレルヤ。

(マルコによる福音)


そのとき、*6・1*イエスは故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。*2*

安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。

*3*

この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。

*4*イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。*5*

そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。*6*そして、人々の不信仰に驚かれた。


それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。



【説教】


今日の福音は、「故郷にお帰りになった」イエスについて伝えています。


イエスの故郷ナザレの人々は、イエスのことをすべて知っていると思い込んでいます。この思い込みが、人々の信仰の妨げとなっています。思い込みということは、過去へのこだわりから生まれます。過去の経験や知識は、私たちの生活を支えるもので、大切なものです。過去があるから、現在の私たちがあります。過去を忘れないことが、よりよい未来を築いていくために必要となることがあります。過去の戦争のことを忘れたら、同じ過ちが繰り返されるでしょう。


思い込みは、この過去の経験や知識から、すべてを決めつけることです。主イエスの故郷の人々は、過去のイエスにこだわり、今語られている主の言葉、行われている主の愛の業を受け入れることができません。私たちが知っている、あのイエスが、こんなことを語るはずがない。こんなことをできるはずがない。人々は、神の御言葉と御業だとわかっていながら、信じることができないのです。自分たちが知っている過去のイエスにこだわるあまり、ただ信じればよいことを、疑っているのです。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう」と疑っているのです。


大切なことは、今、何が語られているか、何が行われているかということです。語る人、行う人に、その過去にこだわることではありません。あの人が、こんなことを語るはずがない、こんなことをできるはずがないという思いを持たないことです。むしろ、語るはずがないと思い込んでいた人が語る、神の御言葉こそ、行うはずがないと思っていた人が行う愛の業こそ、奇跡なのです。私たちに、新たな信仰をもたらす奇跡なのです。


主イエスは、真の預言者です。だから、私たちは皆、主を信じることができます。その意味で、ナザレの人々のように、主イエスを疑うことはありません。しかし、預言者は、主イエスだけではありません。今日の第一朗読に登場するエゼキエルのような、旧約聖書に登場する預言者だけではありません。私たち、特に、洗礼を受けているキリスト者は皆、預言者となる恵みをいただいています。私たちは、預言者として、勇気をもって語るよう招かれているのです。預言者として、愛の業を行うように励まされています。そして、私たちが行っている分かち合いは、預言を語り合う場であると言えます。


そして、預言者は、単に語るだけでなく、神の言葉に耳を傾ける人です。預言者が語るのは、神の言葉なのです。神の言葉を聞かなければ、預言者は、何も語ることはできません。さらに、預言者は、神の言葉や業に気づくことができる人です。神の言葉や業は、この世界のさまざまな出来事の中で示されています。神を信じる人だけでなく、さまざまな人を通して、神は働いておられます。だから、私たちは、思い込みや決めつけをせず、謙虚な思いで、まわりの人や出来事に接していきたいと思います。私たちは、まわりの人に神の言葉や愛を伝えると同時に、まわりの人を通して、主イエスに新たに出会うのです。私たちが知っている主イエスを伝えると同時に、私たちが知らなかった主イエスを知ることになるのです。そうした出会いを重ねていく人こそ、預言者であると言えます。


私たちは皆、預言者です。今日、御言葉を聞いて、それを出会う人と分かち合う預言者です。この世界のさまざまところで語られ、実現している御言葉に気づき、謙虚に心に納める預言者です。しかし、私たち一人一人は、弱い存在です。預言者などになれないと思ってしまいます。しかし、使徒パウロが、主の言葉として伝えているように、「力は弱さの中でこそ十分に発揮されるの」です。自分の弱さを受け入れて、主を信じて、主にすべてをゆだねて語り、行う時こそ、真の預言者となるのです。主の恵みにより預言者とされたことに感謝し、これからも、預言者の共同体として、ともに歩んでいきましょう。

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