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8月11日「年間第19主日」、15日「聖母の被昇天」の聖書朗読と説教

  • kiotanblock
  • Aug 4, 2024
  • 12 min read

Updated: Aug 13, 2024

8月11日「年間第19主日」、15日「聖母の被昇天」の聖書朗読と説教


 一場神父から上記説教等が届きましたので掲載します。


◆◆◆


小教区窓口の皆様


いつもお世話になり、ありがとうございます。


8月11日「年間第19主日」、15日「聖母の被昇天」の聖書朗読と説教をお送り致します。

「ことばの祭儀」は、11日(日)と15日(木)午前7時に公開予定です。


よろしくお願い致します。


猛暑が続いています。熱中症などにお気をつけください。皆様のために、お祈りしています。


一場


◆◆◆


【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)



◆◆◆


〔8月11日/年間第19主日〕

【第一朗読/列王記上19・4-8】



(列王記)


その日、王妃イゼベルが自分を殺そうとしていることを知った*19・4*

エリヤは、荒れ野に入り、更に一日の道のりを歩き続けた。彼は一本のえにしだの木の下に来て座り、自分の命が絶えるのを願って言った。「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません。」

*5*彼はえにしだの木の下で横になって眠ってしまった。御使いが彼に触れて言った。「起きて食べよ。」*6*

見ると、枕もとに焼き石で焼いたパン菓子と水の入った瓶があったので、エリヤはそのパン菓子を食べ、水を飲んで、また横になった。*7*

主の御使いはもう一度戻って来てエリヤに触れ、「起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ」と言った。*8*

エリヤは起きて食べ、飲んだ。その食べ物に力づけられた彼は、四十日四十夜歩き続け、ついに神の山ホレブに着いた。

【答唱詩編/詩編34・2+3、4+5、7+8】


主を仰ぎ見て、光を受けよう。主が訪れる人の顔は輝く。

(詩編34)


*34・2*主をたたえよう、

明け暮れ賛美を口にして。

*3*主はわたしたちの口の誇り、

苦しむ時の心の喜び。


*4*心を合わせて主をあがめ、

ともにその名をたたえよう。

*5*主はわたしたちの祈りに心を留め、

すべての恐れを遠ざけてくださる。


*7*主は貧しい者の叫びを聞き、

悩みの中から救い出し、

*8*主をおそれる者に使いを送り、

支えとなって守ってくださる。

【第二朗読/エフェソ4・30-5・2】



(使徒パウロのエフェソの教会への手紙)


皆さん、*4・30*神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、購いの日に対して保証されているのです。*31*

無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。*32*

互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。 *5・1*

あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。*2*

キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。

【福音朗読/ヨハネ6・41-51】


アレルヤ、アレルヤ。わたしは天から下ったいのちの糧。このパンを食べる人は永遠に生きる。アレルヤ、アレルヤ。

(ヨハネによる福音)


そのとき、*6・41*ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、*42*

こう言った。「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」*43*

イエスは答えて言われた。「つぶやき合うのはやめなさい。*44*

わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。*45*

預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。*46*

父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。*47*はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。*48*

わたしは命のパンである。*49*あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。*50*

しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。*51*

わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」



【説教】


今週も、私たちは共同体として集まり、「命のパン」である主イエスの福音に耳を傾けています。そして、6日から15日まで、「日本カトリック平和旬間」を過ごしています。私たちは、今日の福音を平和の福音として、共同体の中で、まわりの人々との日々の出会いの中で、分かち合っていきたいと思います。


今年の平和旬間のための、日本カトリック司教協議会会長談話のテーマは、「無関心はいのちを奪います」です。談話の結びの言葉も、この言葉です。談話の中で、次のように述べられています。「世界中でいのちに対する暴力が横行しているにもかかわらず、無関心のグローバル化は激しさを増し、すべてはスクリーンの先にある『人ごと』のように取り扱われています。…いのちを奪われているのは、わたしたちの兄弟姉妹です。暴力にさらされているのは、神のたまものであるいのちです。そしてその暴力を生み出しているのは人間であり、それを助長しているのは、わたしたちの無関心です。」


この談話で、はっきりと述べられているように、無関心の広がりは、暴力を広がりをもたらし、暴力をいっそう激しく、残酷なものにします。世界で起こっているさまざまな暴力を知っても、多くの人が傷つき、飢えている動画や画像を目にしても、「人ごとのように」、感じてしまう。暴力の犠牲になっていのちを奪われた人の数を耳にしても、株価や円相場の数字と同じものとして受け止める。むしろ、株価や円相場の数字の方が気になる。こうした状況こそが、無関心が引き起こす残酷な暴力であると言えます。


今日の福音書で、主イエスが、「天から降って来たパン」であることが強調されます。「天から降って来た」ということは、主が、この地上で生きておられるということです。主が、私たちと、すべてのいのちとともに生きておられるということです。スクリーンや数字を通して、ただ情報を得るだけでなく、すべてのいのちが生きているところで生きておられるということです。


さらに、主イエスは、はっきりと宣言されます。「わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」ここでの「肉」とは、痛みや悲しみを感じることができる体のことです。他人の苦しみを自分の苦しみとして感じることができる体です。助けを求めて叫んでいる人のそばに駆けつける全身です。すぐに駆けつけたくて、居ても立っても居られない体です。駆けつけられない時、もどかしさを感じる体です。そして、他人の喜びを自分の喜びとして喜ぶ体です。まわりのいのちに、まわりの人に関心を持ちながら、生き続けている体です。


私たちは、この地上で生きています。主イエスとともに生きています。まわりのいのちにかかわりながら、支えられながら生きています。すべてのいのちとつながり合いながら生きています。このつながりを大切にすることが、関心を持って生きていくことではないでしょうか。そして、すべてのいのちに関心を持って生きる時、私たちも、命のパンとなります。「世を生かすための肉」となります。命のパン、世を生かす肉となって、平和の福音を証ししていきましょう。この世界の中で、いのちへの関心をもたらすパンとなって、ともに歩んでいきましょう。



※2024年平和旬間 日本カトリック司教協議会会長談話「無関心はいのちを奪います」 | カトリック中央協議会↓


https://www.cbcj.catholic.jp/2024/07/22/30340/



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


〔8月15日/聖母の被昇天〕

【第一朗読/黙示録11・19a、12・1-6、10ab】



(ヨハネの黙示)


*11・19a*天にある神の神殿が開かれて、その神殿の中にある契約の箱が見えた。


*12・1*また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。*2*

女は身ごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。*3*

また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた。*4*

竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。

*5*女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた。*6*

女は荒れ野へ逃げ込んだ。そこには、神の用意された場所があった。


*10ab*わたしは、天で大きな声が次のように言うのを、聞いた。


「今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。

神のメシアの権威が現れた。」

【答唱詩編/詩編45・3+4、11+12】


神のいつくしみをとこしえに歌い、主のまことを代々に告げよう。

(詩編45)


*45・3*あなたは人の子のうちたぐいなく美しく、

気品はあなたの口もとにただよう。

*4*神はとこしえにあなたを祝福される。

あなたは光と輝きを身にまとう。


*11*娘よ、聞け、耳を傾けよ、

おまえの民と父母の家を忘れよ。

*12*おまえの麗しさを慕う王を主とあがめ、

心を尽くして仕えよ。

【第二朗読/①コリント15・20-27a】



(使徒パウロのコリントの教会への手紙)


皆さん、*15・20*キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。*21*

死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。*22*

つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。*23*

ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、*24*

次いで、世の終わりが来ます。そのとき、キリストはすべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、父である神に国を引き渡されます。*25*

キリストはすべての敵を御自分の足の下に置くまで、国を支配されることになっているからです。最後の敵として、死が滅ぼされます。「神は、すべてをその足の下に服従させた」からです。

【福音朗読/ルカ1・39-56】


アレルヤ、アレルヤ。マリアは天に上げられた。天使の群れは喜び輝く。アレルヤ、アレルヤ。

(ルカによる福音)


*1・39*そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。*40*そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。*41*

マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、*42*

声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。*43*

わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。*44*

あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。*45*主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」


*46*そこで、マリアは言った。


「わたしの魂は主をあがめ、

*47*わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。

*48*身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。

今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、

*49*力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。

その御名は尊く、

*50*その憐れみは代々に限りなく、

主を畏れる者に及びます。

*51*主はその腕で力を振るい、

思い上がる者を打ち散らし、

*52*権力ある者をその座から引き降ろし、

身分の低い者を高く上げ、

*53*飢えた人を良い物で満たし、

富める者を空腹のまま追い返されます。

*54*その僕イスラエルを受け入れて、

憐れみをお忘れになりません、

*55*わたしたちの先祖におっしゃったとおり、

アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」


*56*マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。



【説教】


聖母の被昇天の祭日である8月15日は、日本カトリック平和旬間の最終日です。私たちは、この10日間を、「ともに平和を祈り、平和を考え、平和について語り、平和のために行動する機会」としてきました。そして、聖母の被昇天の祭日は、聖母の全存在が、天に上げられたことを祝う日です。


天に上げられたということは、地上との関わりがなくなったということではありません。天とは、絶え間なく、祈りがささげられているところです。だから、地上に生きている私たちは、天にいる人たちに、執り成しを願います。天では、地上のための祈りが、いつも、いつもささげられているのです。聖母マリアは、天で、祈り続けているのです。地上の平和のために祈っています。


聖母は、祈っています。主なる神が、「力を振るい、思い上がる者を打ち散ら」ように祈っています。5月に出された、日本の司教団の文書『見よ、それはきわめてよかった』は、人類の思い上がりについて、次のように述べています。「人類は、造られたものとしての限界を認めるのを拒み、神に取って代わろうとしています。」


この思い上がりが、神と人間とのつながり、自然と人間とのつながり、人間どうしのつながり、自己とのつながりを傷つけているのです。神に賛美と感謝をささげる心が、多くの人から失われているのです。目先の経済利益のために、すべてのいのちを育む地球環境が破壊されているのです。いのちを守るための力を与えられた権力者は、その力で、いのちを傷つけ、否定しているのです。多くのいのちが、日々、権力者の犠牲になっているのです。あまりにも多くの人が、自分が生きている意味を見いだせず、苦しんでいるのです。与えられたいのちを生きることが、苦しみになっているのです。


聖母は、人類がこの思い上がりから解放されるよう願っています。そして、すべてのいのちを大切にしてくださる「神を喜びたたえるように」祈っています。ともに、神を喜びたたえるように、招いています。「権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されるように」、いのちの神に祈っています。権力者や富める者の回心を願い求めています。権力や富という、弱い立場に追いやられた人に死をもたらす偶像から解放されるように、今この時、天において、祈っています。


さらに、聖母は、私たちに、私たちに続くすべてのいのちに、希望の福音を告げ知らせています。「その僕…を受け入れて、憐れみをお忘れになりません。わたしたちの先祖におっしゃったとおり、…その子孫に対してとこしえに。」この希望は、すべてのいのちに与えられています。


聖母の被昇天の今日、私たちは、聖母とともに、平和を祈るように招かれています。すべてのいのちのために祈りように招かれています。すべての人の回心のために祈るように求められています。この地球が、死をもたらす偶像から解放されるよう心から願うように、強く求められています。希望を失なうことなく、平和の福音を告げ知らせるように励まされています。そして、私たちも、聖母とともに祈り、聖母とともに福音を告げ知らせる時、被昇天の喜びを味わうことができるのです。今この時、この地上で、自分の全存在が救われているという喜びに満たされるのです。「希望の巡礼者」として、この地上を歩み続けることができるのです。今年の平和旬間は15日で終わりますが、聖母ともに歩む、私たちの巡礼は続きます。キリスト平和が、この地上に実現することを信じて、希望を持って、歩み続けましょう。



※『見よ、それはきわめてよかった――総合的なインテグラルエコロジーへの招き』 | カトリック中央協議会↓


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