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8月18日「年間第20主日」の聖書朗読と説教

  • kiotanblock
  • Aug 15, 2024
  • 6 min read

8月18日「年間第20主日」の聖書朗読と説教


 一場神父から上記説教等が届きましたので掲載します。


◆◆◆


小教区窓口の皆様


いつもお世話になり、ありがとうございます。


8月18日「年間第20主日」の聖書朗読と説教をお送り致します。「ことばの祭儀」は、18日(日)午前7時に公開予定です。


よろしくお願い致します。


18日の桂と西院の主日ミサは、新司祭の出水神父様が司式されます。厳しい残暑が続いています。熱中症などにお気をつけください。皆様のために、お祈りしています。


一場


◆◆◆


【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)


◆◆◆


〔8月18日/年間第20主日〕

【第一朗読/蔵言9・1-6】



(箴言)


*9・1*知恵は家を建て、七本の柱を刻んで立てた。

*2*獣を屠り、酒を調合し、食卓を整え

*3*はしためを町の高い所に遣わして

呼びかけさせた。

*4*「浅はかな者はだれでも立ち寄るがよい。」

意志の弱い者にはこう言った。

*5*「わたしのパンを食べ、

わたしが調合した酒を飲むがよい

*6*浅はかさを捨て、命を得るために

分別の道を進むために。」

【答唱詩編/詩編145・10+11、13ab+14、15+16】


いのちあるすべてのものに、主は食物を恵まれる。

(詩編145)


*145・10*神よ、造られたすべてのものはあなたをたたえ、

あなたに従う人は感謝してうたう。

*11*彼らはあなたの国の栄光を語り、

力あるあなたのわざを告げる。


*13ab*あなたの国は永遠の国。

あなたの支配は世々に及ぶ。

*14*神は悩みのうちにある者を支え、

倒れる者をすべて立たせてくださる。


*15*神を待ち望むすべてのものに、

いのちのかてを豊かに恵まれる。

*16*生きているすべてのものの願いを、

神は豊かに満たされる。

【第二朗読/エフェソ5・15-20】



(使徒パウロのエフェソの教会への手紙)


皆さん、*5・15*愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。*16*時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。*17*

だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。*18*酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、

*19*詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。*20*

そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。

【福音朗読/ヨハネ6・51-58】


アレルヤ、アレルヤ。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む人は、わたしのうちに留まり、わたしもその人のうちにいる。アレルヤ、アレルヤ。

(ヨハネによる福音)


そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。*6・51*

「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」


*52*それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。*53*

イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。*54*

わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。*55*

わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。*56*

わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。*57*

生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。*58*

これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」



【説教】


今週の福音書で、主イエスは、聖体の秘跡について説かれます。この秘跡によって、私たちにどのような恵みが与えられるかを示されます。


主イエスが言われるように、聖体という恵みを受ける人は、「永遠の命を得」ます。永遠の命とは、希望をもって、今を生きるということです。どのような困難の中にあっても、希望を失うことなく、生き続けるということです。ただ生き続けるということではありません。主が私たちに、日々示される愛によって、生かされるということです。憎しみや無関心の中で、生きのびるということではありません。瞬間と言えるような短い時間であっても、主からいただいた愛をもって、丁寧に生きることです。


そして、主イエスは、今日、はっきりと宣言されます。「わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物」と。主の肉と血は、すべてのいのちの救いのために、十字架上で苦しまれ、犠牲の血を流される主御自身です。すべてのいのちの幸せのために、すべてを与え尽くされる主御自身です。今も、十字架上で、すべてのいのちを愛しておられる主御自身です。主は、十字架上で示される愛を、まことの食べ物とまことの飲み物として、私たちに与え続けておられます。十字架上の永遠の愛を、私たちと分かち合い続けておられるのです。そして、食べて、飲むとは、主の愛を、共同体として、分かち合うというということです。主の食卓で、皆で分かち合うということです。


また、主イエスは、主の肉を食べ、主の血を飲む人について、次のように言われます。「わたしはその人を終わりの日に復活させる」と。復活とは、いのちが本当に生きるようになる、まことの愛をもって生きることができるようになるということです。救いが完成するということです。「終わりの日に」とは、復活の時まで時間がかかるということです。復活の時まで、主の肉と血を分かち合い続けることになるということです。「終わりの日」まで、主とともに、苦しまなければならないということです。すべてのいのちの救いのために、ともに苦しむように励まされているということです。苦しみの後に、必ず、救いの喜びが、まことの幸せが訪れるということです。そして、救いの完成という希望に支えらて、今の苦しみを生きていくことができるということです。「希望の巡礼者」として、永遠のいのちへと至る旅路を歩み続けることができるということです。永遠のいのちへと変えられていく道を、すべてのいのちとともに。歩んでいくことができるということです。


さらに、聖体の秘跡は、交わりと一致の秘跡です。主イエスは、次のように言われます。「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。」聖体の恵みにによって、私たちは、主と深く交わり、一致することになります。そして、私たちも、主の内にあって、交わり、一致することになります。聖体拝領とは、一人一人が、別々に、聖体を受けることではありません。主との交わり、共同体の交わりに入るということです。この交わりによって、私たちは、キリストの体である教会になるのです。そして、この交わりには、さまざまな理由で聖体拝領できない姉妹兄弟も入ることができます。聖体を拝領する者の交わりは、閉ざされた交わりではなく、すべての人に開かれた交わりなのです。聖体を拝領する者は、交わりに招かれるだけではなく、自分たちの交わりに、まわりの人を招く者なのです。交わりを広げていく者なのです。


聖体は、終わりの日が来ることを信じて、愛と希望に満たされて、この地上を巡礼していくための糧です。「希望の巡礼者」の糧です。この糧を、共同体の中だけで分かち合うのではなく、日々出会う人と分かち合いましょう。パンとぶどう酒という形ではなく、愛、希望、平和、喜びといった形で分かち合いましょう。聖体は、日々出会う人と分かち合うことで、豊かになっていく糧なのです。「世を生かすための」糧なのです。すべてのいのちのための糧なのです。

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