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8月4日「年間第18主日」の聖書朗読と説教

  • kiotanblock
  • Aug 1, 2024
  • 7 min read

8月4日「年間第18主日」の聖書朗読と説教


 一場神父から上記説教等が届きましたので掲載します。


◆◆◆


小教区窓口の皆様


いつもお世話になり、ありがとうございます。


8月4日「年間第18主日」の聖書朗読と説教をお送り致します。「ことばの祭儀」は、8月4日午前7時に公開予定です。


よろしくお願い致します。


猛暑が続いています。熱中症などにお気をつけください。皆様のために、お祈りしています。


一場


◆◆◆


【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)


https://www.youtube.com/channel/UCabRcWL-YVYvkpofce8Nptg


◆◆◆


〔8月4日/年間第18主日〕

【第一朗読/出エジプト16・2-4、12-15】



(出エジプト記)


*16・2*荒れ野に入ると、イスラエルの人々の共同体全体はモーセとアロンに向かって不平を述べ立てた。*3*イスラエルの人々は彼らに言った。


「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」


*4*主はモーセに言われた。


「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。わたしは、彼らがわたしの指示どおりにするかどうかを試す。


*12*

わたしは、イスラエルの人々の不平を聞いた。彼らに伝えるがよい。『あなたたちは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンを食べて満腹する。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であることを知るようになる』と。」


*13*夕方になると、うずらが飛んで来て、宿営を覆い、朝には宿営の周りに露が降りた。*14*

この降りた露が蒸発すると、見よ、荒れ野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた。*15*

イスラエルの人々はそれを見て、これは一体何だろうと、口々に言った。彼らはそれが何であるか知らなかったからである。モーセは彼らに言った。


「これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。」

【答唱詩編/詩編78・3+4、23+24、25+54】


神のわざを思い起こそう、力ある不思議なわざ。

(詩編78)


*78・3*耳で聞いて知ったこと、先祖がわたしたちに伝えたこと、

*4*神の誉れと力、その行われた不思議なわざを、わたしは子孫に隠さず、次の世代に語り告げよう。


*23*神は天の大空に命じて、そのとびらを開き、

*24*彼らの上にマナを降らせ、天の小麦を食物として与えられた。


*25*神は豊かに食物を与え、人々は神のパンを食べた。

*54*神は彼らを聖地に伴い、その右の手で勝ち取られた山に導かれた。

【第二朗読/エフェソ4・17、20-24】



(使徒パウロのエフェソの教会への手紙)


皆さん、*4・17*わたしは主によって強く勧めます。もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。彼らは愚かな考えに従って歩んでいます。*20*

しかし、あなたがたは、キリストをこのように学んだのではありません。*21*

キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ、真理がイエスの内にあるとおりに学んだはずです。*22*

だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、*23*心の底から新たにされて、*24*

神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。

【福音朗読/ヨハネ6・24-35】


アレルヤ、アレルヤ。人はパンだけではなく、神の言葉によって生きている。アレルヤ、アレルヤ。

(ヨハネによる福音)


五千人がパンを食べた翌日、その場所に集まった*6・24*

群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと知ると、自分たちも小舟に乗り、イエスを捜し求めてカファルナウムに来た。*25*

そして、湖の向こう岸でイエスを見つけると、「ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか」と言った。*26*

イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。*27*

朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」

*28*そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、*29*

イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」*30*

そこで、彼らは言った。「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。*31*

どのようなことをしてくださいますか。わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました。『天からのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」

*32*

すると、イエスは言われた。「はっきり言っておく。モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。

*33*神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」


*34*そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、*35*

イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」



【説教】


今週の福音書で、主イエスは、み前に集まっている私たちに言われます。「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。」私たちは、今日、この招きに応えたいと思います。応えられるよう、ともに祈りたいと思います。


今日の第一朗読は、エジプトでの奴隷状態から解放された直後の「イスラエルの人々の共同体」について伝えています。イスラエルの人々は、「パンを腹いっぱい食べられ」なくなると、「不平を述べ立て」、奴隷状態の方が良かったと言います。自分たちを解放してくださった神に、腹をいっぱいにするパンを与えるように要求します。イスラエルの人々にとって、自分たちが腹いっぱいになることだけが、大切であり、関心事なのです。人々は、パンの奴隷になっているのです。


今の世界においても、多くの人は、パンの奴隷になっています。パンの奴隷の悲劇は、満足する時が決して訪れないということです。今与えられているものに満足することができず、もっと欲しいと求めるようになります。今でも十分便利なのに、さらに便利になることを求めます。良いものでも、まだ使えるものでも、すぐに飽きてしまい、新しいものを欲しがります。消費することしかできなくなります。消費だけをひたすら続けていくと、欲望が、ますます大きくなり、満足することができなくなります。


今日、主イエスは、はっきりと宣言されます。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」と。主は、命のパンとなって、ご自分のすべてを与え続けておられるのです。私たちは、感謝して、このパンをいただけば、それで良いのです。このパンは、消費するためのパンではありません。私たちの中に、愛を生み出すパンです。私たちに、愛する力を与えるパンです。私たちは、このパンをいただく時、与えられることではなく、与えることを望むようになります。そして、私たちも、命のパンとなります。まわりの人を生かすパンとなります。まわりの人のために生きる、生き続けるパンとなります。死なないことが、自分だけが生き残ることが、永遠の命ではありません。神のために、まわりのいのちのために生き続けることこそが、永遠のいのちなのです。命のパンは、永遠の命のパンなのです。


そして、主イエスが言われるように、この命のパンは、「世に命を与える」パンです。「世に命を与える」とは、この世界に愛する力を与えるということです。キリストの命をいただいている私たちは、この世界の人々を愛するだけではありません。この世界の人々と、愛する喜びを分かち合うのです。愛されていないという不平ではなく、愛し合える喜びを分かち合うのです。


今の世界の現実に目を向ける時、皆が愛し合えることなど不可能だと言いたくなります。しかし、私たちは今、希望を持ち続けるように励まされています。この世界が愛によって生きる時が来るという希望を持ち続けるように励まされています。来年2025年は、聖年です。テーマは、「希望の巡礼者」です。私たちは、希望の巡礼者として歩んでいきます。巡礼者とは、聖なる場所を訪れる者のことだけではありません。巡礼者とは、自分が訪れる場所を、キリストの愛で、聖なる場所とする者のことです。自分が生きている場所を、キリストの愛が生きている場所とする者のことです。希望の巡礼者とは、この世界の中で、希望を分かち合う者のことです。そして、巡礼者は、一人一人がばらばらに旅をしません。共同体として、ともに旅を続けます。さまざまな違いによって豊かになりながら、ともに歩んでいきます。皆がともに歩んでいけるという希望を証ししながら、「永遠の命に至る」道を歩んでいきます。「世に命を与える」希望のパンとなって、ともに歩んでいきましょう。



※教皇フランシスコ、2025年通常聖年公布の大勅書「希望は欺かない」 | カトリック中央協議会↓


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