9月3日「年間第22主日」の朗読聖書と説教
- kiotanblock
- Aug 30, 2023
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9月3日「年間第22主日」の朗読聖書と説教
一場神父から9月3日「年間第22主日」の朗読聖書と説教が届きましたので掲載します。
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小教区窓口の皆様
いつもお世話になり、ありがとうございます。
9月3日「年間第22主日」の朗読聖書と説教をお送り致します。
「ことばの祭儀」は、9月2日(土)午後7時に公開予定です。
よろしくお願い致します。
まだまだ暑い日が続いています。ご自愛ください。皆様のためにお祈りしています。一場
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【一場神父のyoutubeチャンネル】(ミサ及び講座)
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〔9月3日/年間第22主日〕
【第一朗読/エレミヤ20・7-9】エレミヤの預言
*20・7*主よ、あなたがわたしを惑わし、
わたしは惑わされてあなたに捕らえられました。
あなたの勝ちです。
わたしは一日中、笑い者にされ、
人が皆、わたしを嘲ります。
*8*わたしが語ろうとすれば、
それは嘆きとなり「不法だ、暴力だ」
と叫ばずにはいられません。
主の言葉のゆえに、わたしは一日中、
恥とそしりを受けねばなりません。
*9*主の名を口にすまいもうその名によって語るまい、
と思っても主の言葉は、
わたしの心の中骨の中に閉じ込められて
火のように燃え上がります。
押さえつけておこうとして
わたしは疲れ果てました。
わたしの負けです。
【答唱詩編/詩編63・2、3+4、5+6】
荒れ地のかわき果てた土のように、神よ、わたしはあなたを慕う。
詩編63
*63・2*神よ、わたしの神よ、わたしはあなたをしたう。
水のない荒れ果てた土地のように、
わたしの心はあなたを慕い、
からだはあなたをかわき求める。
*3*あなたの力と栄えにあこがれて、
聖所であなたをあおぎ見る。
*4*あなたの恵みはいのちにまさり、
わたしの口はあなたをたたえる。
*5*いのちのある限り、あなたに感謝し、
手を高く上げてあなたの名を呼び求める。
*6*もてなしを受けた時のように、
わたしの心は豊かに満たされる。
【第二朗読/ローマ12・1-2】使徒パウロのローマの教会への手紙
*12・1*
兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。
*2*
あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。
【福音朗読/マタイ16・21-27】
アレルヤ、アレルヤ。主イエス・キリストの父がわたしたちの心の目を開き、わたしたちがどんな希望に召されているかを示してくださる。アレルヤ、アレルヤ。
マタイによる福音
*16・21*
そのとき、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。
*22*すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」*23*
イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」*24*
それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。*25*
自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。*26*
人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。*27*
人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。」
【説教】
「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」
イエスが救い主であると宣言した使徒ペトロに向けられた、主の愛に満ちた言葉です。そして、私たちにも向けられている愛の言葉です。
ペトロにとって、自分たちの救い主イエスが、「多くの苦しみを受けて殺される」ことは受け入れ難いことでした。今までずっと、うまく進んでいたではないか。たくさんの人がいやされた。多くの人が満腹した。主のみことばに、どれほどの人が希望を見いだしただろう。それなのに、なぜ、波風を立てる必要があるのか。このままで良いではないか。変わる必要、変える必要があるのか。それに、愛する主が殺されることなど、考えたくもない。主を、絶対に失いたくない、そんな思いを、ペトロは持っていました。人間として、ごく自然な思いであると言えます。だから、ペトロは、主の前に立ちはだかったのです。十字架への旅をやめるよう迫ったのです。
主イエスは、そんなペトロにお命じになりました。愛を込めて、励まされました。主の前に立ちはだかるのではなく、主の後に従うようお命じになりました。神の思いを自分の思いとして、日々生きていくよう励まされました。ともに、十字架への道を歩んで行こうと励まされました。「引き下がれ」という言葉は、安心してついて来なさい、ともに歩んで行こうという招きの言葉です。ペトロを深く愛しているからこそ、発せられた言葉です。そして、この言葉は、主のみ前に集まっている私たちにも向けられているのです。
私たちは、来月4日まで、「すべてのいのちを守るための月間」を過ごします。今日は、「被造物を大切にする世界祈願日」です。今年の、この取り組みのために出された教皇メッセージのテーマは、「正義と平和を大河のように」です。神の望みは、すべての人が、「正義の人」となるよう努力することです。そして、すべてのいのちが生きることができる世界、すべての「いのちが十全に花開く」地球の実現に向けて努力することです。そのために、私たちは、ライフスタイル、毎日の生き方を変えなければなりません。教皇メッセージの中で、次のように述べられています。
「創造主と被造物を感謝のうちに賛美することから始め、…『エコロジカルな罪』を悔い改めましょう。この過ちは、自然界を、
さらにはわたしたちの兄弟姉妹をも傷つけるものです。神の恵みの助けをもって、廃棄物を減らし、不必要な消費を減らすライフスタイルを取り入れましょう。
生産過程が有害で持続不可能なものならば、なおさら削減が必要です。経済にかかわる習慣や選択にはできるだけ意識を向け、すべての人が、どこにいるかは関係なく、
そしてまだ見ぬ子孫をも含んだ、わたしたちの仲間が、よりよくいられるようにしましょう。望ましい選択をすることで、今も続く神の創造に協力しましょう。
その選択とは、資源利用をできるかぎり控え、楽しく節約し、廃棄物を適正に処理しリサイクルを行い、
環境に優しく社会的責任にかなう製品やサービスの利用へ方向転換するといったことです。」
主イエスは今日、私たちに、自分の毎日の生活のあり方を変えるように招いておられます。私たちにとって、ライフスタイルを変えることは、決してたやすいことではありません。今まで考えなくてもよかったことを考えなければならなくなるからです。今までの快適で便利な生活ができなくなるかもしれないからです。無力感や孤独感にさいなまれるかもしれないからです。私一人が何かしても、私だけがなぜという思いに苦しめられるかもしれないからです。その意味で、ライフスタイルを変えることは、苦痛をともなうこと、十字架を背負うことです。
十字架を背負うことは、私たちにとって苦痛です。しかし、私たちの歩みは、十字架上で終わるのではありません。十字架の道を歩む者は、復活することになります。主イエスのために「命を失う者は、それを得る」ことになります。すべてのいのちのために、自分の今までの生活を離れる者は、すべてのいのちとともに生きる、新たな生活に入ることになります。すべてのいのちのために生きること、すべてのいのちとともに生きることが、復活なのです。受難の道を避ければ、復活はありません。受難の道を歩めば、必ず、復活が訪れます。受難の道こそが、復活の道なのです。そして、今十字架を背負わなければ、すべてのいのちが生きる道が失われるのです。
「サタン、引き下がれ」という言葉は、私たちのいのちを守る言葉です。いのちを破壊する暴力から守る言葉です。すべてのいのちを大切にしたいと愛を守る言葉です。この言葉を心に留めて、神のことを思い、神の愛を感じながら、10月4日までの「すべてのいのちを守るための月間」を過ごしていきましょう。すべてのいのちを愛される神に、日々、「心を新たにして自分を変えていただき」ましょう。
※2023年「被造物を大切にする世界祈願日」教皇メッセージ ↓
https://www.cbcj.catholic.jp/2023/07/11/27371/
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